軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

731部隊をネタに稼ごうとする弁護士ら

来年の抗日70周年を機に、日本からゆすりたかりをしようとするグループが蠢いている!という情報が届いた。
既にインターネット上では有名な日本人弁護士の方々が、重慶爆撃や毒ガスなど、旧日本軍の行動をネタに政府をゆすろうということらしい。

今回は、選挙期間中だから、これをネタに安倍首相と自民党をぶっ潰そうと、早く人民の署名簿を送れ!と現地に仕掛けているというから、ただ事じゃない。
東京には300名を超える反日弁護士らがいて、これを機に一気に昔の成田闘争化学兵器問題のように息を吹き返そうというのだが、シナの相手はなぜか姫路市に永住?している浙江省の議員だというから奇妙である。
この運動は過去何回も行われてきていて、そのたびに話題になっている。

例えば731部隊関連で、控訴人の王選は、過去に次のような陳述書を出していた。


≪陳  述  書   控訴人    王 選
 王選と申しますが、1952年8月6日中国上海市に生まれ、浙江省義烏市崇山村 の原告です。
 崇山村は父が生まれ育った故郷で、同族村として、現在2000人あまりの村人はほとんと王という名字で、同じ先祖の子孫です。1969年文化大革命の時に、私が知識青年として、上海かれ崇山村に下放された。1973年まで村で村民と一緒に畑で働いて、生活をしていました。
 その後、大学で英語を専攻し、卒業してから、高校で英語を教えていました。1987年に中国浙江省杭州市から日本に留学し、現在姫路に住んでいます。日本軍の細菌戦被害者の遺族として、日本の平和運動の方々から学びながら、中国の細菌戦被害調査、関連研究をしています

細菌戦問題に関わるようになったのが、偶然のきかけでした。
 1995年8月3日朝、姫路の自宅で取っていた英字新聞ジャパンタイムズを開き、ある記事が目に飛び込んできた。その記事に以下のような内容が書かれています。
 【初の731部隊国際シンポが中国黒竜江省ハルビンで開かれまして、大会で日本の市民団体の方が中国にある731部隊細菌戦被害地浙江省義烏市崇山村に訪れ、実地調査をした報告をしました。報告によると、731部隊の細菌戦よって1942年崇山村でペストが流行しました。
 現在、村民代表三人が村人を代表して、細菌戦ペストで亡くなられた382人、日本軍によって焼かれた405間の家等の損害に対し、日本政府に「連合訴状」を提出し、損害賠償を求める】(以下省略)


そして、2011年10月13日〜15日、浙江省麗水の細菌戦被害者協会から4名と王選さんが来日、2012年4月11日〜15日、浙江省義烏と湖南省常徳の細菌戦被害者遺族ら2名と王選さん、および研究者らが来日している、というのだが、ウォッチャーによれば、「中国が我国に対して起こしている数々の『反日謀略』は、根本的な部分で日本の弁護士が主役となって反日中国人を上手に利用している構図があるのであり、中国の反日ネットとして名高い「918愛国網」を中心に、博訊や人民ネットまでこのニュースを流している。日中間では、昭和47年に毛沢東が『中国共産党は日本に心から感謝している』と田中角栄に頭を下げた時から、戦時賠償の一切が放棄された。
周恩来田中角栄が、中国と日本という国家間・政府間で正式に調印した国際的に有効な条約で、戦時賠償一切放棄が明らかにされている。中国は、国家としても共産党政府としても、勿論国民・人民も、日本に対して不当な戦時賠償は起こさないことが取り決められているにもかかわらず、依然としてこの問題が蒸し返されているのはおかしい。
南京大虐殺従軍慰安婦七三一部隊・毒ガスなどと不当な言い掛かりを続け、それらの根拠が皆無だと国際的に指摘されたら、今度は『重慶爆撃』の賠償をせよと言い出すのである。もはや中国は、単なる与太者、愚連隊に成り下がったといわれても仕方ない。日本の外務省はどんな手を打っているのか?
それに、王選は自ら証言しているように日本に夫婦で定住しているにもかかわらず、浙江省の議員だと自称している。
昭和二十七年上海生まれ。昭和六十二年に筑波大学に留学し、平成七年から日本軍細菌兵器の調査をして、平成九年から中国人被害者対日賠償訴訟団を設立。東京地裁に提訴して、二十七回出廷している人物である。しかし、在日の中国人は王選を誰一人として応援していない。裁判には誰一人として中国人が来なかった。日本の姫路市に住んでいる外国の議員を、なぜ日本政府は国外退去させないのか?
彼女は日中両国を往来し続けており東京に拠点を構えて、一瀬敬一郎弁護士と組んで対日賠償請求という体裁の「日本政府から金を恐喝するギャング団」の結成を試みているのだ。日本の入国管理システムはどうなっているのか?
この王選については、平成十四年八月二十七日の新浪網の「軍事情報」及び新華社ニュースによれば、『王選の父親は中共地下党員であり、解放(昭和二十四年中共成立の事)間もなく上海市高級法院工作に参加した。王選は上海から崇山に下放された後、杭州大学に入学。卒業後八年間、中学校の英語教師をした後、日本へ渡った。平成八年九月、常徳市対外友好協会工作員の陳玉芳が上級任務として、細菌戦被害者調査に日本から来る一瀬敬一郎弁護士一行九人と通訳の王選ら調査団を出迎えた。当時は細菌戦など誰も知らなかったが、王選は被害者の親族の老人たち五、六人を探し出した。日本軍は強姦・放火・人体解剖などやりたい放題をして、ペスト菌をばら撒いて村人を殺した。王選は、民間賠償請求に対して日本政府は中国人民に謝罪せよと強調した』とされ、平成十三年四月に『日本弁護士は裁判を開かせて、原告として十人を日本に連れて行き証言させた』となっている。一瀬敬一郎や、西村正治、小野寺利孝などの反日運動弁護士が、『王選を第二のアイリスチャン』に仕立て上げてシンボル化しているのだろう。
八月二十七日の新華社によれば『王選は細菌戦対日訴訟のために母親になることも諦めた。普通の人には出来ない立派なことだ』と称賛し、彼女の経歴や義烏崇山村で日本軍がペスト菌を散布したという嘘を報道している。
九月十一日の『南方都市報』も、彼女の経歴などを美化して書き、アメリカと日本の細菌犯罪を摘発して『2001年から南京師範大学教授と南京大虐殺記念館教授を兼任している』と称賛している。日本人は、もっと真剣に行動しないと、国がなくなるよ!」という警告なのだが、弱気の外務省は知らないが、当然関連役所はしっかりと監視しているはずだ、といったものの確証はない。

