軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

平成の御世最後の天長節

昨日は平成の御世最後の天長節になったが、一般参賀に皇居を訪れた人は8万2800人だったと言う。
私も当日朝、玄関に国旗を掲げたが、午後には雨模様になったから、国旗は取り込んだ。


実は私は、平成の御世の天長節は“素直に”お祝いできなかった。
と言うのは、昭和23(1948)年12月23日、当時皇太子殿下であった今上陛下のお誕生日に、GHQは意図的に「A級戦犯」とされた軍人らの処刑を断行し、次期天皇天長節となる12月23日に、国民が“天長節を祝う”度に、敗戦と“捏造された日本軍の悪行”を思い出させ、その屈辱を未来永劫思い出させる“仕掛け”として設定された事を知っていたからである。
勿論“新憲法”も手足を縛る同様な手段であった。


≪法廷(市谷)へ移動する“戦犯”:インターネットから≫



≪処刑台と刑務所に手を合わせる国民:インターネットから≫




≪処刑直前、手錠の侭書かされた遺筆:同≫


私は陛下御自身もそれを重荷に感じておられたのではないか?と推察している。
「・・・冬至が過ぎ、あとわずかで新しい年を迎えます。明けてくる年が皆さんにとり、明るい良い年となるよう願っています。皆さんの健康と幸せを祈ります」と言う締めくくりの言葉にそう感じるのは私だけだろうか?
昨日の産経抄はこう書いた。


【トルコの民話に、稲を植える賢者が通りすがりの人にからかわれる話がある。「稲が実る頃には、お前の体が弱っているだろう」。賢者は笑った。「いや、子孫のためさ。先祖が私のために植えてくれたように」。

 ▼きょう口にする米の一粒より、子や孫がより多くの実りを得る明日のために、と。思い出す御製がある。〈父君の蒔かれし木より作られし鍬を用ひてくろまつを植う〉。平成27年の全国植樹祭(石川県)で、天皇陛下が苗木をお手植えになった後、詠まれたという。

 ▼お使いになった鍬は、その32年前に昭和天皇が植えられたスギの間伐材でできていた。親から子へ、子から孫へ。皇室の伝統を受け継ぎつつ、国民統合の象徴として、地上の営みに身も心も寄せられた平成の御代ではなかったか。陛下が85歳の誕生日を迎えられた。

 ▼災害、事件、戦没者慰霊の旅。この30年を振り返るときに浮かぶのは、皇后さまとともに捧げられた祈りと、仁慈に満ちたまなざしである。来年の譲位を前に「引き続きその在り方を求めながら、日々の務めを行っていきたい」と語られたお姿にも、胸を打たれる。

 ▼まもなく有効期限を迎える運転免許は更新なさらないという。2度の外科手術をお受けにもなった。体力の不安を抱える中、つつがない皇位継承への思いをにじませた国民へのお言葉から2年たつ。われわれが感謝とともにお気持ちをかなえて差し上げる番である。

 ▼木にまつわる挿話をもう一つ。昨年の全国植樹祭富山県)では、品種改良されたスギの苗に想を得て一首をお詠みになっている。〈無花粉のたてやますぎを植ゑにけり患ふ人のなきを願ひて〉。庶民のくしゃみ一つにも心をお寄せになっていたのだろう。まぶたの裏が熱くなる。】


終戦時、昭和天皇は45歳、今上陛下は御年15歳であらせられた。GHQの指図によりつけられたクリスチャンの家庭教師によって、異文化を押し付けられたが、屈することなく日本精神を身につけられた。それが天皇家の伝統なのだろう。産経抄子はそれを言いたかったのだろうと思う。

≪バイニング夫人と殿下:インターネットから≫


今上陛下が来年4月30日に退位され、皇太子殿下は5月1日に即位されることになるので、次の天長節は2月23日になる。安倍首相風に言えば「戦後の呪縛」から解放されることになるから、私としてはそれ以降は憂いなく日の丸を掲げる事が出来るようになる…。


