軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

「パパは憲法違反?」めぐり非難の応酬

「鈍感!」に「卑怯だ!」テレビ中継後の異例国会バトル 自衛官の子「パパは憲法違反?」という国会論議が話題になっていると言う。少し長くなるがその概要を書いておこう。

 

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【2月28日、来年度予算案の採決を翌日に控えた衆院予算委員会。はじめの5時間は安倍首相が出席しての集中審議で全国にテレビ中継されたが、中継が終わった後の一般質疑で、与党議員による激しい野党議員批判と、それに対する猛反論という、あまり見ない強烈な場面があった。発端は2月13日の予算委での立憲民主党本多平直議員と安倍首相の質疑だ。・・・この13日の質疑で本多議員は、安倍首相が講演で憲法9条に自衛隊を明記する憲法改正の必要性を説く際に使う「ある自衛官が、息子から涙ながらに“お父さん憲法違反なの?”と尋ねられた」というエピソードについて、実話なのか確認した。

・・・安倍首相が「実話だ。防衛省から聞いた話だ」と答えたのに対し、本多議員が「私の実感と違う。私は小学校中学校とずっと自衛隊の駐屯地のそばで育ち、たくさん自衛官の息子さんがいたが、こんな話出たことがない。私の小中学校の時代ですらそうで、今こんな話は出ている実感がない」と指摘し、自衛隊は合憲なのだから改憲は不要と主張した。

これに対して安倍首相が「本多議員は私の言ったことはウソだと言っている。非常に無礼な話だ。私が嘘を言うわけない。人格攻撃ではないか」と激高し、本多議員も「たとえ話なのか実話なのか聞いただけじゃないか」と反論する応酬となった。

(中略)

自民党小田原潔です。さっそく本題に入ります」

 こう切り出した当選3回の自民党議員で、本多議員と同い年の小田原潔氏。父親は元自衛官だ。そして冒頭から本多議員の2週間前の質問に噛みついた。

「総理のエピソードが作り話だと言わんばかりに随分と時間を費やされました。(本多)委員に個人的な感情はありませんが、あの発言を聞いて血液が逆流するんじゃないかと思うほど憤りを覚えました。私は自衛官の息子であります。委員と同年齢、昭和39年生まれです。自衛隊官舎で育ちました。総理のエピソードが航空自衛隊の幹部自衛官ということであれば、なおさら合点がいきます。目に浮かぶようであります」

小田原議員は「背景には自衛官の息子に共通する生い立ちがある。転勤に次ぐ転勤。ほかの職業の転勤転校とはちょっと違います」などと自衛官の子供ならではの苦労話を続けた後、自らが少年時代の小・中学校教科書に「戦争を放棄した憲法のもとで、武器を持つ自衛隊があることなどは多くの議論を呼んでいる」「憲法違反であるという意見も少なくない」と記述されていたことを指摘し、次のように声を張り上げた。

「エピソードが本当かどうかなんてことで国会の時間を費やすのであれば同い年の私が真実で上書きしたい。委員が育ったあのころ、多くの自衛官の子供が憲法の定め、授業や大人のふるまいに傷つき悩み、無力感を飲み込んで成長したんです」

 (中略)

小田原議員は、本多議員の質問について感情を込め、大声で非難した。

 「お父さんが憲法違反と言われたから涙が出るんじゃないんです。こんなことを聞いたら父は悲しむって百も承知だけど、今日あったことが辛くて我慢できないから親には聞いてほしい。聞いた瞬間に親がどんなに心を痛めた表情になるかわかっているから口に出す前から涙が出るんです!こんなこともわからないで、私は駐屯地の近くにいて実感がないんですというのはあまりに鈍感!全国の自衛官とその家族はやりきれません」

 

このニュースの解説者は『与党議員による野党議員の質問に関する個人批判とそれに対する猛反論という、今回の異例の応酬。そのあり方の是非はともかく、安倍首相が主張する「自衛隊憲法9条に明記」することで、自衛隊に関する何が変わり、何が変わらないのか。変化が生じるならいい変化なのか悪い変化なのか。また、日本国憲法の最初に改正にふさわしい価値や意義があるのかないのか。こうした論点は今後も冷静な場での突き詰めた議論が求められそうだ』と”無難に”締めくくったが、報道関係者だったら、全国の駐屯地などを取材しているはずだから、小田原議員の指摘が正しいことを、重々承知しているはずだ。

マ、当時のメディアは、オウム真理教に加担したTV局があったように、ほとんどが左翼かぶれで無責任体制だったから、自衛隊の味方に着くはずはなかったが…。

 

昭和47年、沖縄返還で沖縄に赴任した自衛官家族たちが、那覇市役所で住民登録が受け付けてもらえなかった事は、つとに有名な話で『我々は差別されても、我々が国民を差別してはならない』と苦労された桑江大先輩からよく諭されたものだ。

私も自衛官勤務34年間で、22回の人事異動、24回の転居を経験したが、家族は引っ越し、子供の転校でそれ以上に辛酸をなめたと申し訳なく思っている。

立憲民主党所属の本多議員は北海道出身だそうだから、陸自の駐屯地の傍で育った体験を言っているのだろうが、比較的“環境がいい”北海道地区では、子供らが“差別”をさほど気にすることもなかったであろうからその程度の認識だったに違いない。

しかし東京など都市部の駐屯地がないエリアでは、教師自らが公然と自衛隊批判を繰り返していたのは事実だ。

志願して自衛官になっている本人ならともかく、子供には親の身分は無関係だろう。

処がその“弱点”を突くのが卑怯な左翼の常套手段である。

3・11以降自衛隊の評価が高まったとはいえ、第1師団がある練馬区では、レンジャー教育を修了して帰隊する隊員たちに向かって、「3・11ではありがとう!でも市内行進はやめてほしい!」などと書かれたプラカードを持って、反自衛隊デモを繰り返した連中がいた事でも、それは立証されている。

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次の資料は、私の息子が都区内の中学に転校した時に「副読本」として社会科の教育に使用されていたものである。当時、あまりにも教育内容が偏向しているので、息子から資料をもらって学校に真意を質そうとしたが、息子が「やめてほしい。内申書に影響するから」と懇願したので没にした。

隊内の情報教育で使用するため、OHPフィルムに焼き付けたものだから、すこし見にくいが、大意は分かるだろう。

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これ等[副読本]の出典はすべて消されているが、「天皇の戦争責任」を追及した記事は、印字などから明らかに「朝日新聞」であることが分かる。

次の記事も、「あります」調の文体などから共産党の機関紙「あかはた」である。

昭和60年代は、これほど日教組の支配が強く、教育が乱れていたにもかかわらず、政府、とりわけ文部省は見て見ぬふりをしていたのだ。

その結果、こんな“狂育”を受けさせられた少年たちが、まっとうに育つ訳がないことも自明だろう。

その上、当時の教師は、今や校長”先生”になりあがっていると言うから、校内での「いじめ対策」が実にお粗末で無責任であることもよく理解できる。

これが「放置国家・日本」の当時の実態だったのであり、いまだに尾を引いているのである。

憲法第11条に規定された「基本的人権の享受」を妨げられ、第23条の「学問の自由」さえ保障されず、公然と行われている「もろもろの憲法違反行為」こそ速やかに改善されるべきであろう。

遅まきながら安倍首相には、この様な”憲法違反の”「差別主義」を速やかに撤廃するよう動いてほしいものだ。