軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

哀悼!小野田少尉殿

1月17日は私にとってメモリアルデーである。

平成3年1月17日、この時私は三沢基地司令だったが、朝の会議でペルシャ湾の天象気象報告を受けた私は「いよいよ始まるぞ」と部下たちに“宣言”した。丁度その時副官が「湾岸戦争始まるとTVが報じました」というメモを差し入れた。


平成7年1月17日は松島基地司令だったが、阪神淡路大震災が勃発し、基地からも救難隊を派遣した。今朝の産経抄氏は、時の村山首相を「善意の人」だと“皮肉を込めて”書いたが、私に言わせれば「無能な老人」に過ぎなかった。
更に「ただちに自衛隊派遣を要請すべきだった県知事は即座に対応できず、本格的に自衛隊が出動したのは4時間以上も後だった」とあるが、県知事はごく一部の部下しか知らない“温泉に逃避行?”していて通信手段も確立されておらず、丁度伊豆大島災害時に県外に“出張”していた町長と同じ状況にあった。彼らは「キキ管理」を放棄して「チチ管理」中だったのである!


だから“自衛隊の出動が遅い…”と会見で問い詰められ返答に窮した総監をTVで見た私は、その後先輩に「知事の要請なんぞ待つことなく直ちに出動すべきだった」と言ったものだ。
「シビリアン・コントロール」逸脱ではなく、私は「シビル・アンコントロール」状態だと認識していたからである。


そして今年の1月17日は、尊敬してやまない小野田寛郎少尉が旅立った。30年間ルバング島で「残置諜者」としてひたすら任務を遂行しつつ援軍を待ち続け、上官の直接命令がなければ頑として降伏しない、という姿勢に胸を打たれた。
そのころ“本国”でバブル景気に酔いしれていた国民には衝撃的な事件であったが、世界中の軍人は彼を手本として尊敬した。
小野田少尉が帰国した時は既に51歳、その後40年間「平和に酔いしれ“堕落した?”祖国」に失望しつつ、未来の青少年に期待して「自然塾」を開き、人としての生き方を伝授する活動をしておられたが、色々な会合でお会いしても毅然とした姿勢に感心したものである。
「さすがに鍛え方が違う。お元気ですね〜」というと、「いや〜ガタが来ていますが、やせ我慢です」とにっこり笑われた笑顔が実に優しかった。

≪帰国の際、フィリピンで武装解除(軍刀返還)式に臨んだ小野田少尉=毅然たる姿勢と眼光が鋭い!軍人の鑑だ!≫


≪穏やかで慈愛溢れる表情の小野田さん:心から哀悼の意を表したい≫


今朝の産経は29面に「小野田寛郎さん死去 高度経済成長下『敬礼』に衝撃」と題してこれを報じているが、当時取材キャップだった元常務の山下幸秀氏は「小野田さんの戦いは終わった。91歳の生涯を貫いたのは『誇り』と『不撓不屈』だった」と評伝を書いている。「あの日(取材時)と同じように、背筋を伸ばし、謙虚でつつましく歩み続けてきた小野田さん、風化しない生粋の人間を、また一人失ってしまった」と締めくくったが、山下氏は小野田さんの毅然とした立居振る舞いの元にあったのは“らしさ”だった。「大切なことは“らしさ”です。“らしさ”とは自分の役割がなんであるかを把握し、責任を持って遂行すること」と話した小野田さんの毅然とした立居振舞は、孤独な戦いを30年間も続けながら、「日本人の誇り」に通じる“らしさ”を磨き、表現したものだった」と回顧している。


戦後の自堕落な“狂育”で育った、新日本人には衝撃だろうが、日本人の精神を受け継ぐのは、日本人の子供たち以外にはないことを自覚すべきである。取り戻すのは今からでも遅くはない!


東京都民の眼前で繰り広げられている都知事選挙でも、“らしさ”を忘れた狂態が繰り広げられんとしているように見えるが、候補者の中の何人が小野田氏のような「風化しない生粋の人間」としての“らしさ”を持っているだろう。少なくとも主役?の3人は“風化”しきって、ぼろぼろになっていることにさえ気が付かず、老醜を晒しているのじゃないか?
東京都の有権者を馬鹿にするにもほどがある!


