軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

安倍政権、信任される

唐突?に実施された今回の総選挙は、議員たちは大慌てだったようだが、有権者には何となく“白けた”雰囲気が漂っていて心配した。
今回、安定政権が“瓦解”すれば、来年はシナの反日集中攻撃が予想されているので、今までのように≪謝罪外交≫で我々の税金が、どんどん流出する懸念があり、アベノミクスどころではなくなる可能性があったからである。
こうなると、同盟国にも“完全に”見放されて孤立し、安全保障上は戦後最大の危機を迎えかねなかった。

≪勝って兜の緒を締めることをお忘れなく!=産経から≫


しかし、投票率は予想通り大幅に低下したが、安倍首相率いる自民は大勝し、“与党”は議席の3分の2以上を取った。
前回の総選挙でも私はあと2回ほど政界再編のためのシャッフルが必要じゃないか?と素人考えしていたが、その間に「みんなの党」が自滅して【みんなが去っていき】、もともと水と油で構成されていた「維新」は案の定分裂、本来の改憲グループで構成された「次世代の党」が生まれた。
しかし、突如[太陽の党]が産声を上げたので驚いた。政界の流れを見ていれば、あまりにも唐突過ぎた気がしたが、案の定、突如解散になったため≪太陽≫は雲隠れせざるをえなくなり、次世代の党に併合されるなど、混乱した。
これをたちあげた石原慎太郎氏は、意気盛んだったが「政治の世界は小説の世界とは違った≪ドロドロした≫ヌエのような生き物」だから私は危惧した。
やはり時節は冬、「太陽の季節」到来には程遠かった…。


こうして、保守本来の勢力として、安倍政権を支えるべき「小党」グループが分裂して「消灯」して行ったから、本来の革命勢力が勢いを吹き返した。

もちろん3年間も国民を苦しめて恥じなかった「民主党」は、数こそ揃ったが、内部分裂してやがて消滅するだろう。
それにしても、小選挙区という直接投票では全く否定されている「落選候補」が、最後の網に救われるという「比例代表制度」はもういい加減廃止したらどうだ!有権者はだれも支持していないのだから国民の負託を背負っているとはいえず、「詐欺」そのものだろう。
それにかっての「大物?」が、捨て銭のお慈悲で這い上がってくるなんて、いかにも見苦しい。もっとも武士の魂を持ち合わせていない彼らにとっては「生活の糧」を失わずにすむのだから、これほどのお慈悲はないだろうが。
しかし、「信任を受けていない」のだという自覚を忘れてほしくない。


今回の安倍政権大勝利の原因については、TVのコメンテーターたちも、言いにくそうにケチをつけているがこれまた見苦しい。
どうせ責任を取らないのだから、少しは黙って見ていたらどうだろう。


私が納得したのは今朝の産経抄子の「自民勝利は中国のおかげ」という見方である。


1984年の秋、2期目をめざすレーガン米大統領は、選挙戦を有利に進めていた。ただ陣営では、73歳という年齢が気がかりだった。対する民主党のモンデール候補は、56歳の若さである。

 ▼「年齢はハンディキャップになるか」。モンデール氏との討論会で、司会者に聞かれたレーガン大統領はこう答えた。「私は政治目的のために、ライバルの若さや経験不足を利用するつもりはありません」。聴衆は爆笑する。この瞬間、レーガン大統領は勝利を確信したという(『レーガン村田晃嗣(こうじ)著、中公新書)。

 ▼きのう投開票が行われた衆院選で、自民党は圧勝した。勝因はなんだろう。もともと与党陣営は、万全の態勢だったわけではない。「レーガノミクス」をもじった「アベノミクス」は、道半ばである。株価は上がり、雇用は拡大したものの、格差拡大の批判も根強い。麻生太郎財務相の失言もあった。

 ▼安倍晋三首相の後押しをしたのは、実は中国ではないか。習近平国家主席は13日、南京事件追悼式典で、「30万殺害」というありえない数字を再び持ち出してきた。来年を「抗日戦争勝利70年」と位置づける中国は韓国と連携して、より過激な「歴史戦」を仕掛ける構えだ。

 ▼尖閣諸島周辺海域では、すでに中国公船の領海侵入が常態化している。安全保障をめぐる一連の改革と地球儀外交を同時に進めてきた安倍政権でなくては、中国の攻勢に立ち向かえない。そんな認識の広がりが、自民党を勝利に導いたと小欄は見る。

 ▼レーガン落選を祈っていたはずの当時のソ連も、再選が確実になると、グロムイコ外相を訪米させた。安倍政権を敵視してきた中国政府も、対日関係改善へ舵(かじ)を切るべきか、思案の真っ最中かもしれない≫


