軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

最高裁、裁判員裁判判決を破棄

週刊文春2月12日号を読んでいたら、あれっと?と思うページが出ていた。
表面上は「お詫び記事」なのだが、次ページ以降に「反論」が出ているのである。少し小さいが一部を添付しておく。詳細は週刊誌を購入してご一読あれ。

戦後に蔓延りだした?“新興宗教”にはセックスがらみが多いのは、何とも“不可解”だが、人類はアダムとイブの時代から、そうだったのだ、と言われればそう思う以外ない。
未だに裁判が継続されているオウム事件の時にもそんなうわさが飛び交った。まさに「マインドコントロール」の典型だろう。


文春の「謝罪広告」解説文は、なかなか面白い。自衛隊だったらこうはいかない。それは文春は「ペン」が活用できるからだが、自衛隊は「剣」しか使えないから反論が困難だ!
私は雫石事件にとっぷり浸かった経験上、別世界の存在だった裁判官があまりにも現実離れしているのを知って判決文など読む気がしなくなったのだが、文春も最高裁裁判官が【60年前の判例金科玉条に】しているとして、現代日本における裁判制度の欠点を描き出している。
今回の例では芹沢青山大教授が「(記事を書く側が)自発的に間違いを認めて謝るのなら別ですが、謝る意思がないのに謝罪を強制されるのは明らかにおかしい」となかなか常識的ないいことを言っている。
誤りを指摘されても謝らない新聞社があるご時世だが、戦後の日本国は、何でもかんでも「謝りすぎた」から、それを裁判所は“前例”にしているのじゃないか?
文春記事の後段には「元エリート裁判官」が「法廷に蔓延る偏見と非常識」を覚悟の上で暴露しているが、読むとさもありなんと納得できる。
「平成10年10月、大相撲の八百長問題を報じた『週刊現代講談社)』に対し、日本相撲協会と力士らが約7億円の損害賠償を求めて提訴。約4千万円の損害賠償が確定した。しかし、陳述書で『八百長はやっていない』と述べ、賠償金を受け取った原告側力士らの一部が、後に八百長をしていたことが発覚して大騒動になったのは周知のとおりだ。陳述書だけで判断を下すのはやはり問題なのです」と彼は言っている。


この事件の担当記者は私がよく知る友人だが、当初から彼は綿密な取材をしていたからなぜ敗訴したのかわからなかった。しかし、会社側が、相撲協会などの権威?に負けたのだろうとは思っていた。
案の定その後続々八百長が発覚して相撲協会が国民の顰蹙を買ったことは記憶に新しい。週刊現代裁判は、裁判官のミスジャッジではなかったのか?
朝日新聞同様、彼らは一切訂正も修正もお詫びもしない。
雫石事件も、なだしお事件もミスジャッジだったと私は思っているのだが、今回のおおすみの事故ではなんとなく正義に近づいた感があるのは好ましい。
しかしメディアは依然として反自衛隊報道を継続している。海自救難部隊は、次回記者らを救助するときは、よく確かめてから救助した方がいいだろう。


ところで今日の本題は、裁判員裁判で死刑になったが最高裁で破棄された2事件についての感想である。
その1、【南青山強盗殺人事件】 東京都港区南青山のマンションで平成21年11月、住人の飲食店店長、五十嵐信次さん=当時(74)=が殺害され、伊能和夫被告が強盗殺人罪などで起訴された。被告は東京地裁裁判員裁判で黙秘を貫き、弁護側も無罪を主張。地裁は23年3月に死刑としたが、25年6月に東京高裁が無期懲役を言い渡した。

その2、【千葉大生殺害事件】 21年10月、千葉県松戸市千葉大4年、荻野友花里さん=当時(21)=宅から出火、焼け跡から胸に刺し傷を負った荻野さんの遺体が見つかった。別の強盗事件で逮捕されていた竪山辰美被告が強盗殺人罪などで起訴され、裁判員裁判の1審千葉地裁は23年6月、求刑通り死刑に。しかし25年10月に東京高裁が破棄し、無期懲役とした。


裁判員裁判が始まった時、私は本来裁判官たるべきものが担当すべきであって、一般国民を裁判にかかわらせるのは、外国の陪審員制度を真似するのだろうが、それにしてもプロとして恥ずかしくはないか?というような意見を書いた気がする。≪己の無能を部下(一般人)の血(苦労)で購うな!≫とも書いた気がする。

この制度は、自衛隊パイロットが少ないので、民間機操縦者がスクランブルについてほしいというようなものだが、それじゃプロたる我々空自パイロットの名が廃る!
そういう気分で論評したはずだ。しかし、裁判員制度は定着し、今まで非常識と思われるほどだった量刑の軽さに、一石を投じる結果になったし、いつまでもダラダラと時間がかかる裁判期間が少しは早くなった気がしていて、外の血が入ると、腐りかけていた本体の血も甦るものか?とその点では評価してきた。

