軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

日本外交の物差しは?

外交には≪相手≫がある。自分に都合よく懸案事項が解決することはまれである。しかし人間は、自分の不利を認めたがらないから、ともに「ウインウイン」の関係で終わった、と宣伝する。
「ウインウイン」などというハッピーエンドは外交交渉にはほぼあり得ない。しかし“負け”を認めると交渉にあたった外交官の出世は閉ざされる。
だからついつい使ってはならない手を使う羽目に陥りやすい。それは「裏交渉」だ。
日朝交渉を見ているとそれを痛感する。「そこまで言うのなら自分で平壌に来てみればいいじゃないか!」と恫喝されると、ついつい「お招きにあずかった」と自己流?に解釈して交渉が進んでいるように装う。
日本の外交官は教養が高く実に紳士だから、ペルー大使館占拠事件のように、問答無用なテロリストに襲われると、普段はペンをかざして強がっているくせに、たちまち剣に屈してフジモリ大統領に救助されるまで何もできなかった。それでも一件落着すると個人が成果を収めたかのようにふるまうから滑稽である。
尤もあの時の総理大臣は、銀座の老舗アンパンを外務省に差し入れて存在を示しただけだったが…
その程度の国柄だから、国民は「働けど働けど、じっと手を見る」結果になる。そして大臣諸侯は血税で支援者らを接待する浪費(窃盗?)を恥じないし、普段は大きな口をたたく。何が将来の総理候補だ!
安倍首相の「輝く女性たち」政策は足元から陰り始めているが、それを追求している野党の女性議員も、それに劣らずあくどいことをしていて少しも恥じない。外国の血が混ざっているとはいえ人間としてのレベルが低すぎる。
安倍首相よ、女性に光を当てたのは時期尚早だったのではないか?


そこで【外交交渉】の秘訣をお教えしよう。
15日の産経新聞に、曽野綾子女史による「外交官が学ぶべき外国の実態」が出ていたが、忙しい議員諸侯は読んではいまいから再現しておく。

まずいつも紹介する「透明な歳月の光」である。15日は「避難所の待遇向上=居心地良すぎるのは考え物」という題だった。

≪アフリカの各地を歩いているうちに、私は内戦や干魃で飢餓に苦しんだあげくの人たちが、難民となって暮らす実態をあちこちで見た。
国連難民高等弁務官事務所などが、そうした人々のために作ったキャンプでは、大人が1m×2m、子供はその半分の面積で計算して小屋を建てていることも知った。つまり手足を伸ばして寝ることのできる最低の面積である。
トイレは2軒に1つできている場所もあった。各自の小屋にはトイレも炊事場もない。水道を含めた共同の施設はできていた。
難民という人たちを、日本人はほとんど見たことがない。難民の暮らしも知らない。大昔、ベトナムから逃げてきたボートーピープルが、日本にたどり着いて、施設に収容された時、最初に発した質問が「飲める水で水浴をしてもいいんですか」だったという逸話も知らない。
難民のことを英語では「ディスプレイスド・パーソン」と言っている。つまり正当にいるべき場所から、無理やりに移動させられた人、というような意味である。もちろん気の毒な運命である。誰もが、平穏なら故郷にいたいと願うものなのだ。
しかし私はそのうちに、世界には「難民」という身分を業にしている人もいる、と感じるようになつた。もともと貧しくて、ろくすっぽ食べることもできなかったような人は、難民の認定を受ければ、とにかく住めて食べられる。燃料も配給される。失業がない安定した暮らしができるようになるのである。
キャンプの中から働きに出て稼ぎ、カットグラスのコレクションをしているパレスチナの富裕難民さえ見たことがある。その土地の高利貸から借金をして返せなくなり、彼らの追跡の手から逃れるために難民になった人もいる、という評判を私は確かめることはできないが、そんな噂も聞いた。
とにかくその土地にもともと住んでいる人より、難民キャンプの住人の方がいい暮らしをしている、という例は決して珍しくはない。

日本では台風が近づく度に、最近では避難命令が出る。するとその人たちは避難所で清潔な毛布を配られている。「あの毛布の洗濯代は、使った人が出しているんでしょうね」と気にしている人に最近よく遇うようになった。台風が立て続けに来ると、ずっと避難所暮らしをしている人もいるという。それなら、規定の日時を過ぎた場合は、宿泊代を払うべきだろう。
避難民に優しすぎることは、決していいことではない。地震や噴火は別として、台風は事前にわかっているのだから、自分で寝袋を用意し、食料も持参で避難所に行くのが当然だ。それのできない理由のある人だけを行政は助ければ難民という身分が業として成立するのと同じ轍を踏むことになる≫


私も築城基地勤務時代、外務省出向時代にお世話になった国連局長が来基されたことがある。軍縮大使待命時期だったからご夫妻でお見えになったのだが、赤十字理事だったこともあり、急きょ北九州の旧炭鉱街の公民館に収容されている50人余のヴェトナム難民(ボートピープル)の実情を視察することとなり、私が“副官”として随行したのだが、彼らは日本の秋が「寒い寒い」と肩をすくめていた。
漂流中に赤子が生まれたので実員は52名だったかと思うが、一様に米国亡命を希望した。屈強な南ベトナム兵士や空軍下士官もいたが、とにかく働いて現金がほしいといった。管理する園長が「機会をとらえて街の草刈りや清掃に数名ずつ出すのだが、現金を欲しがるのは煙草を自販機で買いたいからだ」といった。彼らをどう管理するかは難しいものがあったが、それは言葉が通じないことから町民が怖がることと、現金収入が得られない彼らが、犯罪に走る可能性があることなどであった。
局長は深刻に悩んでいて「一人も日本に住みたいといわなかった」ことにショックを受けていたが、当時は法整備が遅れていたことと彼らのほとんどは米国に親類縁者を確保していたからである。
日本人が良かれと思っていろいろと親切に差し入れなどの支援をしていたが、彼らに必ずしも通じてはいなかった…。