昨日は先日のブログを裏付ける資料が届いたが、その前に、今日の産経新聞から、気がかりな点を紹介しておきたいと思う。


●【一筆多論】先人が決着つけた「戦犯」問題==中静敬一郎 

≪日本人が知っておくべき歴史的事実の一つは、先人たちが戦犯問題に決着をつけたことだろう。

 昭和27(1952)年4月28日のサンフランシスコ講和条約発効後、間もなく、「戦犯受刑者の助命、減刑、内地送還」を求める国民運動が巻き起こり、約4千万人の署名が集まった。独立を回復したにもかかわらず、なぜ、敵国に裁かれた同胞たちは釈放されないのか、といった疑問が共有されたからである。

 当時、巣鴨モンテンルパ(比)、マヌス島(豪州)では1千人以上の日本人らが、A級およびB・C級戦犯として服役していた。講和条約第11条は関係国の同意なくして、日本政府は独自に戦争受刑者を釈放してはならないと規定されていたためだ。

 これに対し衆参両院はほぼ全会一致の5回にわたる赦免決議を採択した。趣旨説明に立った改進党の山下春江議員は極東国際軍事裁判東京裁判)をこう批判した。

 「戦犯裁判の従来の国際法の諸原則に反して、しかもフランス革命以来人権保障の根本的要件であり、現在文明諸国の基本的刑法原理である罪刑法定主義を無視いたしまして犯罪を事後において規定し、その上、勝者が敗者に対して一方的にこれを裁判したということは、たといそれが公正なる裁判であったとしても、それは文明の逆転であり、法律の権威を失墜せしめた、ぬぐうべからざる文明の汚辱であると申さなければならない」(27年12月9日衆院本会議)

 日本社会党の古屋貞雄議員も「敗戦国にのみ戦争犯罪の責任を追究するということは、正義の立場から考えましても、基本人権尊重の立場から考えましても、公平な観点から考えましても、私は断じて承服できない」(同)と訴えた。東京裁判がいかに不当で一方的なものかを論難するのに保革の違いはなかった。

 翌28年8月6日、A級、B級、C級を問わず、戦犯を犯罪者と見なすのではなく、公務で亡くなった「公務死」と認定し、困窮を極める戦犯遺族たちに遺族年金、弔慰金を支給する戦傷病者戦没者遺族等援護法の一部改正法が成立した。靖国神社への合祀も手続きに従って進められた。

 確認したいのは、一連の戦犯問題の処理に外国から異論は唱えられなかったことだ。これらが独立した戦後日本の原点だった。

 昨年12月26日、靖国神社に参拝した安倍晋三首相に対する非難、とりわけ国内からの強い批判にはこうした事実認識がすっぽり抜け落ちていないか。

 残念なのは、先人たちの労苦と思いが忘れ去られてしまったことだ。それどころか「勝者の裁き」を受け入れる「東京裁判史観」による発言が平然と出ている。

 後藤田正晴官房長官は61年8月、東京裁判の正当性を認める見解を示し、小泉純一郎首相は平成17年6月、「(A級戦犯は)戦争犯罪人という認識をしている」と国会で答弁した。

 安倍政権は少しずつ是正している。だが、日本が心を一つにして作り上げた成果を自らの手で無効にしてしまった所業は消えない。これを喜んでいるのは、さて、誰であろうか。(特別記者)≫


中静氏が言うとおり、私はその後の日本人にこの視点が欠落していたから、周辺諸国からいいように利用されてきただけだと思っている。そして“同盟国”の大統領さえもこれを知らないか、あるいは意図的に?無視しているのだと思う。
要は、シナや南北朝鮮が何と言おうと、あるいは米国のリベラル大統領府が「失望」しようと、彼らには彼らなりの生き方があるように、我々日本国民にも伝来の生き方があるのだ。右顧左眄することなく、小野田先輩のように日本人“らしさ”を取り戻すべきだと思うのである。


ところが「MSNニュース」欄に次のような意味不明の記事が出ていたので驚いた。少し長くなるが、全文ご紹介しておく。

●【水内茂幸の外交コンフィデンシャル】小泉氏に学ぶ靖国参拝
≪年明けの永田町は、小泉純一郎元首相が目覚めた話題ばかり。東京都知事選で細川護煕元首相を全面支援することには驚いたが、外務省に視点を移すと、「小泉氏に学べ」という声が少なくない。テーマは脱原発ではなく、靖国神社の参拝問題。氏は首相在任時に毎年1回、計6回参拝したが、当時の言動や中国・韓国、さらに米国の反応を振り返ると、日本外交のあるべき姿が見えてくるというのだ。

「侵略により犠牲になった中国の人々に対し、心からのおわびと哀悼の気持ちをもって展示を見た。過去の歴史を直視し、二度と戦争を起こしてはいけないとの反省から、日本は戦後平和国家として繁栄できた」

 小泉氏が平成13年10月、こうコメントした場所は、北京・盧溝橋近くの「中国人民抗日戦争記念館」。明らかに事実に即さない展示が多く、訪問は日本国内で批判を浴びたが、小泉氏は現地で献花も行った。首相として初めて参拝してから2カ月後のことだ。

