軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

資料から:金権政治の始まりと雫石事件

昭和46年7月、空自パイロットとしては忘れることが出来ない「雫石事故」が起きた。

この事故は朝日、毎日など各紙に事故調査が始まる前から「自衛隊機が民間機に追突」と大々的に報道された。

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その後自衛隊高官の“不用意な発言”もあり、自衛隊機側の“過失”と起訴され教官は有罪(執行猶予つきだが)に処された。

当時、1等空尉であった私は浜松基地でF86Fによる戦闘機操縦教官をしていて、当初から、民航機が追突したことは分かっていたから、切歯扼腕したが、当時の高官らは、何故か無口で広報が不得手であったから、一方的にメディアに押されて遂に「仲間(部下)を売り渡す結果」を招いた。

その経緯については、退官後の平成24年7月に「自衛隊の【犯罪】:雫石事件の真相」として青林堂から社長の好意で上梓にこぎつけたが、元防衛庁官房長であった佐々淳行氏が「教官は無罪」だと帯に書いてくれた。

今日掲載する資料は、コツコツと収集していたダンボール箱2箱分のうちの切り抜きである。

どうして「福田元総理の『私の履歴書』なのか?」と疑問に思われる方もいるだろうが、この“事件”の背後には、深い政治の闇が潜んでいて、当時の佐藤栄作首相の後継者争いは熾烈で「角福戦争」と言われていた当事者だから、何かヒントがあるのでは?と切り抜いていたものである。

故に私はこの事故は「事故ではなく事件だ」と考えている。

当時の歴史年表には、「46年7月5日・第3次佐藤改造内閣発足、外相福田赳夫通産相田中角栄、ポスト佐藤への争い激化」とある。

その25日後に運悪く雫石事故は起きた。この頃、後継者争いは凄まじく、特に田中陣営から「ダルマ」が乱れ飛んでいる、と“噂”されていたが、「ダルマ」とは、サントリーウイスキーのダルマの空き箱に「丁度2000万円」入ったので「田中氏からダルマが三つ届いたと秘書が言えば6000万円の現金が届いたと言う隠語だった」と某新聞記者に聞いたことがあった。

そして47年6月11日に、某メディアと結託した田中通産相が「日本列島改造論」を発表、ベストセラーになり福田氏は影が薄くなった。

そして6月17日、佐藤首相は引退を表明、田中、福田、大平、三木(三角大福)の4氏で首班投票が行われるが、決選投票で福田氏は田中氏に破れる。

こうして7月7日に第1次田中内閣が成立するのだが、平成5(1993)年1月に、日経新聞に連載された「私の履歴書」に私は何らかのヒントを求めたのである。そのなかから関連部分を掲載する。

*平成5(1993)年1月第21回連載

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*同、第22回連載

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*同、第23回連載

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*同、第24回連載

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金にまみれた政界の裏が少しは感じられるかと思うが、週刊現代は、当時の政治や世相をこんな風に集約しているから参考までに掲載しておこう。

 

*「男と女、事件、社会風俗・・・」

週刊現代2000号で辿る「昭和~平成40年の全軌跡」

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担当していた先輩から裁判記録も譲り受けたが、目を通して愕然としたことを覚えている。

やはり「六法全書」だけを丸暗記している方には、戦闘機操縦訓練は無理なのだ、いや、3次元の世界は全く理解できないのだ、と痛感した。こんな方に≪有罪≫にされては堪ったものじゃない。

だから最近になって≪一般常識人≫が裁判に参加するようになったのだろうが、それじゃ「職業裁判官」は何のためにいるのかわからない。

最近は非常識な裁判官も出て、何となく「人間臭く?」なっている気がしないではないが・・・

この裁判は、防衛庁の努力で最高裁まで行ったのだが、動かしがたい新証拠が出たにもかかわらず、最高裁は、2審差し戻しではなく、5%にも満たない「自判」で有罪にするという異例の結末を迎えた。

ある最高裁関係者によると、最高裁は事例を現行憲法に照らして是か非か判断する場所であって・・・と如何にも自衛隊は裁判になじまないような口ぶりだったから「では有力な証拠が出てきたことを踏まえて2審に差し戻すべきではなかったのか?」と言ったが無言だった。

裁判官と雖も人の子、生身なのだから専門以外はわからぬこともあり得るだろうが、それじゃ威厳が薄れるだろうに。

次に掲げた社説は事件とは無関係だが、最高裁批判と言う点で切り抜いていたもの。

ご参考まで

*平成5(1993)年1月21日日経新聞社説

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