平成8(1996)年3月、台湾初の総統選挙で李登輝氏再選を妨害しようと、江沢民台湾海峡に向けてミサイル発射訓練を実施した。
米国は、当時横須賀を基地としていた空母[インディペンデンス]を台湾海峡に直ちに派遣したが、日米同盟で日本に派遣されている[インディペンデンス]は表面上は「非核武装空母」であるから、江沢民は少しも怖がらなかった。むしろ、威嚇すれば退散するだろうと読んだ節がある。
ところがあのクリントン大統領は、核武装された空母「ニミッツ」をペルシャ湾から急行させて、台湾海峡に2空母体制を取った。つまり、対中核抑止体制を取ったのである。
これには大ぼら好きの江沢民も取る術がなくなり、ミサイル演習は小規模に終わらざるを得ず、「天候のため」と言い訳して威嚇はほぼ不発に終わった。
この時一番被害を蒙ったのは与那国島の漁師たちで、年収が5千万円減収したのだが、日本政府は責任を取らなかった。このころから現地には自民党政権に対する不満が高まっていたのだが、決定的だったのは、橋本首相による現地軍用地地主にも耳打ちせずに公表した『普天間返還』宣言であった。
これで現地自民党は分解、崩壊した。ヤマトンチューに裏切られた!と感じたからであった。しかし自民党本部は誰も気づかなかった…「自眠党」だったのだから…


このミサイル威嚇のせいで台湾人は自覚し、李登輝総統は再選された。
よほど不満だったのか、シナは7月に45回目の地下核実験をして、生意気にもモラトリアム(一時停止)を宣言した。力が支配する国際情勢なんぞこんなものだ。

今回も、安倍政権圧勝とみて、中国新聞社は「失政の核心理念である憲法改正の道を開く」などと安倍首相の狙いを批判的に分析した(産経)らしいが、余計なお世話だろう。自国に対する批判を“内政干渉”として極度に嫌うシナに言われる筋じゃない。
しかしこれは彼らの本音だろう。日本が本気で憲法を改正して、真の独立国になられると、アジア諸国から不信感を持たれているシナとしてはとても苦しい立場に追い込まれるという危機感である。
シナは、“お人よし国家”日本をいつまでも「韓国なみの劣等国」として支配下に置いておきたいのである。


今回の台湾国民は、ひまわり革命と、隣国香港の雨傘革命を見て、1国2制度というシナの矛盾に満ちた支配制度に危機感を持った。その結果、国民党は大敗し、次期総統選挙に国民党候補は立候補しないとまで宣言した。
香港もそうだ。英国の支配下で、曲がりなりにも民主主義を身に着けた学生や市民らは、シナの支配に拒否反応を示した。そして武力解放ではなく、デモ隊は自主的に整斉とした解散を進めている。

人類は、いつまでも延々と続く武装闘争や、非民主的官憲の独善行為に嫌気がさしているのである。それに気づかないのが、権勢を誇る?世界各国の政治屋たちである。


わが国の選挙制度は、いささか無責任で気まぐれで、衆愚的要素は否めないところはあるが、それでも「自由な意見と行動」は保障されている。金は飛び交っているだろうが、少なくとも反対しても殺されることはない!

息が詰まるような支配体制下にある近隣諸国国民にとっては、実にうらやましいと感じたことだろう。特に政府に抑圧され、逮捕され、拷問され、内臓を奪われているシナの人民に取っては…。


さて、安倍首相は、今回圧倒的に信任されたのだから、「強硬な安倍独裁政権」などと反日ジェーナリスト等に難癖つけられようとも気にすることなく、残る4年で「美しい日本」を取り戻してもらいたいと思う。

コバンザメ与党もそのうちに得意とする『損得勘定』を駆使して、生き残りを模索し始めるだろうから、自信を持って国家安泰の方策、つまり流動する国際情勢に堂々と立ち向かえる「新生日本」を立ち上げてほしい。

国家の安定なくして、何が「生活が一番」だ!

それにしても、インターネット上で言いたい放題の若者たちの今後の自覚を促したいものである。自分たちの未来は、自分たちの肩にかかっているということを決してお忘れなく。


≪お知らせ≫
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拓殖大学公開講座「日本文明の肖像3」

日時:12月20日(土)1400〜1630
場所:拓殖大学文京キャンパス C館301教室
テーマ「国防とは何か=日本文明の守り方」
  講師:軍事評論家・元空将  佐藤守

昨年、遠藤浩一教授から依頼されていたもの。「来年の話だから、生きていたらお受けします」と冗談を言ったところ、遠藤教授の方がこの5月に先に逝かれてしまった。
元戦闘機のりに過ぎない私ごときに論理的講義ができるはずはないが、防大時代から38年間の体験を込めて、何とか故遠藤浩一教授の要望に応えたいと思っている。

問合せ先:拓殖大学オープンカレッジ課 03−3947−7166

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