「・・・捕えてみれば吾子なり・・・」を地で行く間接侵略に、いささか驚いたが、そういえば反日メディアは、今回の選挙でも「大義大義」を振りかざし、肝心な政策論争を挑んでいないのが不思議だ。
安倍首相は、傲慢な毎日新聞記者の質問を逆手に取って、その昔テレ朝の椿報道局長の反自民闘争を暴露したが、落ち目の朝日も、死力を尽くして安倍叩きに奔走している気がする。
経済の指標であるアベノミクスだけが争点じゃあるまい。南西方面、小笠原方面に対するシナの海洋戦略は着々と進められている。赤サンゴが問題じゃないのだ。
そして国内では、シナの侵略に手を貸している「核心集団」がいるとなれば、お人よし日本人もぼやぼやしていてはシナの属国になりかねない。

不思議なのは、シナ大陸に住まう日本人で、シナ人民のために一肌脱ごうという気概のある者がいないことだ。その点では日本の一瀬弁護士のような反日シナ応援団が存在は「反面教師」なのかもしれない。

≪だいぶ以前に掲載した地図だが、なんとなく“現実味”を帯びてきた≫


≪T−2ブルー731号機に乗った安倍首相。シナはこの程度で大騒ぎしたが…≫


≪昔はこんな嫌がらせもあったものだ。≫


重慶爆撃記念館で頭を下げる一瀬弁護士ら=インターネットから≫

ところで今日は、某週刊誌の取材を受けてきた。急に寒くなって、都心に出る気がしないので近辺まで来てもらったのだが、先月20日に上梓した「講談社プラスα新書(UFO〜)」に関するものだった。
新書部門でベストテン入りしているそうで、この15日には重版になるそうだが、自衛隊パイロットが目撃した事実なので、関心が高いのだという。
今回追加した織田元空将が2尉だったときの体験は、貴重なものだろう。
スクランブルで帰投中に1番機と2番機の間に原子炉のようなUFOが出現し、写真撮影に成功したのだが、秘に指定された写真は行方不明だというのである。自衛隊は生真面目だから、多分期限が来た秘の写真は焼却処分されたのだろうが、実に残念なことをしたものだ。


誤解してほしくないからいうが、航空自衛隊の任務は、わが国の防空にあり、平時から≪対領空侵犯≫に備えてスクランブル態勢を取っているのだから、対象が外国機であれ自国機であれ、人類が作った航空機だけを対象にするのではなく、未確認飛行物体であるUFOも対象にして、防空に万全を期すべきだと私は主張しているのである。

最近になって、防衛省は宇宙監視網を整備するという話だが、ぜひともUFOもその対象に加えてほしいと思う。

国際情勢や軍事情勢にかかわる情報を収集していると、無防備な我が国の実態にストレスがたまるから、健康に良くない。
そこで来年からは「軍事評論家」改め、「宇宙評論家!」を自称しようかと思う。
その前に、今月20日(土曜日)午後に、拓大文教キャンパスにおける市民公開講座で「国防とは何か=日本文明の守り方」という題で講義することになっている。
これは昨年、遠藤浩一教授に依頼されたものだが、「来年のことだから、生きていたらお受けします」と茶化した回答をしたのだったが、驚いたことにこの5月に遠藤教授の方が先に急死してしまった。実に有望な人材を失って残念なことだったが、彼の期待に応えることは私の能力では無理にしても、何とか34年間の自衛官生活から得た内容で、彼との約束を果したいと思っている。
そしてこれを最後に、後はUFO捜索活動でもして、ストレスのない「消灯5分前」を楽しみたいと思っている。

大東亞戦争は昭和50年4月30日に終結した

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