軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

資料から:終戦に関する記録

時がたつと、忘れられていた戦争に関する貴重な記録や、回顧談などが紙面を飾る。

今日はそんな終戦に関わる記事の”落穂ひろい集”である。

 

これは昭和61(1986)年2月20日付の、終戦時の重光葵外相の手記が発見されたと言う朝日新聞記事である。

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次は終戦直前に不法にも侵攻してきたソ連軍によって、多くの在留邦人が犠牲になったが、その中でも最も悲惨な事件「葛根廟事件」を生き延びた”中国残留孤児”達が、41年ぶりの同窓会を開いたと言う昭和61(1986)年9月2日の読売新聞である。

ヒューマンドキュメンタリー作品大賞の優秀作品「赤い夕陽の大地で」にその惨状が記されている。

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次は昭和61(1986)年1月7日のサンケイ新聞である。米国の戦艦「ノースカロライナ」に魚雷を命中させた日本の潜水艦「伊19号」の乗組員と、米戦艦の乗組員が、”戦争の悪夢を忘れよう”と感激の対面をするため、渡米して「平和を語り合う」という記事である。

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次は、昭和60(1985)年8月8日付の世界日報紙である。元大井海軍航空隊整備予備士官で、戦後数々の映画に出演している俳優・鶴田浩二氏の「特攻と私」と題する一文が掲載されている。

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次は”戦争とは直接無関係”だが、新聞と言う公器を活用して、かっての敵国だった国の味方をしている記者の文である。

もとより掲載しているのは昭和60(一九八五)年8月19日付の≪朝日新聞=夕刊≫。

「中国の旅」と言う中国共産党文書をまとめた作品で、南京大虐殺を宣伝した方である事を知れば、納得いくことだろう。

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これは同年6月23日付の朝日新聞社説で「いのちこそ宝」と言うタイトルは、沖縄の方言=「ぬちどうたから」から来ている。

余計な解説は省くことにするが、読者の皆さん方はどのような印象を持たれるだろうか?

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恐らく、上記2本の古記事を担当した方々には、直接”殺しあった”体験を持つ日米将兵の気持ちは全く理解できないに違いない。

何となく不幸な方々だな~と感じる・・・