特に、今までの殺人事件の量刑は何を基準にして決めているのか知らないが、被害者よりも、殺人者側の方が優遇されているように感じられ、これじゃ殺人事件は減らないだろうと思っていたが事実結果はそうだった。
そこへ国民一般の常識が作用し始めて、極悪非道な犯人に対して鉄槌が加えられ始めていた矢先であるから、今回の最高裁の判断は、せっかく軌道に乗りかけた裁判員制度を振り出しに戻すようなものであろう。

忙しい一般人に判決文を書かせておいて、それを否定するとは、礼儀知らずにもほどがある、とまでは言わないが、それにしても地方裁判所高等裁判所で判決が180度異なるようじゃとてもすんなりと判決に従う気がしない。
加えて犯人側につく弁護士の存在だ。彼らは「正義」よりも「悪の味方」なのかそれとも最後は≪金目≫なのか?こんな制度も見直すべきじゃないか?


死刑は重すぎるというが、罪状認定に使用する状況判断資料として、供述書に触れていない物は採用しない??バッカじゃないか!、葦の髄から天覗く、一点集中、全体像が見えない裁判官など、不要じゃないか?六法全書判例しか読まない裁判官には、絶対に裁かれたくないと国民は思っている。


裁判官も、一度身内に被害者を出してみるがよい。愛妻を殺害されて尚死刑は重過ぎる!と叫ぶのなら理解しよう。体験しない苦しみは、どんなに学力優秀な裁判官にも理解できないだろう。理不尽に殺された被害者の身内の気持ちになれない裁判官、というよりもそんな制度は不要である。

だから私は「復讐制度」を復活してはどうだ?とまで以前書いたはずだ。所詮裁判(民事は別にして)は復讐である。昔は一族が徹底的に敵討ちを遂行した。森鴎外の「護持院原の敵討」を読むがよい。
近代になって、敵討ちは野蛮だとされ、法律が整備されて、裁判官がそれに代わって敵を討ってくれるはずだったのじゃないか?

それが黒い法衣を纏って“恰好”つけただけの公務員的ことなかれ判決じゃ、むざむざわが子、親の無念を晴らしてもらえない被害者家族は敵討ちの原点に返りたくなるだろう。

とにかく、殺人を犯すような狂気持ちに更生は期待できまい。無期懲役になって立派に更生した犯人はどのくらいいるのか?偽善もほどほどにするがよい。
凶悪犯だった元囚人がいつの間にか出所していて、名前を変えて一般人に混じって平然と家庭を持っているということも知られている。殺され損じゃないか!それでも殺された側の家族には手出しができないというのは、あまりにも理不尽、不公平じゃないか?それじゃ「近代文明社会」などといえた義理じゃあるまい。
少なくとも私にとっては屁理屈をつけて「犯人側を手厚く扱う不公平な裁判官」は不要である。


届いた本のご紹介
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≪人間の生き方。ものの考え方:福田恒存著:文芸春秋刊¥1500+税≫

戦後最強の思想家、本物のジャーナリストが時代の若者たちに説いた講義集である。全集は各種出ているが、この著書は昭和37年から昭和55年にかけて「合宿教室で行われた4回の講義と学生たちとの対話」が収録されている。
御子息の福田逸氏と国民文化研究会が編纂、文春が発刊したものである。
ISILの凶行に対して、腰抜け政治家らやいっぱしの人道論をTVで語る有識者らには、次の言葉を紹介しておこう。
「秩序を守るために……当然犯さなければならない悪というものがある。それに耐えてゆく、それが思想というものだと思います。政治というものはなんらかの意味で悪を犯さなければ成り立たない。ある時は嘘もつかなければ成り立たないのです。政治にかぎらずあらゆる思想というものはみんな悪を持っています」
悪だけしか持たない政治屋は論外である!


≪軍事研究3月号:ジャパンミリタリーレビュー¥1230+税≫
情報の重要性と、継続的武器の研究開発の重要性、並びに黙々と訓練に励んでいる自衛隊員の姿が見える編集になっている。


●次は私の個人的PR

≪実録・戦闘機パイロットという人生:青林堂¥1600+税≫
私の34年間に及ぶ空自パイロットとしての体験談集である。書いてみて、いろいろと(国費で)体験させてもらったものだな〜と国に感謝している。

解説代わりに写真を多量に使ったのだが、編集者が素直に採用してくれたので有難かった。ただし、家内は「少なくとも著者紹介欄のウイングマークを受領した時の記念写真は、仲間から『サギだ!』といわれそうだ!」と気にしている。経年変化がよくわかる「老兵」の写真を採用してほしかったというのだが、適当なものがなかったらしい。今後用意しておこうと思う…

発売は今月24日の予定。漸く決着がついて一段落したところ。
これで「軍事関係」は一段落したから、次回からは「宇宙研究」に取り組もうかな〜と思っている。CBC・TVでは「宇宙研究家」と紹介されてしまったから。

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