軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

資料から:226事件関連記事

今日は226事件当日である。226事件と言っても既に遠い昔の話になったが、今でも二・二六事件墓前祭が、賢崇寺の墓所内でご遺族と仏心会主催で執り行われている。

この事件は「国家革新運動の成就をもって国家の改革を実現すべく決起した昭和維新運動であったが幾多の弾圧や計画の稚拙さなどで現実のものとして日の目を見ることはできなかった。それは陸軍青年将校とそれに呼応した民間人が命を懸けて国民の救済を目的とした国家改造計画であった」とされる一方、「軍部の暴走を招き、戦争に導いて我が国を破滅に導いた事件」だと決めつけられて、”定説”になっている気がする。

 

しかしながら事件後の検察調書によれば「このようなことをして天皇の宸襟を煩わしめたとは思わぬか」、との問いに対し最年少だった林少尉は「思いません。天皇陛下の宸襟を煩わしめていた重臣共を成敗したのですから陛下はお喜びになっていると思います」と答えているように、青年将校たちは純粋な気持ちで、乱れた政治体制に変革を!呼びかけたものではなかったのか?

 

最年少の林少尉の受け答えを見てもわかるように確固たる意思と国家感を持って決起に加わったと言えると思う。

 

そこで今日は、収集していた226事件関連に切り抜き記事を紹介しておこう。

まず最初に、「言論の抑圧がテロを呼び、テロがまた抑圧を呼ぶ…」と題された関係者の対談記事(昭和61(1986)年2月19日朝日新聞)のリードを見てみよう。これが朝日新聞流の定義であろう。

 

【この26日は、昭和史に決定的な転機をもたらした「226事件」の50周年に当たる。一九三六年(昭和十一年)のその日、一部の青年将校に率いられた在京の陸軍部隊約千五百人が、閣僚や要人の公私邸、朝日新聞社などを襲撃、高橋是清蔵相、斎藤実内大臣、渡辺錠教育総監らを殺し、首相官邸などを占拠した。クーデターは四日間で崩壊し、首謀者将校や右翼民間人ら19人が死刑に処せられて事件は終わる。計画自体は実にあいまい、無諜なものだったが、その鎮圧、粛軍などの名で、軍部の強圧政治を引きだす役目は、十二分に果した。事件直後から、軍機(軍事機密)保護法の改定強化、思想犯保護観察法制定、ナチス・ドイツとの防共協定締結など言論、思想の弾圧、ファッショ化が急速に進められてゆく。「二・二六事件」とは何だったのか。そして、現代は事件から何を学ばなければならないか。20世紀の区切りが来た今、関係者の証言を得ながら考えてみたい。(藪下彰治朗編集委員)】

 

この記事の様に、事件が起きた背景よりも、一方的に「軍部独裁」「軍による言論弾圧」が主題になっている記事からは、何ら学ぶところはないと言える。当時の社会背景については、意図的に?ぼかされている様に思われるからである。

とりわけ朝日は、襲撃された経緯もあってか、軍に対する恨みは群れを抜いている。背景にゾルゲ・尾崎と言う自社の記者が絡んでいたせいもあろう。

何とかして戦争の責任を「軍の独走」に仕立て上げたいのである。

「これが座談会記事の一部である」

 

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次いで社説を見てみよう。

これは昭和61(1986)年2月26日付の朝日新聞社社説である。

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ここでは反軍演説をした斉藤隆夫代議士や石橋湛山などを持ち上げているが、当時の情勢、政治の腐敗を見る目が甘くはないか?

 

これに対して毎日新聞の社説は切り口が少し変わっている。石原中佐たちが、なぜ世論を喚起しようとしたか、それは単に軍の勢力を伸ばそうと言う利己的な考えからではなかった。目的は乱れていた政治の見直しだったろう。

「軍部の独走、そして一方的な報道をおこなった言論機関の責任も重い」と言う内容は、誠実である。

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226事件に関する書物は数多いが、私が信頼しているのは「国発・コミンテルンの戦争責任=近衛上奏文と皇道派(山口富永著)」である。

そのなかに当時の時代背景に関して、「車力村村記」からこんな箇所が引用されている。

 

【大正十一年(一九二六)五月一日の早朝、西津軽郡車力村の鎮守の森から、突如として、「聞け万国の労働者、とどろきわたるメーデーの、示威者におこる勝ちどきは、未来を告げるトキの声」と、インターナショナルの合唱が起った。村の人達は何事が始まったのかと、仕事を捨てて、大貫(県道)にのめるように駆け出した。大行進の群れの先頭に、戸板に白色のビラを貼り付けて、墨も黒々と左記の字句を列記していた。

