軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

73回目の終戦記念日を前に

終戦から早73年たつ。
今年も明日8月15日を迎えるが、国民の意識に比べて、政府関係者の行動と意識はこの数年間、ほとんどマンネリで何の変化もないように感じる。


今書斎を整理中の私は、多くの古新聞の切り抜きに囲まれて、その一々に目を通しつつ処分しているのだが、たまたま平成25(2013)年の切り抜きの中に曽野綾子女史の『正論』が目についた。

靖国参拝するしないは心の問題」と題する記事は、「冷静さ欠く周辺諸国の反応」「関係悪化しても時が解決」との中見出しがある。

曽野女史は「安倍晋三内閣のスタート以来、世間に活気が戻ってきたような気がしてきたのは、喜ばしいことである。たかが『気』だから。実質がないと言う人もいるが、私は昔から『気』を割と大切にしている原始人間である」と書き出しているが、私は最後の「日本の盛衰、脆弱さ克服に」の項に傍線を引いている。


「しかし最近の日本人の醜さは怠け者になったことと、何より幼児化したことだ。責任はすべて他人のせいになったのだ。苦労なしに生きられるからすぐ流行に乗り、若い時に本を読みこんだり、自分で根本から問題を考えたりしなくて済む生き方を覚えてしまった。
学校秀才の癖に電気も水道もない原始の生活に置かれたら、生き延びる方法も知らない。電気が途絶えて命令系統が失われたら、自分でどう振る舞うか、全くわからない若者たちが増えたのである」に注目したのだ。


曽野女史は、「この基本的な恐ろしい脆弱さと腐敗に、安倍内閣が気が付いて手を打つかどうかが、日本の発展と衰退の分かれ道になりそうだ」と結んでいるのだが、あれから既に5年たっているものの、顕著な変化はなかったと言えよう。
それは女史が言うように『人に逆らっても、自分の信念の筋を通す人など、ほとんど見かけなくなった』から、であろう。


この年の8月28日に、産経は終戦の日の「社説を検証」しているが、産経は「静かに追悼したい」としているものの、読売や朝日は「近隣外交」に力点を置いた。

 特に朝日は「韓国は先進国へ、中国は大国へと成長した。日本と国力の差が無くなるにつれ、歴史問題に由来する大衆感情が噴出している」と「中韓が今になって『怒り』を募らせる複雑な国民感情に理解を示した」としている。
「歴史問題に由来する大衆感情」を自らが“偽造した歴史認識”を世に広めて“かっての敵国民”の大衆感情を噴出させておきながら、そこには全く反省している様子はみじんも見受けられない。
やはりこの新聞社は中韓の回し者の集まりだと言っても過言ではなかろう。
そういえば、最初に訪中した20年前、政府関係者が私に「お宅のチョーニチ新聞…」と発言したことがあった。


 処が8月12日は、こともあろうに“テレ朝”が、日米戦開戦の日本悪玉説に疑問を呈する内容のドラマを放映したことが話題になっている。
数々の誤報で凋落し始めた「本紙」から逃げ出す“ネズミ?”なのか?それとも暑さのせいなのか?興味がある。


 同年11月27日の産経は「20世紀のきょう」と題する写真コラムに、当時の極悪人の写真を掲載した。彼等こそが世界をわがものにしようとした、4悪人の中の3人だったことを若者たちは忘れないでほしいと思う。

 そして今朝の産経は、一面トップに今上陛下の疎開時代の貴重なお写真を掲載した。

 此処に見られるように、困難な中にあっても少年たちは疎開先で「毅然と」行動していたことが覗える。
 

 平成の御世最後となる73回目の終戦記念日を明日に控えて、曽野女史が5年前に書いた「この基本的な恐ろしい脆弱さと腐敗に、安倍内閣が気が付いて手を打つかどうか」が問われている様な気がしてならない。
 それとも「日本の発展と衰退の分かれ道」は、曽野女史が当時感じた「前例だけで生きている霞が関の役人」達と同様な発想しかしなくなった民間人たちの様に、「人間がまるで機械の一部の様になった恐ろしいほどの脆弱さと腐敗に気が付かぬまま」、今まで通り、“淡々と”歴史は繰り返されていくのかもしれない。人類の発展とはそんなものかもしれないが、わが国としてはこれではいつまでたっても戦没者たちは浮かばれないだろうし、わが国の健全な発展も望めないだろう、と思う。


頂いた本のご紹介
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≪「ノストラダムス コード(逆転の世界史)」竹本忠雄著・海竜社¥4300+税≫

現役時代、親交があった竹本筑波大名誉教授は言わずと知れた「仏文学者」である。
偶々、私が講談社から上梓した「UFOシリーズ」を読まれたらしく、その中のUFO飛来の目的・・・について私が推察した状況に、フランスで云われていた《マリアの到来》が酷似している、と思われたらしく、しばし電話でお話ししたところ、高価な著書を送って下さったものである。

800ページに及ぶこの本は、「逆転の世界史を読み解くと本当の近未来が見える!」と解説されているように、ノストラダムスの大予言のような、好奇心をそそるものではなく、歴史物語の様に読むことが出来る驚異の「預言詩」だと言われており、
≪『予言集』初版の出た1555年から1999年(《恐怖の大王の天下る…》)まで、およそ450年間の世界史上の大事件を、ノストラダムスが視た一幻視した―とおりに私たちににも見られないであろうか、との発想、いな、むしろ奇想から執筆されました。
21世紀から先の、つまり現代の私たちにとっての未来は、そこから自ずと見えてこないであろうか、との期待のもとに。……(略)……
人類の未来は、本書の屋後「フィナーレ」でこれを展望し、読者は一層のナソ解きに引き込まれることでしょう。そしてその道すがら、「ノストラダムス・コード」とは、単に未来事象の啓示であるのみならず、その暗号を解くことで人生の秘儀伝授をもたらす、神業にもひとしい精妙な仕掛けであると気づかされるに相違ありません≫
とはしがきにある。

今やUFOも単なる興味本位の≪オカルチックな≫存在ではなく、宇宙から地球人に対して何らかのメッセージを伝えに到来するものだとすれば、マリアの様に人類に何らかの“危険を知らせる?”目的で接近してくるのかもしれない。単に、真夏の世の幽霊話の一環と捉えるのではなく、「科学」だけではなく、古代史も古代遺跡の研究も、医学も天文学も、歴史学もすべてを統合した観点から“科学的に”分析すべきものだと思われる。
「文学」や「理学」や「宗教学」などと別々の観点から眺めていては「群盲象をなでる」結果しか得られまいと思う。

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