軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

トランプ大統領の気配り

今朝、横須賀に入港している護衛艦「かが」を訪問したトランプ大統領は、隊員達へのスピーチの冒頭で、川崎で起きた小学生らに対する無差別殺人事件の犠牲者と家族に対して、米国民とともに悲しみを共有すると、哀悼の意を表した。

オバマに比べて「トランプ氏」に対しては、常々酷評するメディアだが、その人間性には月とすっぽんほどの違いがあると感じたのは私だけだったろうか?

何かあるとF-35を買わせる目的だ!と批判するが、もともと脆弱な我が防衛力が、それで一気に向上するのだからいいじゃないか。

すね人の様に抵抗していると、「敵性国家の回し者」という烙印を押されることになるだろうに?

 

 偶々手元に届いた「国体文化」6月号に、「令和を『国防の季節』にすべし・・・待ったなしの東アジア安保環境」と題して、里見日本文化研究所評議員の井上寶護氏が我が国の国防体制について書いているが、その冒頭部分に「『防人』の遭難を悼まぬ国民」と言う項目を立てて、この4月に三沢沖で墜落したF35Aの細見彰里3佐に関してこう書いている。

 

【北国では桜もまだ開花前の四月九日夜、青森県三沢基地に所属する最新型ステルス戦闘機F35A一機が消息を絶った。四機編成の戦闘訓練中で、乗ってゐた細見彰里三佐(41)の行方は四月末現在、不明である。

 十日に尾翼の一部が児つかったところから防衛省は墜落と断定、機体回収と原因究明に乗り出した。だが、現場の青森沖の太平洋は水深千五百メートルもあり、回収の困難か予想されてゐる。

 発生以来、多くのメディアが竸ってこの事故を取り上げた。中の一つは早速地元の町長を引張り出し、いかにも迷惑頗の町長に「又事故が起きないか心配です」などと言わせてゐた。

 あるいはまた、一機百億以上といふ高額の購人費に焦点を当て、全体で一兆円を超える整備計画に疑問を投げかける向きもあった。

 しかしこんな報道を山ほど見聞きしても、なんだかをかしい、しっくりこない。何か大切なことを忘れてゐるやうな、そんな違和心を強く感じた。

 空自のパイロットたちは空で遊んでゐた訳ではない。我らが住むこの日本の空を守るために、危険な夜間訓練に励んでゐたのだ。その中の一機が事故に遭った。直前に「訓練中止」を指示したといふから、指揮官機なのであらう。緊急脱出装置が働いた形跡もないことから、生存の可能性はゼロに近い。

 まだ四十一歳の若さで、一人の優秀な(でなければ戦闘機には乗れない)自衛官が殉職したのだ。先づは不幸にも事故に遭遇した「その人」に対して、真摯なる哀悼の意を表明するのが人の道ではないのか。メディアに所属する人々にもし「惻隠の情」といふものがあるならば、必ずさうしないことには自身の気が済まないのではないかとさへ思ふ。

 しかし管見の限りでは、そのやうなこころ遺ひを見せたメディアは皆無であった。本当に残念である。言ふまでもないことだが、メデイアは見る人、読む者の気持ちを忖度して報道の中身を決める。彼らは人々の欲する物を提供し、欲しない物は無視する。さうしなければ売れないし儲からない。

 これを要するに、まことに遺憾なことではあるが、わか国の輿論の中に、「現代の防人」たる自衛官の死を悼む感情は概して少ない。あってもメディアか無視できるほどしかない、といふことにならないか。亊情は警察、消防など危険な仕事に従事する人々に対してもほぼ同様であらう。

 公私の優先順位の判断、とりわけ「おほやけ」といふ観念を失ふとかうなる。今の日本人はその好見本のやうなものだ。そこでは自衛官も警察官も単なる一つの職業、メシの種に過ぎない。従ってたまたま運悪く殉職したとしても、それを特に悼む気持ちにはならない…こんなところだらうか。(以下略)】 

 

トランプ大統領の“きめの細かい配慮”に比べると、わが国のメディアの人間性欠如が浮き彫りになる。尤もこの事件での犠牲者に対しては、哀悼の意を表するのかもしれないが、憲法にも規定されてはない自衛官は別とでもいうのだろうか?

有難く感じたのでその部分を紹介したのだが、井上氏にはOBの一人として御礼申し上げる。

 

届いた雑誌のご紹介

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雑誌「丸」7月号  

今月は旧日本海軍が誇った「飛行艇」特集である。南方の委任統治領との行き来は、これら飛行艇が受け持っていて、正に太平洋を支配していた。定期空路も開発され、後の民間航空発祥の基礎にもなった。

その技術は、現在では新明和のPS-1に始まるUS-2に継承されている。

懐かしい写真などに感動した。

防研年次報告書も時期が時期だけに注目したい。