軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

新元号制定に関する素朴な疑問

 早いもので、4月も残り5日余となった。巷では早や新元号「令和」が「平成」を凌ぐ勢いだ。

   明治政府が、神武天皇が即位された年を西暦紀元前660年と決め、その年を皇紀元年と定めてから今年で2679年に当たる。

   元号の制定は、この様な古来から続く由緒ある儀式の近代的な明示である。つまり御名御璽をもってなされのが改元であり、政府に改元決定の権限はないといえる。

 ところが今回はこれらの古式の方式を無視して、法的根拠を欠く「政令」で事前に定め、恐るべきことにこれを皇太子に伝達し、「前倒し」発表すると言う「傲慢不遜」な“政治的手法”を取ったことで、現政権への批判は手厳しいものがある。

 一介の老兵に過ぎない私には、口を挟むべき余地は無いが、歴史と伝統、文化をないがしろにしたその手法には違和感を禁じ得ない。そのような手法で果たして皇統が正しく継承されていくのだろうか?と言う不安が残る。

 大東亜戦争終戦間近における日本政府、とりわけ帝国陸海軍の危惧は、ポツダム宣言に示された国家統治の権限は、連合国軍最高司令官に「subject to」とあったことであった。

 国体とは「万世一系天皇を戴く君主制」及び「三種の神器の継承行為」であると信じて疑わない軍は、陸軍は中野学校を中心にして「万世一系天皇を戴く君主制を守るための国体護持作戦」を計画し、海軍は祭司としての皇族を守り三種の神器を守るとする、皇統護持作戦」を計画、九州の五箇荘に潜伏する計画であったが、終戦の混乱で未遂に終わった。

 当時の日本国は、それほど我が国の国体護持に神経を使ったのであったが、あれから早74年余、世代交代とともに、メディアが、意図的に?尊敬語を省略してこぞって取り上げる皇室は、まるで“人気番組の対象”に化している感さえある。

 38年間、軍事に御奉公してきた老兵としては、終戦時の軍の様に「命をかけてお守りする対象」であったし、今でもそれに変わりはない。

 そんな中、とりわけ残念なことは、歴代天皇の中で、平成天皇だけが靖国神社で「祖国防衛のために散華していった英霊方」に御親拝されなかったことである。

 来月、即位される「令和天皇」は昭和天皇のお孫様に当たる。世間では3代ごとに精神は引き継がれると言うから、令和天皇には何としてでも護国の英霊にために、靖国神社に御親拝頂きたいものだ、と念願している。

 今朝の産経新聞『正論』欄に、敬愛する小堀桂一郎先生が、「安倍内閣が仕残した3つの課題」と題してこの事を指摘しておられるから、全文をご紹介しておこうと思う。

 これ無くして、安倍総理がよく口にする「戦後呪縛からの解放」はありえないからだ。

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