軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

消え失せた?日本型企業精神

今日の産経トップは「東芝歴代3社長のスキャンダル問題」である。読んでいてあきれたのだが、こんな男らが企業トップを、しかも3代続けていて、企業内部の浄化作用が全く効かなかったという事実だ。
ストレスがたまっている真面目なサラリーマンたちが、飲み屋で“ヒラメ社員”の話をよく持ち出すが、大企業の役員室ではこんなヒラメが養殖されていたのだろう!


社長64歳(昭和26年生まれ)、前社長66歳(同24年)、前々社長71歳(同19年)とあるから、いわゆる“団塊世代”というべきか。
人間の成長期の始まりを15歳と見れば、昭和34〜41年がそれにあたるから、丁度私が防大に入校したころだ。
当時は日米安保改定とその阻止運動で世情は混乱していて、教育界も大きく乱れていたころだった。
しかしわが経済界は「岩戸景気」で湧いていてマイカーブームが始まったが、米ソの対立が表面化した時期でもある。
いずれにせよ“安保闘争”で、東大をはじめとする学園紛争が続き、隣国では≪文化大革命≫という権力闘争が並行して起きていた。シナでは青年男女が10年間も基礎的勉学が出来なかったのである。いわゆる「下放政策」によって。
そんな連中が今、シナ大陸を支配しているのだから、西洋の教養人?達には彼らの考え方が理解できるはずがない。現代は、無教養と教養の対立とでもいうべきか? 国際政治が乱れるはずである。


やがて我が国は所得倍増政策でレジャーブームが始まる。
そんな俗世に背を向けて、私は小原台という人里離れた高台で、軍事教練?に励んでいたが、たまに外出して横須賀市内を制服姿で散策していると、東芝労組のデモ隊の行列からハンディートーキーで「オイッチニ!」「税金泥棒が歩いてる」などとからかわれたが、≪今に見ていろ!≫と逆に闘志がわいたものだ。東京五輪が国民の士気高揚に役立ったのもこのころである。

≪当時の防衛大学校全景。見はるかす「人の巷」は淀んでいたが、我々はそれを見下ろして超然としていたものだ。≫


さて、私より一回り若年の彼らは、その後どんな生活をしていたのだろうか?
しかし、新聞やTVで見る限り、彼らの人相に教養が感じられないのは共通しているから、彼らは案外デモ隊の列中にあって、私を「オイッチニ!」とからかっていた当人かもしれない…
冗談は別にして、世界に冠たる大企業の人事制度のお粗末さには、あきれてしまう。
月例会で「なぜ、そんなことが出来ないんだ。できないなら辞めてしまえ」と佐々木社長は怒声を響かせていたという。
理解に苦しむのが当時の幹部が「(彼は)完全に常軌を逸していた」と証言していることである。「カンパニー長を1時間締め上げていたこともあった」とも語っているから、そんな暴力沙汰を見逃していた責任はどうなる?

≪頭を下げる3人。何とも見苦しいが所詮“小物”だったのだ=産経から≫


岩手の中学校で起きたいじめ自殺事件もそうだ。教育委員や、校長らは東芝社長と同年代ではないのか?

前政権にもそんな首相らがいて、日米間の信頼を失わせ、中には原発事故の最も大事な瞬間に東電社員を集めて罵声を浴びせていて、現場の対処を3時間遅らせて恥じない首相もいた。
こんな『団塊の世代』が国を滅ぼしかけている!と言ってもよいのじゃないか?


東芝に関してはこんなこともあった。誤解がないように言っておきたいが、現役時代、私はワープロでは「東芝ルポ」に大変お世話になった!


東芝ココム事件
1987年3月、朝日新聞の次のような報道が事件の発覚となった。

≪米国防総省筋は19日、潜水艦のスクリューをつくるのに使われる日本製の工作機械がソ連に渡ったことを米政府がつかみ、ココム(対共産圏輸出統制委員会)の規制に違反する疑いがあるとしてこのほど日本政府に対し、調査を要請したことを明らかにした。関係筋によると、問題とされた工作機械は、東芝の50%出資の子会社である東芝機械の製品と見られる。
フライス盤の一種で、船のスクリューの羽根をつくるのに用いられる。軍事技術に転用可能な汎(はん)用技術製品で、ソ連は、これを潜水艦のスクリュー音を減らすための新型羽根の開発、製造に利用しているという≫


≪その後の半導体密約事件…=産経から≫


利益至上主義、業績至上主義が愛国心をも失わせたのだろう。この会社は国家安全に関しては前科数犯と言えそうだ。
所詮商人に「武士は食わねど高楊枝」の気概は求められないということか。