しかし、譲位された後でもいいから平成天皇には、敵国人によってこの日に無念の最後を遂げた七士のために、靖国神社を訪れていただきたいものであるが、そのためには安倍総理に一肌脱いでもらう必要?があるが・・・
やはりかなわぬ希望だろうか・・・。



処で、この日の「一服どうぞ」欄に、裏千家前家元・千玄室氏が「元寇退けた武家の軍事力」という一文を書いている。

【わが国が初めて近隣諸国から侵略されたのは、元寇すなわち蒙古襲来である。
漢民族を破り元の国を打ち建てたモンゴルか日本にまで矛先を向けたのか、文永の役(1274年)と弘安の役(1281年)であった。平安朝から鎌倉幕府創立の時期で武士の勢力か確立していたのが幸いし、軍事力により蒙古軍を退けることができた。特に弘安の役では今でいう台風の強風が吹きまくったために一夜にして蒙古軍の船は遭難し逃げ帰った。
得たり賢しとばかりに宗教関係者は「日本は神風によって守られた」と神風の力を言い始めた。後々までこの神風という言葉が苦難の時に用いられる。太平洋戦争末期に空に海に特攻隊か編成されたときも、頭に「神風」がつけられた。(中略)
日本は武家の力で敵を撃破したのにそれを神風の力だけとし、日本には武力などの軍事力は必要ないと今日においてもそれを前提にまことしやかにいい述べる人々がいる。
モンゴルが日本侵略を思い付いたのは、滅ぼした中国の宋の捕虜を厄介払いするためにそれらを軍勢の主としたとの説もでている。
ともかくこの元寇が、海外から日本が攻められた唯一のものである。中国はこの後勢力を盛り返し、国土を統一した明王朝は長く続き大国としての覇権を目指したのである。
中国は産業革命などの技術の発展においては英語圈に比して遅れ、欧米各国に押さえられた。欧米がキリスト教を中心にしているのに対し東洋では中国で生まれた儒教朱子学が思想哲学の核であり日本でも重用された。
江戸時代には朱子学による道徳基準をたて武士の尊重とともに士農工商の意義をつくった。しかし戦国の世から離れ、平和の時がたつにつれ武士の立場が弱くなった。というより金や米を操る商人の力が強くなり武士がそれに頼るという、「金」の力がものを言う世の中になった。禄高(米)を与えられる武士の生殺与奪権を金に換える両替商か栄え、朱子学の教えなどどこかにいってしまった。
ちょっと今日の世の中に似ている。金が物を言うのはいつも同じである。どの藩も余裕はなく大抵が赤字負債を抱えていた。江戸屋敷の御用人は豪商に頭を下げ金の力に屈服していた。(以下省略)】


平成の御世は、「商農工士」の風潮が支配していてスキャンダルが続き、未だにその残債が残っている。次の御世は一気に「士農工商」とはならないだろうが、士道の精神が復活することを強く祈っている。


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≪HANADA 2月号≫
安倍総理と上念司」氏の対談は、時宜を得ているが、総花的で総理の回答はあまり頼りにならない気がする。
尤も、元自衛官だから経済には弱いので論評する立場にはないが…。
「徴用工判決の罪状」はいくら反論しても、相手があの程度の相手だから暖簾に腕押しの観。“発展途上国”に何を言っても理解する気はなかろう。
竹島を見てもよくわかる。
入管法改正の大論点」はその通りだが、これも暖簾に腕押しの観・・・



≪Will 2月号≫

「中国の静かなる日本侵略」はその通りだが、“静かなる”は言い過ぎじゃないか?
電車に乗っていても、TVで見ていてもあれほどうるさい連中はいない。世界中から嫌われるはずだ。
「暴走韓国‥」はどうでもいい。むしろ国内で悪さをしている連中の方が問題だろう。制裁するのはこちらが先では??
秋篠宮さま、お言葉ですが…」には同感だ。やはり戦後教育の影を見る思いがする。天皇家には「憲法は適用除外」なのであり、神をまつる“宮司”の一人として、天を敬い国民と言う“氏子”を導いてもらいたいのだが…



≪航空情報2月号≫

自衛隊航空祭”花盛りの観。
いざと言う時の備えだけは怠らないようにしてほしいが。

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