 「小泉さんは『盧溝橋をどうしてもみたい』と強く希望されたそうだ」

 ある外務省幹部は、オイスターバーで、先輩から聞いた逸話を教えてくれた。

 「小泉さんは記念館で、『忠恕』と揮(き)毫(ごう)した。論語で真心、思いやりなどの意味だ。以後小泉さんは、中国問題を問われるたびに『私ほどの日中友好論者はいない』『中国の経済成長は日本のチャンス』と口酸っぱく説いていた。靖国参拝も抗日記念館を訪ねるのも、『戦没者の追悼に日本人も中国人もない』という氏なりの純朴な気持ちだったのでないか」
 ただ、当時首脳会談に応じた江沢民国家主席が、靖国問題の本質を図らずも言い当てる。

 「日中関係には良い時も悪い時もあるが、良くない時に靖国神社参拝、教科書問題が出てくる」

 以後小泉氏は、18年に退任するまで毎年靖国参拝を続けた。この間中国では、靖国参拝を批判する反日デモもあったが、日中首脳会談は17年まで継続的に開かれた。

 会談の間隔は、間延びしたり極端に短くなったりしたが、小泉氏側に言動の変化があったわけではない。嫌日江沢民政権から胡錦濤政権への移行や、胡錦濤氏の国内基盤の固まり具合など、つまるところ中国の国内事情に大きく左右されてきたのだ。

 外務省のオイスター氏は、クリーミーな伊勢産の牡蠣を白ワインとともに流し込みながら、つぶやく。

 「昨年中国が首脳会談を拒んだ原因は、習近平政権の基盤が固まらなかったことが8割。安倍晋三首相も、過去の小泉さんの経緯をよく理解しているからこそ、靖国参拝に踏み切ったのでないか」

 オイスター氏は「ただし」と言葉を句切った後、もう1つ大切なキーワードを切り出した。いわずもがな「米国」だ。

 小泉氏が靖国参拝を続けられたのは、ブッシュ米大統領(当時)との盟友関係に支えられたのも一因だ。18年6月、米国の故エルビス・プレスリー邸で、グラサン・ガニマタ姿でギターを弾いた(まねだが)小泉氏。この様子を苦笑しながら見たブッシュ氏は、小泉氏の在任中、靖国参拝を表立って批判したことはなかった。

 オイスター氏はため息をつきながら「当時と決定的に違うのは、今は政府内でオバマ政権への不信感が強いことだ」と打ち明ける。

 「今回の安倍首相の参拝で、米側が出したコメントは『失望』。マスコミは『ここまで米側が厳しく評価するとは予想していなかっただろう』と攻撃してきたが、僕からすれば『米側は一体どちらを向いているのか』ということですよ」

 手短に、牡蠣グラタンを注文するオイスター氏。

 「オバマ氏は主要国の首脳と個人的関係を築くのが苦手のようで、いつでもどこでもビジネスライク。安倍首相とも、正直ウマは合わないと思う。ビジネスライクといいながらも、外交戦略が一貫しているかといえばそうではない。中国の膨張主義の本質は分かってのことだと信じたいが、ごく短期間の国際情勢ばかり追う傾向があり、付き合いにくいね」


 実はオイスター氏は靖国神社問題で、いわゆる「A級戦犯」の分(ぶん)祀(し)論者。「天皇陛下にご親拝いただく環境をつくるべきだ」と持論をぶち、水内にも論争を挑んできた。

 ただし最近の中国が、欧米で「参拝は安倍首相が戦後の国際秩序を覆そうとしている証」との反日キャンペーンを展開していることには「姑(こ)息(そく)で、吐き気が出るほどいやらしい」と攻撃する。

 「半世紀以上前の『戦後秩序』を持ち出す神経がわからない。軍拡をひたすら進め、力で東・南シナ海の現状変更を図っていることは脇において…。いまだに『戦勝国』『敗戦国』って色分けに理解を示す国ってあるんだろうか」

 オイスター氏の顔がみるみる赤くなった。酒で赤ら顔になったことはないのに。

 そういえば、小泉氏は昨年11月、日本記者クラブでの記者会見で、こんな逸話を披露していた。舞台は16年、チリで開かれたアジア太平洋経済協力会議APEC)首脳会議。当時の小泉氏は靖国参拝を繰り返し、日中間に微妙な空気が流れていた。

 「日本を出発する前、中国側は『来年総理が靖国参拝しなければ首脳会談を行う』とアプローチしてきた。私は『来年必ず靖国参拝します。それで首脳会談をお断りするなら仕方ない。しかし小泉は日中友好論者だ』と伝えたんだよ。もう首脳会談はできないと思ったが、素早く『会談OK』の返事が来て驚いた」