ところで先日、友人の女性社長から文芸誌が届いた。

≪財界人文芸誌「ほほづゑ」≫

同年代の彼女とは異業種交流会で知り合い、いろいろと教えられているのだが、送り状のメモに「最近のわが経済界もようやく[アメリカ資本主義(株主利益偏重)]の限界に気が付き、日本発[公益資本主義(社中に公平に分配)]の論調が出始めました。ゲゼルシャフト一辺倒の現代に、家業継承の家の哲学をお知らせいたしたく…」とあり、「中産階層の健全性の中核、社会全体に成長を還元する思想、企業文化を感じ取っていただければ嬉しいです」とあった。
私は経済理論には疎いが、彼女が実践した活動には全面賛成する。
≪連載:「博聞意伝=世代を超えて未来を語る」の中で彼女は「家業の奥義は“世のため人のため社会貢献”の精神」だと語っている。ちなみに彼女は創業元禄3年の由緒ある「株式会社池袋松屋代表取締役社長」である。


2700年余の歴史と伝統を誇る我が国と、200年そこそこの米国の文化とでは、根本的に差があることを自覚すべきじゃないのか?
戦に負けたからと言って、いつまでもそんな歴史の浅い白人文化に従っている必要はなかろう。
薩長土肥じゃあるまいし、鹿鳴館時代というバブルに従っていれば、商文化、商道徳も凋落するのは必定だろう。
やはり明治維新後のわが国の原動力になったのは「士農工商」の精神が受け継がれていたからか、と言いたくなる。
「商農工士」では道徳観念が育たないのだ!ということが今回の事件で証明されることにならねばいいが…


それに関連するから紹介しておくが、今日の曽野綾子氏の「透明な歳月の光」はよかった。
誰も責任を取ろうとしない、無責任事業の象徴になった“生ガキ”のような≪新国立競技場≫問題について彼女はこう書いたが全く同感である。


≪新しい国立競技場に2520億円もかかるというので、第一歩から出直しだのは、いいことだった。私個人としてはデザインのコンペの審査委員をした人たちにも、大きな責任があると思っている。
 オリンピック競技場であろうと個人の家であろうと、そもそもいくらで建てて、誰がお金を出すかという予算が、基本になる。実際には予算の範囲を少しオーバーしたということは世間によくあるが、審査委員たちの大半は専門家だ。これだけの面積、機能、意匠の難しさを要求するなら、昔風に言うと「坪単価、いくらでできるか」を推定できる人でなければならないし、当然わかっている人たちだろう、と国民は皆、思っていたのだ。
 審査委員長が、デザインの選定までが自分たちの責任だと言われていたが、そんなことはないだろう。これだけの建物は、到底、そんな予算ではできませんよ、という点まで考えて、コンペの結果を決めるのが当然だ。
 たとえば私は素人だから、自宅を建てるのに3千万円を用意すると、張り切って設計の専門家を呼びつける。建坪は3階建て、330平方m。地下にプール、中庭に泉水。床は総イタリア産大理石。天井は高く、エレベーターも設置する、というような注文をしたら、設計者は、「奥さん、坪30万円のご予算ではとてもそんなことはできません」と言うに違いない。概算で実現性の有無を示すことも、設計者の仕事である。
 デザインが選ばれたザハ・ハディド氏はイラク生まれのイギリス人だという。たった10入の審査委員中、外国人としては2人もイギリス入が加わり、結果としてはイギリス国籍の人が当選したとなると、私のように事情を知らない者ほど、あらぬ疑いをかけることになる。それを避ける程度の用心もしなかった今回の人事はずさんだったとも言える。
 今度のことには、深い根があると思う。日本の官僚全体が、生活の実情に合わせた倹約の精神など、全く持っていないことを、私もまた、長い問知らなかったのだ。
 昔ある財団に勤め始めてすぐ、「海の日」の企画にシンポジウムをやることになった。海外からも有名な海洋学者を2人呼び、2日間やる行事の予算額は、参加者1人当たり2万円になるという。
 「1人2万円なんて、地方だったら結婚式の披露宴ができる値段ですよ」と私は言った。この企画をした元官僚は、誠実で物知りでほんとうの紳士だった。ほかの点では、財団に良く尽くしてくれた。しかし生活の実情に合わせた予算を作るという感覚だけは、完全に抜け落ちていた。
 いざとなったら、お金はどこかから出てくる、というのが官僚の常識なのだろう。しかし庶民はお金はすべて汗の匂いのする労働の結果として得るもので、交渉や気の持ちようでは、どこからももらえない、と知っている。
 コンペからやり直すだけでなく、霞が関の体質を変えなければ同じことは、将来も起こるはずだ≫


