軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

遊就館の特別展示

土曜(横浜)、日曜(靖国)と連続して講演してきたが、皆さん非常に熱心なのでついつい“サービス”が過ぎて時間が足りなかった。後期高齢者入りした老兵が、横浜2時間、靖国3時間の合計5時間立ち通しでお話しした付けが、そろそろ腰に来そう?な気がする…

お話しする内容は、私がじかに体験した日中関係や、アジア情勢なのだが、退官後17年たってもそんな“現役時代の情報”で“食っていける?”状態が悲しくなってしまう。
つまり、私が現役時代に体験した沖縄、尖閣問題などの各種事実や実例、退官後台湾やシナを巡って安保対話をしてきた体験をお話しするだけなのだが、聴衆の皆さん方には初めて聞く内容らしく新鮮なのだという。

それほど情報が正しく伝わっていないのは、今表面化して大騒ぎになっている朝日新聞誤報問題が証明しているように、いかに報道機関がいい加減な?情報を垂れ流していたのか?ということであり、それをうのみにしていた国民がいかに多かったか、ということを示している気がする。
新聞の活字は嘘つかない!と勘違いしてきた国民の自覚が高まったのはうれしいが、それほど“権力者”は真相を伝えてこなかったという証明でもあろう。
退官後、ようやく発言権を得た私は講演のたびに「お人よし日本人よ、早く目を覚ませ!」と叫び続けてきたつもりだが、あれからすでに17年余、同じようなお話を続けることがばかばかしくなってきていたところであった。

11月1日には、兵法研究会からの希望で、堅苦しい話ではなく、講談社から出版した「UFO〜」について漫談するつもりだが、この方がよほど気が楽だ。来年あたりは「軍事評論家」改め≪知的生命体研究者≫とでも肩書きを変えたいくらいなのだが、来月は、同じような内容のお話を東京、金沢、富山で3回講演する予定なので、その反応も気にかかる。おそらく「初めて聞いた!」という感想が出るのじゃなかろうか。


昨日は、午前中に靖国を参拝して、久しぶりに遊就館を見学して厳粛な気分に浸ったが、絶好の行楽日和なのに多くの方々が見学していたので驚いた。勿論参拝も列をなしていた…。

私は多くの英霊方に、朝日新聞が皆様の行動をことあるごとに貶めてきたことをお詫びし、ようやく国民の前に真実が開かされつつあることをご報告した。
≪“従軍”慰安婦=性奴隷≫などと戦地で懸命にお国のために戦った皆様をウソで固めた報道で名誉を棄損してきた「生き残り国民」の罪を、一刻も早く払うべきところ、勇気なきだらしない政府や一部国民が見て見ぬふりをしてきたことをお詫びしたかったのである。
物言えぬ(反論できぬ)英霊方に代わって誰かが発言しなければならなかったのだが、せいぜいチャンネル桜と、産経新聞関連雑誌が細々と戦ってきただけだった。

≪ついに白状!中国政府から一件書類を受け取り、それを「中国の日本軍」という本にして日本軍を貶めたことを、著者?たる本田勝一氏がついに認めた。
水間政憲氏の問い合わせに文書で答えたもので、誤用だったことを認めているが、公的回答文書にもかかわらず、「…俺が司会を務めた…」「…俺の記憶では…」と“日本人”とは異なった表現をしていることから、やはり本名「崔泰英」氏であることが伺える=週刊新潮最新号≫



この日は、友人の鈴木千春、笹幸恵の両君が「靖國神社遊就館の特別展示室」で「マーシャル方面遺族会 写真展」を開催したというので拝観に立ち寄ったのである。
マキン・タラワの勇戦ぶりの陰に隠れてサンゴ礁の小島、マーシャル群島に展開していたわが将兵の活躍は表に出ることは少なかったのだが、マーシャル方面遺族会の会員でもあり、遺骨収集など英霊方の顕彰に尽力している彼女らが制作したパネルが展示されている。
午後1時から靖国会館で兵法研究会主催の「国防講座」を担当していたので、急ぎ昼食をとったのだがそこで偶然ご遺族にお会いした。そんなこんなで、講演開始が5分遅れてしまったが貴重なご縁をいただいた。
この7月「お国のために」という靖国神社にぴったりの本を出したのだが、売店で販売されていなかったので少しがっかりしたが、時間がなかったので見逃したのかもしれない。

≪マーシャル方面遺族会 写真展の案内(やすくに)≫


≪マーシャル方面遺族会だより≫
8月30日から展示されていて、10月26日までだそうだが、展示室の最終展示室だから、ぜひ覗いていただきたい。


さて、朝日[撃滅運動]が起きているが、昨日届いた「月刊日本」の編集後記がこの問題をよくまとめていると思うから転載しておきたい。

朝日新聞吉田清治なるペテン師に偏されて慰安婦問題で虚報を続けた。さらに原発の国会事故調「吉田調書」報道は完全な誤報だった。「社会の木鐸」を任じる新聞にとって、レーゾンデートルを問われる重大な事態である。木村社長自らが記者会見で釈明と謝罪をしたのは遅きに失したとは云え当然のことだ。
一部から国会喚問の声もあるが、朝日は堂々と国会に出向き、社長自ら臆することなく、何故このような基本的な過ちを犯すに至ったかを明らかにすべきだ。
朝日の虚報・誤報で、他紙は「水に落ちた犬は叩け」とばかりに、挙って喧しいまでの朝日批判を繰り広げている。しかし、他紙にその資格があるのか。日中戦争が勃発して以降、当時の大新聞は挙って戦意高揚の記事を書きまくった。開戦後は「大本営発表」と称する軍部握造の虚報を報じて飽くことがなかった。曰く「鬼畜米英」「一億玉砕」。
昭和19年2月23日付東京日日新聞(現毎日新聞)一面は、新名丈夫記者の「勝利か滅亡か、戦局は茲まできた」、「竹槍では問に合わぬ」という記事を掲載した。激怒した東條英機首相は新名を二等兵として懲罰召集した。だが、他紙は軍部を恐れ見て見ぬ振りをし、黙殺した。    
その新聞は8月15日以降、国民に一片の謝罪もなく、鬼畜だった筈の米国製民主主義を押し戴き、それまで平身低頭していた軍部を、厳しく批判し始めた。他紙に虚報を続けた朝日を批判する資格などある筈もないのだ。大東亜戦争で310万余の同胞が命を失ったが、その責任の一端を新聞各紙は負っていることを忘れてはならぬ。(月刊日本10月号)≫


木村社長の「国会喚問」もいいが、英霊の名誉を汚す行為を続けてきた朝日新聞社幹部一同は、打ち揃って靖国神社を参拝し、英霊の前に額づいて謝罪すべきだろう。英霊方がお許し下さるか否かは知らないが、それが生きている者の最小限の務めである。今からでも遅くはない、ぜひ行動するようお勧めする…
さもなくば、このような怒りの声がいつまでも絶えないだろう。




≪友人から届いた怒りの漫画。その中の3点…≫

大東亞戦争は昭和50年4月30日に終結した

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日本を守るには何が必要か

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ジェットパイロットが体験した超科学現象

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ある駐米海軍武官の回想

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自衛隊の「犯罪」-雫石事件の真相!

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