戦争は「ドラマ」を生む。昔から映画や芝居の題材として連綿と取り上げられてきた。
「戦争と平和」「誰がために鐘はなる」などなど。
キリスト教信者も、イスラム教信者も、ともに「平和」を願っていると言いつつ、互いに殺し合ってきたし、今でも殺し合って恥じない。
中には「平和のための殺戮だ」「神の御指示だ」とうそぶくテロリストもいる始末。
とりわけ20世紀の歴史のほとんどは「戦争の歴史」であった。いや、「人類の歴史=戦争」と言っても過言ではあるまい。それほど人類は「殺すこと」に快感を覚えるのだろう…
未だに世界中で紛争が続いているとはいえ、ソコソコ平和が保たれている現代でも、北朝鮮ではやんちゃ?な首領様が、何が気に食わないか知らないが、再び花火を打ち上げて喜んでいる。
こんな人種がいる限り、人類の願いとは裏腹に「戦争はなくならない」のだ。
資料の中に興味あるコラムがあった。
「戦友を弔って…今自分の生の総括の時」と言う「21世紀の血縁と墓を考える会代表・井上治代さん」の次のコラムである。
*平成5(1993)年1月19日毎日新聞
私も現役時代、多くの戦友会の皆さんとおつきあいしたが、皆さん方、これと同じ心境だったと記憶している。だから「靖国で会おう!」と散華していった英霊の心境が痛いほどわかるのである。
次は日露戦争の時、ロシアのステッセル将軍から乃木大将に送られたピアノの話である。
*同年同日毎日新聞
昔の戦争にはロマンと武士道〈騎士道〉が息づいていた。今は「暴力と破壊の連さ」だ。
そして中には”あくなき反感?”を持つ識者も居て、戦争の裏面をあぶり出し、戦争を犯罪化している方もいる。人の好みはいろいろだが・・・
*同年1月13日朝日新聞[論壇]
外国の研究者は一味違った分析をしている。
*同年1月26日中日新聞[国際時評]
戦争を回避しようと思えば、それに備えることだ。日米関係について、次の二つの意見は参考になる。
*同年1月27日日経新聞
既に26年以上も前の記事だが、何となく新鮮なものがある。