建築デザイナーには、せめてカンナ引きの体験ぐらいしておいてほしいものだ。
「コメの花」も見たことがないまま、農政を牛耳っている官僚みたいなものだから。


今日書きたかったのは油井君の「宇宙への出発」に関する話題だったのだが、紙数がなくなってきたので簡潔に転載するだけにしたい。


今朝の産経抄子は「油井艦長の夢」としてこう書いた。
≪漫画家の松本零士さん(77)の父親は、旧陸軍の戦闘機のパイロットだった。「夜間飛行は、星の海を飛んでいるみたいだ」と聞かされたことがある。小学2年のとき、星空を眺めながら交わした、こんな会話も覚えている。「火星人はいるだろうか」「いるかもしれん」。

 ▼宇宙への想像力をかき立てられた松本さんは早速、火星人が登場する初めての作品を完成させた。デビューから60年以上たつ松本さんによると、宇宙を舞台にしたSF漫画で描いてきた出来事が、次々に現実のものとなっている。ただ、自らが宇宙船に乗って火星に到達する夢だけは、実現していない。

 ▼航空自衛隊パイロットだった油井亀美也(ゆい・きみや)さん(45)は、千曲川の源流にある長野県川上村に生まれた。美しい星空を天体望遠鏡で眺めるのが、何より好きな少年だった。宇宙飛行士になるという、幼い頃からの夢がまもなくかなう。

 ▼油井さんが乗り込むロシアのソユーズ宇宙船は明日23日、カザフスタンの宇宙基地から打ち上げられる。米露の飛行士2人とともに、国際宇宙ステーションISS)に向かう。ISSでは現在、将来の火星有人飛行を見据えて、さまざまな実験が行われている。

 ▼小学校の卒業文集にいつか「火星に行く」と書いた油井さんも、約半年間の滞在中、火星上空から地上に降ろすロボットの遠隔操作の実験などに参加する予定だ。油井さんはかつて小紙の取材に、日本独自の有人宇宙船が開発されたら、ぜひ操縦したい、との意欲も語っていた。

 ▼松本さんの代表作の一つ「宇宙戦艦ヤマト」の沖田艦長は、憧れていた父親をモデルにしたそうだ。火星に向かう「日の丸宇宙船」の油井船長は、SFではなく、ぜひ、この目で見届けたい≫


私も油井君同様、戦闘機で3次元の世界を飛び回り宇宙にあこがれた。体験したのは高度約18kmまでだったが、それでも十分成層圏の底を飛ぶ感動を味わった。

それに感化されて今や「スターピープル」の仲間入りを計画しているのだが、油井君が無事に地球に帰還したらぜひ体験談を聞きたいものだ。
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「露で軍用機事故が相次いでいる」最中だから、なんとなくメイド・イン・ロシアが気がかりなのだが、シンプルイズベストを信じソユーズで出発する油井君の無事を祈りたい。

届いた本のご紹介
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チャンドラ・ボース大川周明=山本哲朗著:興栄社≫
著者の山本氏は今年91歳で大川塾2期生である。氏は「日本史は昭和20年8月15日ですっぽりと切れてつながっていない。敗戦は「唖」を作り、誰も何とも思わない」と嘆く。
私も「大東亜戦争は昭和50年4月30日に終結した」を上梓した時、終戦のご詔勅を受けた国民は「耐えがたきを耐え、忍びがたきをしのんで」ただただ「唖」になったと感じた。
それをいいことに、特亜諸国からでたらめを言い募られるや、不勉強な官僚と目立ちたがり屋の政治屋どもが跋扈して、この国をまるで「東芝」のように謝罪専門国にしてしまった。
東芝は3代でつぶれかかっているが、この国は戦後何代の愚か者が支配してきたことだろう。その代表的なものが「村山」「河野」「宮沢」らだが、彼らは一向に反省も謝罪もしない無責任政治屋だった。
これは小冊子だが、日米開戦を回避しようとした大川周明氏率いる大川塾の活動を見直す時期に来ていることを痛感する。
氏は、東京裁判で東条首相の頭をたたいた…としてキチガイ扱いされているが、どうしてどうして、「復興亜細亜の諸問題」思想は今も通じる大事業であったのだ。

大東亞戦争は昭和50年4月30日に終結した

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戦闘機パイロットという人生

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