軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

暗殺事件と“惨殺”事件

報道によると、ロシアの野党有力指導者、ネムツォフ氏がモスクワ中心部で射殺されたという。彼はプーチン批判の急先鋒であった。

≪【モスクワ=黒川信雄】インタファクス通信によると、ロシア野党有力指導者のネムツォフ元第1副首相が27日夜、モスクワ中心部で何者かに銃撃され死亡した。

≪2012年3月、モスクワで取材に応じるネムツォフ氏(ロイター)≫

ネムツォフ氏はエリツィン政権下で第1副首相を務め、その後野党政治家に転じていた。プーチン政権批判の急先鋒として知られ、3月1日にはモスクワ市内でロシアのウクライナ介入に反対するデモの実施を計画していた(産経)≫


ロシアでは、反体制派はこうして暗殺されて消えていく。有名な女性ジャーナリストもそうだった。この時我が国のメディアが「報道の自由」を掲げて、ロシア政府に徹底抗戦した記憶が私にはない。「怖いものは怖い」のだ。相手が“民主的”で、暗殺されないとわかっている相手だけを声高に非難するのが、わがメディアの掟の様だ。つまり偽善だ。


ところで現代の“大国”シナはどうか?

丁度面白い情報が届いた。博訊報によると「追い詰められている腐敗官僚たちが、米国製の優秀な“狙撃銃”を購入して、習近平を暗殺しようとしている」というのである。
そこで主席を警護する“用心棒”たち(写真の赤丸で囲った男)がどんどん増えているらしい。

≪博訊“新聞網”から≫

習近平王岐山は何回も暗殺が計画されたことがある。たとえば会議室内に時限爆弾が仕掛けられたり、301病院には毒針注射器が用意されたことがあったがが未遂に終わった事件があった。
ところが今回は、ある省の腐敗官僚の家宅捜索で「米国製狙撃銃」が見つかり、暗殺計画が暴露されたというから、なかなか終わりそうにない。


次の一覧表は大紀元がまとめた「中共高層(高官)暗殺事件」だが、ロシアに負けず劣らずであることがよくわかる。日本ではほとんど伝えられていないし、以前ここに、胡錦濤主席暗殺未遂事件を書いた時も、多くの仲間たちが「まさか〜〜」という程度の反応だったから、それが現実だったことを≪大紀元≫から引用しておこう。


2013年に政権交代した時、胡錦濤習近平に「中共建設後の33年間におきた、中共高層(高官ら)の暗殺、および未遂事件」を披露している。
各省、各市の官僚らによる政権争いで起きた暗殺事件を入れると数えきれないのだが、高官については表にまとめられている。


一覧表の矢印の先の人物がターゲットであり、そこには「事件名」発生日時などが書かれているが、いやはや実に興味深い。
たとえば私は2006年5月に黄海で起きた胡錦濤暗殺未遂事件を書いたのだったが、軍事演習視察で北海艦隊を訪れた胡錦濤が乗艦していた軍艦が、2隻の軍艦から発砲されたものであった。危機一髪だったのだが、胡錦濤はヘリで逃げて助かった。
この時彼は昔住んでいたことがあるチベットが安全だというので、しばしチベットに滞在したのだったが、日本のメディアは全く気が付かなかった。
このころ私は岡崎研の日中安保対話の一員として良く訪中していたから、食事中などにさりげなくこの話題を持ち出して反応をうかがったが、否定も肯定もされなかったから確信したものだ。


2007年10月20日北京五輪開幕直前にも2・5kgの爆薬が見つかっていたという。高官に対する暗殺(または未遂)の数は、朱鎔基9回、尉健行9回、周永興5回、羅干1回などだが、朱鎔基の時は母親が死亡している。
令計画の息子、令谷は2012年3月に有名な「フェラーリ事故」で死亡した。


一連の高官暗殺回数を見れば、毛沢東35回、周恩来17回、トウ小平11回、劉少奇12回、朱徳9回、林彪8回、宋美齢4回、華国鋒3回、揚尚昆3回、胡耀邦2回、萬里2回だそうだから、マ、【暗殺】はこの国の伝統?文化?だといってもいいだろう。
習近平は18大会後に少なくとも5回、王岐山は4回襲われたというから、歴史上の番付では前頭程度というべきか?