以前ブログに書いた曽野女史の「働かざるもの…」については「談話室」にこんな意見もあった。


≪曽野氏の鋭い指摘に共感   自営業 鷺野文子 55
毎週水曜に連載されている曽野綾子氏の「透明な歳月の光」を毎回、楽しみにしている。1日付の連載では「働かない人」について述べていた。最近は「ニート」や「引きこもり」などという働かない人が増えているそうだが、「身体に不自由のない人が、仕事もせずに生きていける社会構造が不思議だ」と説いていた。
私の知人にも「引きこもり」の息子がいた。長く心療内科に通院していたそうだが、親が病気になり、アルバイトを始めた。今は忙しく働きながら、元気に過ごしているようだ。働くことによって、気持ちも安定するということもあるのではないだろうか。やはり人は働くべきだ。「働きたくない者は、食べてはいけない」という曽野氏の指摘に賛同する。反論もあるだろうが、私は曽野氏の歯に衣着せぬ指摘にいつも共感を覚える。これからも、私たちに活を入れてほしい。(神戸市西区)≫


人間は死ぬまで体を動かすべきだ。それは若者は当然だが、私のような老兵にも当てはまる。目標を失えば人は枯れるのだ。枯れ木は山の賑わいだが、“枯れ人間”は社会のお荷物だろう。私の目標は「自主憲法制定」であり、それまでは死んでも死にきれないから、間に合わなかったら閻魔大王にお願いして、三途の川から戻ってくるつもりである!


次の【千夜一夜】「エジプト人の交渉力」というコラムも外国人観察という点で面白い。


エジプト人といえば、商魂たくましいアラブ人の中でもとりわけ、したたかなことで知られる。最近は定価表示も定着してきたが、市場や観光地の土産物店ではふっかけてくるのが当たり前。そこからが本格的な交渉スタートとなる。先日、エジプト人の若者たちに交じってバレーボールをする機会があった。試合は一進一退。7対7の場面で私のチームにミスが出てリードを許してしまった。
とそのとき、相手チームのメンバーが、「よし、これで9対5だ!」とサーブを打とうとした。「えっ?」と一瞬、耳を疑つた。当然、こちらからは口々に抗議の声が上がる。
ところが、わがチームメートの中に「そんなはずはない。こっちが8対6で勝っているはずだ!」と主張する者が出てきた。またまた耳を疑った。そこからは、今のプレーが何点目だったのかをめぐり、両チームとも一歩も引かない論争、いや“交渉”だ。
結局、直前は同点だったということで双方が妥結し、なんとか相手チームの1点リードという本来の点数で試合を再開することで落ち着いた。こちらの声が小さければ不利な点差を押しつけられていただろう。
これがエジプト人の交渉力かと妙に納得し、どっと疲れた一日だった。(大内清)≫


今回の仁川大会が不人気なのは、この試合と同程度の大会運営だったからだろう。最近の日本人もウソをついて平気なものが増えたが、外国じゃ嘘つきは市民権を得ているのだ。
アラブは「千夜一夜」もそうだが、「アリババと40人の盗賊」が代表的な国がらだ。伝統だろうから憎めない?が、アジア近隣諸国の嘘は、もともとその傾向があったとはいえ共産党政権樹立後に特にひどくなった。ソ連がそうだった。その点では韓国も内実は共産主義信奉国といえないこともないが。
「うそつきは泥棒の始まり」と親に教えられて育った真正日本人には、何とも生きづらい世になったものだ。

今、日本旅行が外人に大人気だそうだが、異文化体験という点で貴重であると同時に、≪四方の海皆同胞…≫意識を持つ日本人も「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼する」ことの可能性を彼らから学ぶべきだろう。
個人と国家、社交と外交は決定的に違っているのが国際社会だ、ということを学んでほしいと思う。日本独自の曲尺鯨尺で、ヤード、ポンド国を測ってはならないのである。
外交は異民族とどうすれば共存共栄できるかという接点を探る交渉事であることを忘れてはなるまい。

プーチン習近平もひたすらその観点だけから接近してきているのだ。
実戦経験が少ない外交官には、そんなドロドロしたやくざまがいの相手との交渉訓練もたまには必要じゃないか?と思うのだが、「ムネオサン」や「マキコサン」にあしらわれて「辞めたくなる」様じゃ頼りない。相手は、うそで固められた“外人”であることをお忘れなく。


以下大陸情報。シナの弱点はこれだ!各地で収まらない人民の暴動。
次回、安倍首相が習主席に面談するときは、犠牲になっている警官と人民に対して「お悔やみ」くらい挨拶代わりに言ったらどうだ?

≪農民と警官隊らが流血衝突 8人死亡=中国雲南省大紀元日本から≫


≪最終ラウンド?に近づいた香港民主革命運動=大紀元日本から≫

韓国が次に騒ぎ出す「歴史問題」

韓国が次に騒ぎ出す「歴史問題」

迫りくる「米中新冷戦」

迫りくる「米中新冷戦」

大東亞戦争は昭和50年4月30日に終結した

大東亞戦争は昭和50年4月30日に終結した