 中国側は「記者の前で『来年参拝する』と言わないでほしい」と一段下げた要請を付け加え、小泉氏は「適切に判断する」との言葉を使い、それだけは配慮したという。小泉氏は達観したように今の日中関係に言及した。

 「今は中国も本心では困っていると思う。首脳会談したくても、内政の事情でなかなかできにくいのだろう。私が辞めた後、総理大臣は1人も参拝していないが、それで日中はうまくいったのか」

 小泉氏の言葉に、すべての答えがありそうだ。

 本来なら、ここで「外交コンフィデンシャル」の筆を置くところだが、都知事選で「脱原発」を問うことだけ、一言いいたい。

 「原発論は都知事選に似合わない」という指摘もあるが、日本最大の電力消費地・東京で議論するのは大賛成だ。ただしその際は、電気料金がいくら値上がるのか▽経営の苦しくなりそうな中小企業はどれくらいあるのか▽失業率の上昇率は▽脱原発でも対処が必要な、使用済み核燃料の最終処分地はどう考えるのかーなどの答えを逃げずに提示してほしい。

 水内の実家は、東京電力柏崎刈羽原発から半径30キロ圏内にある。福島もそうだと思うが、日本を引っ張る東京の発展のため、田舎は長年、黙ってリスクを引き受けてきたのだ。東京で脱原発を唱える細川・小泉連合に、郷里の級友はやるせなさをメールしてきた。

「お台場に核燃料の最終処分地でも作ってから言え!と、選挙権もないのに感じてしまう」≫


航空工学出身の私が言うのもなんだが、文化系が書いた文章としてはタブロイド新聞の世評程度の内容で、全国紙の名が廃るというもの。
せいぜい『オイスターバーでの世迷いごと』に過ぎないと言ってしまえばそれまでだが、一応“保守系新聞”としての地位を築いている産経の記者としては、“世迷いごと”では済まされまい。


「ある外務省幹部」とは明らかに親中派とみられるし、小泉元首相の靖国参拝も、明らかな≪票集め≫に過ぎなかったと私は見ている。

その証拠に2002年9月17日の、日朝首脳会談での醜態はどうだ!
拉致被害者を取り戻す絶好のチャンスだったにもかかわらず、なぜかあれだけ“雄弁な”彼が急にあの場で「失語症」になって、金正日の言いなりにピョンヤン宣言にサインして帰って来たのではなかったか。
もっとも当時の官房長官が代表的な親中派だったから、処置を誤ってしまい、今では猪木氏位しか伝手が無くなってしまった。
小泉元首相よ、「原発ゼロ!」と怒鳴る前に、「拉致被害者奪還!」と叫んだらどうだ。


最初に取り上げた産経抄氏は、「過去への反省なし、元気な元首相たち」として、
 ▼村山さんは、元慰安婦に心から同情し、「アジア女性基金」をつくって償った。村山さんは、先の大戦を心から反省し、戦後50年の節目に「村山談話」を発表、過去の「植民地支配と侵略」を認めて謝罪した。残念ながら基金も談話もいまなお、日本の国益を大いに損なっている。

 ▼韓国は基金に感謝するどころか、元慰安婦をダシにした反日運動は、いまや米国に慰安婦像をつくるほど増長した。村山談話中韓が、日本攻撃の材料に使っているのはご存じの通り。そんな村山さんが来月、韓国に出かけるという。最近、元気な元首相が多いが、そろって過去への反省がまるでみられない。間近で見てきた抄子は執念深く覚えていますよ≫
と締めくくったが、名前を挙げられた御三方とも真面目に『終活』に取り組んだらいかがか?≪老兵は消え去るものだ…≫、オット、御三方とも小野田氏のような歴戦の老兵じゃなかった。単なる「老弊」だったか!
大臣時代にやったミスは許される。退任後は何を言っても許される、というのじゃ、真面目に生きている国民はどうすればいいのか?


さて最後になったが、ウォッチャー氏からの大陸最新情報をご覧にいれておきたい。

北京市内の慶豊肉饅店で“毒見なし”で6個の肉まんと豚レバー炒め、野菜炒めを食べた習近平氏。後ろに立っているのは“用心棒”=クローン豚肉じゃないのか?=インターネットから≫


≪その時乗ってきたのがこの車。解放軍には外車購入禁止しておきながら、お前らはトヨタのコースター車に乗って肉饅食べたのを忘れたのか!と厳しい書き込み=インターネットから≫


≪これが解放軍の“日産製”軍用車自衛隊と共通じゃん!。シナ国内で作って売れば「武器輸出に当たらないの?」とはウォッチャー氏の意見=インターネットから≫


≪これが世界一のクローン豚生産会社。カナダのトロントには輸出していないのかな〜=インターネットから≫


今日は長くなったのでこの辺でおしまい。KJ君が何と言ってくるか楽しみ!

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