軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

空前絶後の暴挙?どちらが?

モリかけ論争が下火になって、逆に不利な立場に追い詰められた野党は、今度は陸自イラク派遣時の「日報問題」の報告遅延問題を取り上げ、「空前絶後の暴挙」だと政権をゆすり始めたが、モリかけ問題も日報問題も、どちらが仕組んだ暴挙だったのか!と問いたい。

モリかけ問題は、不浄な国有地をめぐる一部の利権者と国との抜き差しならぬ闘争が発端で、日報問題は、今度はスーダンではなくそれ以前のイラク派遣時の報告がなされていなかった、という問題だ。

確かに日報問題では、矢面のスーダンだけではなく、それ以前のイラク日報も要求されていたのに「報告」がスムーズではなかったことは、指揮系統を重んじる組織としては問題だが、日報そのものの意義を理解していない政治家の要求の方が暴挙に等しい、と私は感じてきた。

先刻ご承知の通り、この問題の端緒は南スーダンに派遣された部隊の周辺で“戦闘”が生起したことを隠ぺいしようとした政治家の方が問題ではないか?
その理由は言うまでもなく、自衛隊を外地に派遣する時、派遣先は戦闘がない“平和な”場所と限定したことにある。
当時の小泉首相などは、返答に窮して「自衛隊が展開しているところが平和なところだ」と野党をけむに巻いたこともあった。


しかし外電などを見ていても、スーダンは非常に危険な戦闘が展開されていて、いつ巻き込まれてもおかしくない状況だと推察されていた。

しかし、撤退すれば「それ見たことか!」と野党は嵩にかかって政府の判断の甘さ?を追求するだろう。そこで政府としては政治的に!あくまでも「戦闘」が起きてはならなかったのだ。

ところが現地の隊員は戦闘行動を「戦闘らしき行動」だとか、「部族間の闘争行為」などと政府を忖度して文学的表現を記載することは教えられていなかった。

つまり、「日報」とはタクシー運転手等がつけている業務日誌とは異なり、戦訓を得るための「戦闘日誌」なのであり、本来は情報公開の対象にするものではないモノなのだ。

そんな軍事的基本もわきまえない政治家らが、「“戦闘”が行われていたという事は、自衛隊を派遣するべきところではない」として政府の誤判断?を追求するためだけに見たい資料なのだ。

元来は「日報」というよりも「戦闘日誌」であるから、自衛隊としてはその内容を教訓と捉え、その後の対策に生かすための研究資料であり、やがて戦史・戦訓として活用されるものになる。


何とかの一つ覚えのように自衛隊でこの種の問題が起きるとすぐに「シビリアンコントロール」が問題にされ、「こういう組織が日本の防衛を担うのはまずい(産経)」という批判に結びつくからあきれてものも言えない。
衆院予算委員会で野党議員が「大臣を欺き、国会を欺いた2つのシビリアンコントロール文民統制』違反がある。その認識は大臣にあるか」と詰め寄ったそうだが、そういう議員は「文民としての自覚」がおありか?と問いたい。こんな議員らに「日本の防衛を任せているのは本当にまずい」というべきじゃないか?

今朝の産経13面に、織田元空将が「政争の具にせず本質直視を」と次のような正論を吐いている。


自衛隊PKO参加は、紛争当事者間での停戦合意が前提だが、南スーダンでは政府軍と反政府勢力の衝突が相次いでいた。陸自は国会で問題にならないよう忖度して南スーダンの日報を破棄された扱いにしようとしたのではないか」
陸自に公文書管理への認識の甘さがあったことは否めないが、軍事作戦の戦闘速報に当たる日報を他省庁と同じ行政文書と位置づけ、情報公開の対象にしていることが正しいのか問題だ。おそらく日本以外にはなく、欧米では永久保存としたうえで30年後か50年後に完全開示しているという」
「ましてや日報を各隊員が、戦闘という言葉を使わないよう忖度するようになれば、指揮官は状況を正確に把握できなくなり指揮を誤る。日報問題を政争の具にするのではなく、憲法の制約に伴うPKO参加の前提を見直すことまで含め問題の本質を直視するべきだ」

産経新聞の記事≫


政府がPKOに自衛隊を参加させるときに、野党の攻勢をかわし、国民に「自衛隊は紛争地帯には出さない。安全地帯に限る」とウソをついたのが始まりで、結局“危険地帯”に派遣された隊員が悪者にされている図は、あまりにも酷であり、近代的民主主義国家の体を為していない。

それとも与野党議員共に、どうせ危険な目に合うのは、憲法で認められていない自衛官だから、国会議員の知ったことじゃない、とでも思っているのか?
それにしても自衛官は“親とも頼むべき”政府からは批判され、取りつく島さえない。
そんな輩たちの身分を“忖度”して、現場で苦労してきた自衛官らが窮地に立たされるのは不都合じゃないか?
自衛官にも“人権”はある筈だ!


この問題を引き起こしたのはどちらなのか、織田元空将が言うとおり、問題の本質に戻って改めて“反省する”べきは政治家らの方じゃないか?

自衛官が合法的に政治に意思を表明できるのは、選挙の時に1票を投じること以外には許されていない。我々もそうだったが、何とも理不尽な環境に置かれて60年以上も“放置”されたままなのだ。

ア、そうか、わが国は、拉致問題を見れば自明のように、国防問題についてもまぎれもなく“放置国家”だったのだ!

そんな方々の「シビリアンコントロール」ってどうなんだろう? 私は「シビル・アンコントロール」だと唱えてきたが…。はたして頼りになるのかな〜〜


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≪完結「南京事件」:日米中歴史戦に終止符を打つ。水間政憲著・ビジネス社¥1600+税≫

30年余の間、この問題に精魂傾けて反論してきた著者の新作である。
私はこの問題は完全なシナ側のねつ造であり、蒋介石毛沢東もわがシナ派遣軍には勝てなかった恨みつらみを、虚構で晴らしている図に過ぎないと思っている。
なによりも、自分らの“人民”の中にも真相を知っている者も多いのだから、いつ虚構がばれるかわからない。
そこで懸命に嘘に嘘を塗り固めてきたのだが、そろそろネタ切れであり、何よりも【それほど日本軍は強くて優しい軍隊だった】という事が浮き彫りになってきた。
本書の掲載されている当時の写真を見れば一目瞭然だ!人民はシナ軍よりも日本軍を信頼して懐いていたのだ。

やがて党指導部の彼らが唯一の頼りにしている虐殺記念館などは、世界史に残る虚構の象徴だといわれる日も近かろう。
問題は、著者が言うように「歴史認識問題を≪ビジネス≫にしている保守言論人」がいることだが、彼らもこの本の普及によって黙殺できなくなることを期待したい。

憲法もそうだが、特に左翼憲法学者たちは、憲法が改正されたら“生業を失う”ことを恐れているから猛烈に抵抗しているとみているのだが、彼らの嘘もいつまでも続くとは思えない。
朝日に担がれた吉田なにがしや本多なにがしのように…

日報問題で多忙な自衛官らにぜひとも読んで憂さを晴らしてもらいたい1冊である。


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渡部哲也氏の「テロとヤクザと仮想通貨…」も面白い。特色がある執筆陣がそろってきた。今後が楽しみである。

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