 小作人から田畑を取り上げるな、小作人から飯茶碗を取り上げるな、小作料をまけろ、小作人を人間扱いせよ、小作人の生血を吸う鬼畜生を倒せ等のスローガンを掲げ、それに続く、むしろ旗を押し立て、ケラ(箕・蓑)を着て、縄帯を締め、素わらじばきで、手には草刈鎌や、タチ(田の畔を切る農具)を持ち、鍬を肩に担いで、木造町長泥、田茂木、芦野、地元の車力村、下手潟、富氾方面から、約六百五十名の農民の大行列が、地元を揺れ返すが如き勢いで村内をインターナショナルの声高く行進した」と。

 これは青森県西津怪車力村が、県下で始めて行なったメーデーの様子である。そしてこの村史は「村役場には公然と娘を東京方面への娼婦としてあっせんする紹介する係があり、なかには、娘を売ったその金を一晩で酒代に使い果たしてしまうような農民の悲劇も生まれていた。

村では、小学校の先生に月給の支払いの出来ない様な状態に陥っていたのである。」

と書かれている。このような農村の窮状に加えて、大正末期から昭和初頭にかけての世界経済の大恐慌の波は、都会にもおそいかかって、失業者の群が増大し、社会不安の情況をまた呈していたのである。

 このような社会世相のなかにあって、一体日本の政党政治は、どのような方策を考えていたのであろうか。窮迫した国民の眼からすれば、政治不信の一言以外に言う可きことばがなかったのである。

(時の政治家らは)「失業者は自然現象で、不景気がくれば当然のことである。」(井上準之助蔵相の言、血盟団のため葬むられる)「失業者に失業手当をやれば国家百年の計を誤る」(安達謙蔵内相)と放言してはばからなかった。二大政党の民政党と政友会は、いずれも党利党略の為に当時の二大財閥の、三井、三菱の意を伺う事に兢々として、この財閥の利害を反映して政争にあけくれしているのだった。

 党あって国家のあることを忘れ、ついには自己あって党のあることすら忘れた政治家の汚職は、ついに疑獄事件として表面化して来た。この疑獄事件が最絶頂期となったのが、国民生活のもっとも苦境にあった昭和五年から六年にかけてのことである。

 松島の遊郭事件、鉄道大臣の鉄道疑獄、文部大臣の収賄事件などがあげられるが、これはその氷山の一角にすぎぬといわれる程に、根深く、政党政治による日本の苦境脱出は遠く望む可きもない政治的不信感を国民に与えていたのである。

 因みに、松島事件とは、大阪の松島遊郭を移転させ、土地の値上がりで六千万円(今日の金にして六百億円)のボロ儲けを政治家が仕組み、ときの内閣総理大臣若槻礼次郎までも関係した事件とされている。

 また、鉄道疑獄は、鉄道大臣小川平古らが、北海道の認可に十二万円、博多湾鉄道の国による買い上げの免許に五十万円(今日の金にして約十億円以上)のワイロを取ったというのである。・・・】

 

事件後処刑された対馬勝男中尉は津軽出身であった。生活苦にあえぐ自分の部下たちの苦しみを見て、青年将校らが「政治家ども」の一掃を考えたとしてもおかしくはなかった。

 

この当時、発見された新資料がご遺族から提供された。その記事の一部である。

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昭和61年2月27日サンケイ新聞

 

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同2月26日日経新聞

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20日サンケイ新聞

 

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20日読売新聞

 

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同26日付の毎日新聞は、筒井清忠奈良女子大教授の談話を掲載している。

新聞記者とは違った学術的観点から事実を見つめているが、その中に、この事件を「軍事的クーデター」に仕上げて天皇に御裁断を煽ったのが、君側の奸の一人であることをにおわせている。

やはり君側の奸がいたことは疑いないようだ。

當時昭和天皇は御年36歳と言うお若さだったから、47歳の彼にとっては手玉にとれたのだろう…

そういえば東京裁判のキーナン検事は、妻への手紙の中で、「真の戦犯は権力を握り、陰謀をめぐらした少数のグループのリーダーであった木戸幸一である、として自分は周囲の反対をよそに起訴に踏み切ったのだ」と書いていた・・・

今の政治は何とも国民の懸案事項から離れて、おとぎ話を突っつき合っているが、歳費を削減した方がいいのじゃなかろうか?

野党議員の中には「外国人」からお金をもらっている方々もいるようだから、不要では?…

 

届いた本のPR

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Hanada4月号

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Will4月号

両誌とも、半島に関しては時宜に適した内容を掲載しているが、聞く耳を持っていない相手だから、一方的な”愚痴”になりかねない。

日本人も聞き飽きてきた。相手にしない方がストレスがたまるまいに。
しかしお隣のことだから止めるわけにはいくまい。

Willの「外国人献金問題」は外国人ではなく「同胞からの献金」と言うべきじゃないか?

日本の国会議員であると言うのが「世界ふしぎ発見」並みだろう。

Hanadaの「小林よしのりを訴える」記事、遂に傲慢かませ過ぎたようだ・・・