平成元(1989)年6月4日、民主化を要求する学生らに、軍が出動して銃撃を加え、戦車に立ちふさがる学生をひき殺すと言う残酷な行動に出たのが、中国人民解放軍だった。
基本的に軍隊とは、侵略してくる外国軍を排除して自国の民を救うものだが、発展途上国などでは、政権を護衛するのが主目的になっていて、各地で自国民を虐殺するなどの悲劇が繰り返されている。
当時の(今もだが)中国とはそんな存在だったのだ。
1989年と言えば、昭和天皇が崩御された年だが、防衛白書にも「中国戒厳部隊、北京市天安門広場等の群衆に発砲(第2次天安門事件)」と軽く記載されているだけで、小学館の「戦後史年表」に至っては記載もされていない。我が国ではその程度の認識の“事件”だったが、その後少しづつ情報が漏れ始め、中国共産党政権保持のために、鄧小平が指揮した大虐殺事件だったことが判明してきた。
元々あの国の軍隊は、自国民を平気で虐殺する軍隊であることは、「南京大虐殺事件」で証明されている。
今、産経新聞は、この事件について特集を組んでいるが(他紙は知らない)、あれから30年たった今、人権を重視する米国はじめ、EUが、真相解明と活動家の解放を訴えたと言う。
インターネット上では、当時の生々しい動画や写真などが流れているが、おそらく中国政府はこれらの対応を「偏見とおごりに基づく内政干渉」として突っぱねるだろう。自分の悪行は棚に上げ、他を責めるのはあの国の国柄、特に中国共産党にとっては、これを認めると党の存立が危うくなるからである。
処でこのような類似の事態に対する中国人の考え方はどうなのだろうか?
偶々整理中の史料に、中国人記者がアフガンをルポした印象を書いているものがあった。
彼は「ソ連軍がいる限り、人民は戦いをやめないだろう」と書いている。
言い換えれば「中国共産党政府が存続する限り、人民は戦いをやめないだろう」と言っているようなものである。
昭和60(1985)年11月19日毎日新聞
それは次に掲載したアフガンでソ連軍と戦っているゲリラの最高指導者の言にも共通するものがある。
30年過ぎても、未だに犠牲者らはこの事を忘れてないないのだ。
昭和61(1990)年1月19日毎日新聞
この事件を収束させたのは、日本政府の軽率な判断だったのだが、この時の海部総理と言う人物は、湾岸戦争でも大恥をかいたし、わが国の国益を台無しにすることを平気でやって恥じない総理だった。
次の≪中国点描≫の矢板外信部長の文は日本人の”お人良しさ?”を示して警告している。
令和元(2019)年6月5日産経新聞
こんな総理を選んだ国民が悪いのか、はたまた<適任者が政治家にはいなかっただけなのか?>だろうが、たまたま次のページの『正論』に、「作家・石原慎太郎」氏が、「悪しき[指導者]をどうするか」と題して、韓国の文在寅大統領を「権威に弱い彼らの国民性」「いかに国家国民を守り抜くか」「対岸の火事では済まされぬ」と厳しく非難しているが、文氏は外国人、それよりも、わが国の「悪しき指導者」をどうすべきかが課題ではないか?
指導者としての都知事時代の氏の評価はこの際取り上げないが・・・