勿論本人だけではなく家族も狙われるのだから、指導者たちは回避するのが精いっぱいで、13億の人民の幸福なんぞ考えている暇はあるまい。


それに比べるとわが政界は「政治資金」問題で、重箱の隅をつつくのが議員の仕事だと勘違いしている者が多くて、そのレベルの低さは、世界一流だといえよう。政策の審議よりも金と女のスキャンダル探しに熱中できるのだから、今後は週刊誌記者が議員になった方が手っ取り早かろう!
わが国の戦後では、唯一浅沼稲次郎が刺殺されたことがあったが、この時たるんだわが政治屋たちもピリピリしたものだった。良い悪いは別にして、その点ではシナの政治家らの“緊張感”に比べれば、その足元にも及ぶまい。
3000人?とかいう親中派一行様を引き連れてシナ詣でをする議員さんがまだいるほどこの国は観光第一主義だから…。しかし、そんな身の毛がよだつような暗殺王国に行く者の気がしれない。


ところで川崎の中一惨殺事件は、凶悪犯の“少年ら”が逮捕されたようだが、日教組の支配が徹底し、人権派弁護士がたむろする土地柄、神奈川県警のこれからの調査活動には気苦労が大きいことだろう。


川崎市川崎区の多摩川河川敷で同区の中学1年、上村遼太さん(13)が遺体で見つかった殺人、死体遺棄事件で、少年3人が殺人容疑で逮捕されたことを受け、川崎市教育委員会は27日夜、臨時の会議を開き、子供の安全を守るための対応策について話し合った。

会議には渡邊直美教育長のほか、教育委員5人が出席。冒頭、市教委の担当者が事件の概要を報告し、「子供たちは大きな衝撃を受けている」と指摘した。

渡邊教育長は「尊い命が失われ、あってはならないことを起こしてしまった」と語るとともに、「どういったタイミングで事前に察知できたのか、子供たちが相談できる環境があったかどうか検証する必要がある」と強調した(以下略=産経)≫

≪事件の再発防止のため市教委に検証委を作ると表明した川崎市教委の渡辺直美教育長=27日夜、川崎市役所(柏崎幸三撮影)=産経≫


この種事件は今に始まったことではない。サカキバラ事件(犯人は改名して既に社会に復帰?しているそうだが)、佐世保の女子高生殺人事件など、「お手本」はいくらでもあったではないか、教育長殿!
要するに緊張感が足りなかったのである。
そして起きてしまってから≪再発防止…≫などとのたまう。「給料に見合った仕事をセイ!!」とまではいなわないが、教育を担当する者として少しは反省するとともにしっかりと自覚してほしいと思う。

しかし、今回のこの事件を知った国民は、断じて彼ら“少年”と称する凶悪犯を許しはしまい。今朝の産経抄子はこう書いたが同感である。


産経抄】2月28日
きょうの新聞をご覧になった読者のみなさんの中には、何かが欠けている、と感じられた方も多いのではなかろうか。川崎市中1殺害事件の容疑者名が、どの新聞にも載っていない。

▼テレビ、ラジオもしかり。しかも報道各社が、申し合わせて自主規制した結果でもない。逮捕された3人がいずれも17〜18歳の未成年で、少年法で保護されているからだ。

少年法61条は、未成年者が訴追された場合、「氏名、年齢、職業、住居、容ぼう等によりその者が当該事件の本人であることを推知することができるような記事又は写真を新聞紙その他の出版物に掲載してはならない」と規定している。容疑者が訴追される以前も禁止されているかどうかは諸説あるものの、各社とも捜査段階から名前や写真の掲載を控えている。

▼にもかかわらず、インターネット上には早くから容疑者とおぼしき人物の実名と写真、さらに、真偽不明のウワサさえ出回っている。しかも必ずしも違法と言いきれない。少年法が掲載を禁止しているのは「新聞紙その他の出版物」のみ。法律ができた終戦直後には、ネットというメディアは想像さえできなかったからだ。

▼13歳の被害者は、名前と写真はもちろん、テレビは殴られた後の写真まで放送しており、加害者のプライバシーだけ守る法律は公平性を欠く。そもそも選挙の投票権を18歳以上に引き下げようというのに、20歳未満が少年という規定自体が時代遅れである。

連合国軍総司令部GHQ)主導で、少年法がいまの形になった前年には、これまたGHQ主導で新憲法が施行された。占領期に急ごしらえでつくった法体系は、明らかに揺らぎ、軋(きし)んでいる。今すぐ補強し、建て替えないと国全体が倒壊してしまう≫


押し付け憲法も変えず、したがって法令も昔のまま、すべての国家規範がガタガタになっているにもかかわらず、政府はすべてを放置したままであり、国民は“豊かな”その日暮らしを楽しんできた。しかし“放置国家”ももう限界にきている。


親御さんたちは、息子たちを上村君のように惨殺されたくなかったら、奇妙な人権派弁護士や、無責任な学校教師らに未来を担う大切なわが子=宝物を預けていてはならないということを悟るべきだろう。
一時先生になり手がなかったころ「デモシカ先生」といわれた時期があった。もちろん一部を指す言葉だが、このような事件のたびに「本当だったのだ!」と思わざるを得ない。

紳士面した狼がはびこる“場所”に、赤頭巾ちゃんを預けるような間違った学校制度を早く修正するよう関係官庁は全力を尽くさねばならない。
少子化対策よりも、その方がずっと重要だと思うのだが…。
“平和”な我が国にもシナのような「高層暗殺」計画が生じないうちに進めてほしいものだ。


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