軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

資料から:ソ連を“刺激する”??

”終活”に備えて、書斎の古い記事などを整理している。

今のところ旧ソ連関連が続くが、こんな切り抜きが見つかった。

 

f:id:satoumamoru:20190205154441j:plain

6月22日世界日報記事

 

 

北方領土、急遽回収?!自民党 ソ連大使館がクレーム』という昭和60年6月22日付の毎日新聞記事である。

自民党が北力領土問題の啓蒙用に作ったポスターに在日ソ連大使館がクレームをつけ、二十一日の同党役員会でも論議の結果、同ポスターを回収、新たな図柄のポスターを作りだすことになった.

 このポスターはゴルバチョフ書記長を正面に、わきにスターリンの顔を小さく横向きに配し「スターリン時代の間違いをゴルバチョフさん、あなたは勇気を持って正してください」とのコピーをつけたもの。下に「九月二日はソ連北方領土不法占領に抗議する日です。返せ北方領土自民党」などと書かれており、今月十一日二万枚を刷って全国に配布、一部は、すでに市中に張り出されていた。

 ところがこれに対しソ連大使館が外務省を通じ「わが国の最高指導者像が、反ソキャンペーンに使われるのは遺憾だ」と抗議。この日の同党役員会で、扱いを協議した結果「あまりソ連を刺激することは得策でない」として回収することとし、かわりに近く、別の図柄のポスターを作り、全国に配布することにした。

 これについて中山正暉国民運動本部長は「ゴルバチョフ書記長をからかったわけではない。ソ連に対話を呼びかけたものだ。こんな反轡を呼んだだけで十分効果があったのではないか」と話している。】

 

弱腰外交の典型的な事例である。大使館から抗議を受けた外務省は、なぜわが国固有の領土の「不法占領」を問いたださなかったのか?

政治家らは保身第一だから「刺激しないよう」に弱気になるのが通例だが、外交交渉に当たる者が“毅然と”対応すべきじゃないか?

 

これは昭和60年(1955)のこと。

しかし国際情勢を観察していれば、2~3年後にソ連には政治的混乱が起き、正常化に進むと予見できたはずだ。

 

バルト3国はじめ、いわゆるソ連の衛星国は次々にクレムリンに反旗を翻していた。

国際軍事関係に親しんでいれば、ソ連の後方に圧力をかけるのが外交的常識だが、それさえできなかったと言うことは、外交官らにとっては「日日之好日」こそが望みなのであろう。

別に盗られたからと言って、返せと叫んでも戻るはずはない、と決めてかかっていたのだろう。

日米開戦直前の12月7日のワシントン大使館のように…

それにしてもその後”差し替えられたポスター”がどんな図柄だったかは記憶にない・・・

 

それから2年後、ソ連は変化した。ポスターに書かれていたように「ゴルバチョフ氏はスターリン時代の間違いを勇気を持って正した」のである。

  

昭和62年7月4日の「世界の論調」欄に「ソ連、進むマル秘文書公開」と出ていたが、1930年代に、勇気ある外交官が「あなたは偽りの革命家だ」と言う内容の「スターリン糾弾の公開状を」書いたことが、ソ連の週刊誌に掲載されたと言うのである。

 

f:id:satoumamoru:20190205155424j:plain

『「モスクワニ十九日」小島特派員』

ソ連週刊誌「アガニョーク(ともしぴ)」最新号は,一九三〇年代のスターリン粛清を全面的に暴露、告発した革命家のスターリンあて公開状を紹介するとともに、スターリンの個人崇拝の本質がまだ十分に糾明されていないとして、「第2のスターリン批判」をさらに徹底させるよう主張した。

 この公開状を書いたのは、ロシア革命と国内戦の英雄で、海軍人民委員代理、バル卜海艦隊司令官、デンマーク大使、ブルガリア大使そ務めたフョードルーラスコル・ラスコリニコフ(一八九二-一九三九年)。ブルガリア大使だった一九三八年、帰国命令を受けて粛清の手が伸びたことを知り、フランスに逃れた。公開状は.三九年に書かれ、フランスの通信社に送られたもので、ロシア人に亡命者グループか出していた新聞に掲載された。

 アガニョーク誌に掲載された公開状は全部ではないが。「あなた(スターリン)はけがらわしい偽造によって、その告発のでたらめな点では中世の魔女裁判を上回る裁判を演じてみせた。あなたは自分の同行者に、きのうの同志と友人の血だまりの中を歩かせ、偽りの党史を書かせて、(革命の功績を盗みとった」で始まり、スターリンに粛清さわた著名な作家、芸術家、科学者の名を列挙している。

 特に「あなたは最大の戦争の危険が迫っている時、軍指導者、中級、下級指揮官の殲滅を続けている」と対独戦を前目前に控えた軍幹部粛清を激しく糾弾している。】

 

スターリンヒトラーも、残虐無比な指導者だったことは、つとに知られているが、未だにその手の指導者が世界中に絶えないのが不思議でならない。

 

それにしても、わが国はその“逆”で、何処まで“お人よし”な腰抜けが揃っているのか!と寂しくなる。

いつの世にも正論を吐く勇気ある人間はいるものだが、スターリン時代にもいたのだと言う過去の記事のご紹介。

少しは“刺激的”だったかと思うが・・・・・・

 

f:id:satoumamoru:20190205155345j:plain

≪昭和62年7月3日読売新聞≫