軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

予知より備え!

このところ大きな地震や噴火が相次いだ。3・11で地盤が大きくゆがんだのだから大自然がゆがみを直そうとしているのであろう。地球のバランスが崩れれば自転している地軸にひずみが生じ天変地異が連続するからで今後しばらく地震と噴火は収まるまい。



口永良部島の噴火と救出された子猫=産経から≫

日曜日午前、近所にある米国資本の大型スーパーに行ったが大混雑だった。客のほとんどが水やトイレットペーパーを多量に買い込んでいたから、「地震対策だな」というと、家内もそれをみてミネラルウォーターを2パック(250mg100本!)買い込んだ。これで当分生き抜ける!


庶民は昔から賢いものだ。高邁な理論や政策を説く高学歴な諸先生方をあまり信じてはいないからだろう。緊急地震速報を出されても、庶民が取れる手段は限られている。それよりなによりも現実的に備える方が役に立つ。3・11でも多くの体験談を聞いたが、普段からの備えが一番だ。


永田町の方々には庶民がどうなろうと“本心”はどうでもいいのだ。一番わかっていない人がわかったふりするから犠牲者が増えるのだ。
3・11の時の民主党政権の罪がいかに重いか、中には自分の家族を国外に退避させておきながら、無責任な言動をとった大臣もいたのじゃなかったか?
十分ひどい目に遭った庶民は、そんな戯言なんかよりも、現実に備える行動をとっているのだ。口永良部島で噴火が起きた時も国会は休んでいたし。

≪退席の野党に自民党議員「仕事しろよ!」 TV中継ない日狙って審議止める?(産経)


≪首相のヤジで審議中断!=産経から≫

安全保障関連法案を審議する衆院平和安全法制特別委員会は29日、実質審議入り3日目で早くもストップした。岸田文雄外相の答弁に反発した野党が退席したためだが、同じ時間帯には鹿児島・口永良部島で噴火が発生。緊急事態をよそに与党は審議続行を求め、「徹底した審議」を求める野党が“審議拒否”するという政争が展開された…。≫

要するに“彼ら”は真剣じゃないのだ。タレント気分でテレビに映るのが目的なのだ。なぜ?って、選挙民に仕事をしているふりを見せ付けるためにTVを利用しているだけなのだ。


其の昔、NPT批准審議で国会に通っていた時もそうだった。NHK/TVがカメラを構えライトが点くと、議員諸侯は突然姿勢を正し、威張りだして答弁に立つ外務局長クラスを詰問したものだが、ライトが消えるとしょぼんと座っていた姿が印象に残っている。こんな2面性を目撃した当時3空佐の私は以後政治家らを信用しなくなった。連中は「売名」だけで生きていると知ったからである。
そんな連中が「シビリアン」とは泣けてくる!


ところで書斎整理中に平成5年1月12日付の朝日新聞が出てきたが、[論壇]欄に、山本夏彦氏の「売られる言葉と買われる言葉」と題する次のようなコラムが出ていた。
≪▼また暮れが来てまた正月が来た。歳月は勝手に来て勝手に去る。一年たつのは早いものだ。百年たつのも早いものだ(中略)▼言葉は売買されるとどうなるか。買い手の気に入ることを言うようになる。これを『迎合』という。▼正直者は馬鹿を見るという言葉はその一つである。読者が貧しいのは正直だからだと言わんばかりである。うまく立ち回ろうとして、又は儲けようとして、仕損じた大衆はこの言葉が大好きである。故に新聞はことごとに言う。百万読者に媚びるのである。読者を一人でも失いたくはない。▼かくて執筆者は新聞に、新聞は読者に迎合する。互いに迎合し合ってその自覚がない。▼『話し合い』という言葉も大嫌いである。南京大虐殺はなかったという派と、あったという派は話し合いはできない。イデオロギーが違えば互いに聞く耳を持たない。論より証拠というが、証拠より論である。▼国家が国家から大金を借りて、利子も元金も払わぬ、無い袖は振れぬと威張るがごときは戦前はなかった。あれば軍隊を差し向けると威嚇できたからである。▼威嚇するどころか謝ってばかりいるのに国民は不服である。我が国に国民の支持ある軍隊がないからだと知ってはいるが言わないのは、言うのがタブーだからである。(中略)▼教科書の見分け方は易しい。自分の国の悪口を勇んで書く教科書なら悪いに決まっている。(以下略)≫
今読んでみると朝日新聞がよく掲載したものだと感心するが。


