軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

川崎中一殺害事件

早速コメントが寄せられていたが、表記凶悪事件は絶対にうやむやにしてはならないと思う。
今朝の産経は、ほぼ犯人の目星がついているらしいと報じた。

川崎市川崎区の多摩川河川敷で同区の中学1年、上村遼太さん(13)が遺体で見つかった殺人、死体遺棄事件で、上村さんと交友のあった10代後半の少年3人が事情を知っている可能性が浮上し、神奈川県警川崎署捜査本部は24日、このうち1人を任意で事情聴取した。残る2人についても今後、聴取する方針。

≪現場に花束をささげ、祈る人=産経から≫

上村さんは、年上のグループと一緒に行動しているところをたびたび友人らに目撃されており、捜査本部は、交友関係の中で事件に巻き込まれた可能性があるとみて、事件との関連について事情を聴いたもようだ。これまでの調べでは上村さんの死亡推定時刻は20日午前2時ごろで、首の後ろから横にかけて鋭利な刃物で複数回、刺したり切ったりした傷があった。顔や腕にも切り傷があり、死因は首を傷つけられたことによる出血性ショックだった。犯行に複数の刃物が使われた可能性も浮上している。

上村さんの死亡推定時刻前、河川敷近くの防犯カメラには、4人以上が写り、その後1人少ない人数で戻ってくる姿が写っていた。いなくなった1人は上村さんとみられている≫


さらに31面には、彼は隠岐の島時代に人気者だったと書かれている。
日教組がはびこる神奈川県の、しかも多国籍人が集中する異郷の地・大都会?川崎で13年の短い命を絶たれたことを彼は恨んでいるに違いない。


次々と会見の席に顔を出す大人たち!教師も教委関係者もすべてが「事なかれ」で、責任回避に懸命だが、13歳の純真な魂に比べて、“大人”と称する卑怯者たちの無責任さにははらわたが煮えくり返る思いがする。
何が「命の大切さ!だ」。

彼をかわいがって育ててきた祖母は、現場で額づいてこう語っている。
島根県在住の上村君の祖母が訪れて献花した。「まだ13歳。あんな残酷な殺し方をするなんて。犯人を許すことはできない」と手や唇を震わせ、憤りをあらわにした。

花束を置くと、しばらくしゃがみ込んだまま。「一番大事で、かわいがっていた孫。何を言ったって戻ってこないんだから」と話しながら涙をにじませた。

上村君は小学6年で川崎市に引っ越す前、島根県隠岐諸島の西ノ島に住んでいた≫


これでも事件を未然に防げなかった教師や関係者は、言い逃れをする気か?
どうせ「プライバシー尊重だ…」とか、「これ以上は個人情報保護法で…」などと、いかに動けなかったか、という言い訳に終始する気だろう。


そしてやがて裁判になる。
犯人側の弁護士は、ことの重大性や正義という観点よりも、自己顕示と金儲け?に終始し、これでもか!といわんばかりに凶悪な犯人の挙動を“弁護”するのだろう。
他方“人道主義”に基づいて判断する?裁判官も、正義の追求ではなく、過去の判例に従って、「未成年であり更生の余地がないとは言えない」などと言い訳しつつ、おそらく死刑にはしないだろう。
こうしてこの世には、いかがわしい凶悪犯が生き残り、まじめに世の中の一隅を照らしてきた被害者や、未来を担って生まれてきた有能な少年らが消滅するのだ。


私は現役時代から、≪自明の理を疑え≫と唱えてきた。つまり、この世で一般的に「正しい」といわれてきたこと、たとえば「南京事件」や「慰安婦報道」もそうだが、大新聞や学者と称する連中が唱える「近代社会は、時間の経過とともに発展してきたのであり、過去よりも現在の方が正しいのだ」とする恐ろしいほどの知的怠惰に警鐘を鳴らしてきたつもりだ。


江戸時代よりも明治時代、明治よりも大正、大正よりも昭和、そして平成時代の方が、日本は発展し、日本人の教養が高まったといえるのか?
確かに東海道は「籠」から新幹線になったが、それは一部の技術者が開発した「道具」が発展しただけであって、人類一般が進化した証拠では決してあるまい。
時代が新しくなればなるほど、社会が近代化すればするほど、つまり時間がたてばたつほど正義に近づくのだ!と勝手に解釈してはいないか?

