日本はスパイ天国として”名高い”が、この当時収集していたソ連の情報には面白いものがある。
”落穂ひろい”として掲載しておこう。
これは昭和61(1986)年5月20日付読売新聞の≪顔≫欄である。
これは昭和61(1986)年5月の同じく読売新聞記事である。国際欄にこれほど大きく取り上げるのは内容からして”珍しい”ものだが、ロシア時代からこの国は”神秘的な”物に頼る風潮があり、有名な話であった。
確かに一方的に「現代医学」に頼るのは視野が狭いことだと思う。今や「手当」の意義さえ理解せず、PCのモニターを見るだけで診察し、生身の人間を意識する事さえない医者が増えたからか、福生市の病院で起きたような死亡事故?が起きるのだろう。
医学の発達と、人体の不可思議な実態との差が少しも埋まらないから、ソ連には「女性心霊医師」も存在したのかも…
機材の発達にとどまらず、心理学、精神学などとの共同研究と開発が必要なのかも…
これは”本物”のスパイ活動記事で、昭和61(1986)年6月のサンケイ新聞記事である。
当時は胡耀邦総書記がソ連を非難しているのだが、今やこの国のハーウェイがソ連と同じことをやっている。
世にスパイの種は尽きない証拠だろう。
これは同じころの読売新聞記事だ。
これは昭和60(1985)年6月のサンケイ新聞記事。当時のサンケイのスクープだが、東京湾内に侵入して来るとは何とも大胆、わが国も舐められたものだ。
今ではもっと手が込んでいるだろう。更にその”要員たち”も堂々と国内各所に”展開”しているのだから、仕事はしやすい。
これはスパイではなく、「亡命」事件だ。
我が国では函館に強行着陸したMIG25事件が有名だ。この時は、自衛隊ではなく、警察官が拳銃一丁で対応したが、逆にベレンコに威嚇されて何もできなかった…
その後、ベレンコは米国に亡命し、機体は分解梱包されて、わが国初の「武器輸出品」としてソ連に送還された。
どこかの「お花畑村」のお話・・・である。