「予知と備え」は国防にも当てはまるのだが、永田町の皆さんはそんなことはどうでもいいのだ。
産経の野口裕之記者が≪「自衛官のリスク」を仮想する政治の偽善≫としてSANKEI EXPRESSにこう書いた。(http://www.sankeibiz.jp/express/print/150601/exa1506010600001-c.htm

≪安全保障関連法案をめぐる国会審議は、国家主権や国民の守護など国益に必要か否かより「自衛官のリスク」が先行する。法案潰しを狙い自衛官の命を気遣う偽善はミエミエ。

いっそノーベル賞作家・大江某のごとく、防衛大学校生は「現代青年の恥辱」と表現してくれれば「前時代の輩」で片付くが、今の左翼は中庸を装うので始末が悪い。

しかも、激烈な火力と対峙する自衛官に、警察官と同じ武器使用基準を強要する隠れ左翼ほど「自衛官のリスク」を叫ぶ。大きなお世話だ。

自衛官の命を気遣うフリをする勢力は、集団的自衛権の限定的行使を可能にせんとする政府に「憲法改正が筋」と説教を垂れる勢力とも重なる。

本心では自衛官の命などどうでもよく、改憲も嫌がる反動分子なのだ。
欠陥憲法・法制で縛られる自衛官は命の危険を克服すべく、限りなく100%に近いリスク回避を求め作戦を練る。

それでも、東日本大震災(2011年)では被曝覚悟の《鶴市作戦》を用意した。
(中略) 民主党政権はリスクを正視する自衛官の決心に心打たれるでもなく、自衛隊など諸組織を前に高圧・感情的な指揮・統率モドキを露呈する。

無能・無策でリスクを広げた民主党が「自衛隊のリスクは飛躍的に高まる」と連呼する無様は滑稽である。(中略)
一方、精神的にも物理的にも、安全保障上のリスクと直接闘(戦)わぬ野党政治家が仮想する「リスク逓減」は政治の道具に過ぎず、主張を入れればむしろ作戦・活動の柔軟性を奪う。

政治家は自身が発する浅知恵が生む自衛官のリスクを自覚していない。≫

全くその通りだ。コラムニストの山本氏が「イデオロギーが違えば互いに聞く耳を持たない。論より証拠というが、証拠より論である」と書いたように、イデオロギーが全く異なる自民党と野党・民主党の間に『話し合い』ができるはずはない。つまり時間稼ぎのあら捜しであり、反対のための反対に過ぎない。○○につける薬は、鼻からないのだ!



≪こんな連中こそ“国家的リスク”じゃないか?=週刊誌から≫

第1次政権では、あれほど“ひ弱”だった安倍首相の堪忍袋の緒が、これほど頑丈になったことは非常に心強い。質問もしない“前科者議員”に「早く質問しろよ」と言ったとか言わないとか、議場は紛糾したというが、どちらが悪い? 
国会は議論の場であって、政府に対して質疑するためのものである。聞くに堪えない愚論をくだくだと述べる輩は、バッジを外して議場を去るべきだ。
こんな連中に首相は「謝る」必要はない。謝るべきは質問者の方だろう。

偽善に満ちた「自衛官のリスク」とやらを問う前に、20年前にPKOで海外に派遣された自衛官たち、ペルシャ湾の危険な機雷掃海に出されたわが同期・落合君指揮する掃海部隊員らに「万一に備えた処遇」を考えた事があったか?

現役は縛りがあるから一切発言しない。自分らの意図するところは、指揮する立場にある「シビリアン」が代行してくれると信じて黙しているのだ。それをいいことに、そのシビリアンがこの有様じゃお先真っ暗だ。
せめてOBが代弁してやらねばならないと思っていた矢先、今朝の正論欄に、志方先輩が代表して?書いているから目を通してほしい。


●【正論】「自衛官に力与える『安保』審議を」 帝京大学教授・志方俊之

 安全保障関連法案の国会審議が始まった。特別委員会の求めがあったとしても、現役の自衛官は事実関係を述べるだけで、法案に関する所見を表明することはない。筆者が自衛隊を退官したのは1992年で23年前のことだから、今の現役自衛官が法案審議をどう見守っているかは全く分からない。

 筆者が退官した時点は国連平和維持活動(PKO)法案が国会で審議中であり、現役の自衛官が活動の対象地となるカンボジアに入ることはできなかった。たまたま自由の身となったばかりの筆者は、首都プノンペン明石康国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)事務総長特別代表と面談する機会を得た。

≪「危険の共有」で得た評価≫

 今回の国会審議を見て、筆者は「良い時代」が来たものだと思う。今の自衛官は本当に幸せ者だ。野党のお歴々が現地の自衛官のリスクが大きくなり、場合によっては死者が出るかもしれないと心配してくれる。大いに心配して、現地の自衛隊が戸惑わないような法律にしてほしいものだ。