冗談じゃない、今時電車の車中で見かける「近代日本人」の体たらくぶりには反吐が出る。老いも若きも男も女も、スマホとやらを一心不乱に見詰めつつ「電子おはじき」に余念がない。これを人類の退化といわずして何という?
物が進化すればするほど、人類は退化しているように見えて仕方がない。


13年しかこの世に生きなかった上村遼太君が、4〜50年後にどんな偉人に成長していたかは誰にもわからない。後期高齢者の仲間入りした私は、彼より優れていたとは決して思わない。ただただ、齢を重ねただけに過ぎないのだ。

それに反して残虐なISILの“処刑”を真似たかのごときこの殺人鬼らは、人類と呼ぶのもいかがわしい連中であり、更生を期待することはできまい。

彼らを裁くことになる“専門家”に言っておきたい。自分の子供、少なくとも身内がこのような残虐な殺され方をしたことを想起し、上村君の祖母の無念を晴らしてほしい。
彼らに上村君を殺す「何の権利」があったというのか!


ついでに学校の先生方に、昔話を語っておこう。
私は福岡の高校で剣道を学び、受験を控えた3年生の時に4人だけ残った我々は「四天王」と呼ばれて試合に駆り出されてきたが、当時の大将のJ君は地元大学を出て教師になった。いわゆる熱血教師である。
その彼がヤクザが多い地区の中学教師だったとき、卒業式に親父の日本刀を持ってきて「教師に仕返しをする!」と息巻いている卒業生がいたという。
もとより体力気力に自信がない先生たちは、見て見ぬふりで物陰でおびえて、剣道が強いJに依頼した。
直ちに彼のもとに駆けつけたJは、職員室に連れてきて諄々と諭したらしいが、よほど殺そうと思った某教師に腹が立っていたらしい。
しかし中学卒業生程度で剣道5段のJ先生に太刀打ちで来るはずはないから、素直に日本刀を差し出したという。
こうして卒業式は無事に終了したのだが、帰宅する彼を再び職員室に呼んだJは彼の卒業を祝すとともに、「親父さんに黙って返せ」とロッカーに保管していた日本刀を差し出すと、「先生、ありがとうございました」と言って帰って行ったという。


教育は「実力」がものをいう。学力はもちろん、体力は決定的である。“大人”である先生の実力にかなわないから子供らは従うのだ。
戦闘機操縦教育もそうだ。初期の学生何ぞ赤子の手をひねるよりも易しいのは当然で、ベテラン教官の足元にも及ばない。だから教育が成り立つのだ。

やがてひよこだった彼らも経験を積んで成長し、教官を超える時が来る。やくざの息子の彼も、自分もとてもかなわないJ教官のようになりたい、と思ったから素直に従ったのだ。


昔「愚連隊」という言葉がはやったことがあった。繁華街などで通行人を脅かしたりかっぱらいなどの暴力行為を働く不良青少年集団のことを言うのだが、これは「ぐれる」という言葉をもじったもので、その後映画にもなった。

要するに、家庭教育、学校教育などに不満を持つ少年らがたむろして、集団化したものだった。今回の事件の背景にもそれを感じる。

今回の悲劇に徹底的にメスを入れなければ、腰が引けて言い逃ればかりする歳を重ねただけの教育者?がはびこっているところでは絶対に改善できないだろう。

改善は、文部科学省の官僚では無理かもしれないが、これを機に親も社会も目を覚ましてもらいたいものだ。
上村君とご家族らの無念を思うとやりきれないものがあるが、犯人に少年法などを適用することなく、社会正義を基に≪正当なる罰≫を与えてほしいと願っている。


今日はあまりにも理不尽な殺人事件に腹が立ったので「番外編」をかきこんだ。

昭和残侠伝 Blu-rayBOX I (初回生産限定)

昭和残侠伝 Blu-rayBOX I (初回生産限定)

戦闘機パイロットという人生

戦闘機パイロットという人生