 カンボジアでのPKOには、参加5原則が付されているからリスクはなかったといえるだろうか。自衛隊が5原則を守ったとしても、相手は神出鬼没のポル・ポト派である。際どいことが何件もあったが、現地自衛隊の指揮官と全隊員が一致団結して危機を乗り越えてきた。
 PKOだけではない。その直前に行われた海自による「ペルシャ湾掃海派遣」は、湾岸戦争終了後に自衛隊法に基づく通常の任務として行われた。他国の掃海隊が処理できずに最後まで残留していた危険きわまりない34個の機雷を処分した。うち29個は水中処分隊員が機雷に近づき手作業で処分したのだった。

 わが国は湾岸戦争では130億ドルの資金協力を行ったが、戦後とはいえ、「危険を共有する」海自の行動こそが国際社会の高い評価を受けたのである。

 最も困難だったのがイラク人道復興支援活動だったのではないか。サマワという「非戦闘地域」での活動であったが、宿営地にロケット弾が落下したり、路肩爆弾で陸自車両が攻撃されたり、空自の輸送機が携帯対空ミサイルの脅威にさらされたこともあった。

≪高く評価したい法整備≫

 自衛隊員に死傷者が出なかったのは現地部隊が指揮官を中心に全員が規律を守り、団結して士気高く行動したこと、そして「運」が良かったからである。決して「イラク人道支援・安全確保特別措置法」の緻密さが現地の安全を守ったわけではない。

 このように考えてくると、今回の「国際平和支援法案」と「平和安全法制整備法案」は、冷戦終結後の1990年頃に整備しておくべきものだったことが分かる。

 安全保障関連法が整備されていないにもかかわらず、国際社会が求める諸活動のために現地に自衛隊を送ってきた。そして現地の実情に対して十分ではない法律との難しい隙間を自衛隊が埋めてきた。その意味で、今回の法整備を高く評価するものである。

 海外における自衛隊の活動範囲が広くなり、武器使用の枠も拡大されるので、現地における自衛隊員のリスクは急激に高くなると心配する向きもある。しかし、必ずしもそうとはかぎらない。

 法整備がないまま現地の指揮官が武器使用を逡巡して対応が遅れることで、逆にリスクは高くなる。過剰に反応すると心配する論議もあるが、そこは現地指揮官を信頼してもらうしかない。
 部下を不必要な戦闘に巻き込まずに、任務を達成することが指揮官の務めである。今回の法案では「駆け付け警護」が含まれている。これで現地の指揮官は大きい悩みが一つ消える。

≪「事に臨んでは危険を顧みず」≫

 現行の法律でも、自隊の管理下にある市民を守るためなら武器使用は可能である。しかし、管理下にはいないが、自隊から3ブロック離れた街角に日本人を含む民間人が助けを求めている場合はどうするのか。自隊の管理下にはないからと見殺しにできるのか。果たして国民はそんな自衛隊を望んでいるのだろうか。

 これまでの海外活動で、自衛隊に死傷者が出なかったのには「運」もあるだろうが、必ずしもそれだけではない。

 自衛隊は現地で遭遇する状況よりも厳しい訓練をしている。訓練で汗をかき、実任務で血を流さないようにと努めているのだ。その厳しい訓練ですでに1851柱の殉職者を出している。
 自衛官だけではない。海上保安官は日本の海を守るため何人も殉職している。PKOでは警察官も殉職した。イラクでは2人の外交官が殉職している。このような若者たちの命によって国民の安全と生活が守られているのだ。

 自衛官である以上、リスクは当然ある。だからこそ自衛官は「事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め、もって国民の負託に応える」と入隊時に宣誓しているのである。≫


偽善者どもには理解不可能だろうが、国民の多くはよく理解してくれているはずである。
現役諸官よ、人手不足の上に仕事が増え過労気味だろうが、屈することなく任務にまい進してほしい。
OB諸官、特に若手諸君よ、ゴルフ・麻雀もいいが、機をとらえて掩護射撃をよろしくお願したい!
そのうちに中近東、インド洋、そして南シナ海など、わが国の生命線をめぐる紛争が惹起する。シーレーンの安全を脅かされる事態になった時、それを実力で排除できるのは自衛隊と同盟軍以外にはない。

永田町で無責任なたわごとを言い合っている連中には、絶対に手が出せない問題なのだ。「百年兵を養うのは、一日これを用いんがため」と先人は言った。
人員も予算も不足する中、唯一の望みは諸官らの熟練度にあることを忘れないで欲しい。≪愚論より備え≫である!

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