軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

高齢ドライバー問題

昨夜発生した山形と新潟沖の地震は、人的被害が少なかったので一安心したが、1964年に起きた新潟地震から16日で丸55年ぶりと言う周期だった。

東南海地震が話題になっている時だけに、最近各地で大きな地震が続発しているという印象が強い。

6月16日には九州で小さな地震頻発していたし、海外では、18日朝に中国でM 5.2、今日もニュージーランドで大きな地震が頻発している。

京都大学防災研究所がまとめた次の地図によると、太平洋プレートの動きが活発になっているようだから、政府も国民も用心するに越したことはない。

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ところで今日の産経抄に「高齢ドライバーの事故対策」に関する興味ある意見が出ていたから、今日はこれについて愚見を書いてみたいと思う。

 

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令和元(2019)年6月19日産経抄

 

産経抄子氏が書いていた「社会学者・加藤秀俊氏」の「マイクロカーはどこへいった」と題する「正論」の中見出しは「お役所も後押ししていたのに」「年を取れば生活は変わる」と続くが、私が気に入ったのは第3項の「年寄りに大盛り牛丼いらない」の項である。

 

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6月11日産経新聞『正論』

 

当然私も「高齢者の仲間入り」している身だが、政府が検討している「安全機能付き車のみ限定免許」と言う施策には同意できない。勿論[安全策]を向上するのはいいことだが、結果的に「老人に大盛り牛丼」を強制することになりはしないか?

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6月11日産経新聞 

 

それよりも、体力はもとより、思考力はじめ視力も聴力も減退した身にとっては、最新式の装置にはなかなかなじみにくいものである。私も過去の高齢者講習でそれは実地に体験済みだ。教習所にある「燃費節約型」の最新式車両は、若い技術者が次々に新世代向けに開発し、デザインも時代に合わせてスマートにしているのであり、それは時代の要求だから当然だとしても、時代に取り残されつつあるわれわれ高齢者にとっては、取り組みにくいものである。もとより会社にとっては販売実績が第一だろうから、この傾向は増えるばかりで、高齢者は取り残されていくばかりである。

F86F戦闘機から、F4EJに機種転換させられた私には、転換教育が重荷だった。仲間の中には、F104Jから転換した者がいて、彼らはレーダー装備に慣れていたからとっつきやすく進歩も早かったが、視力第一で鍛えられてきた86F出身者にはつらかった。

勿論教育期間内にはマスターして乗り続けることが出来るようになったものの、車の運転教育ではそれは望めまい。

事実、私の優秀な部下だった元パイロットが、ある新型車を購入したところ、電話帳以上に分厚い取扱説明書がついてきたので、目を通すだけでも1週間以上もかかったらしい。

 

次に、教習方式にも問題がある。つまり、被験者が愛用している車で検定させてほしいのだ。そうすれば、点検整備状況も把握できるだろうし、特性も理解できる。

 

それについてはこんな意見が出ていた。

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6月11日産経新聞「談話室」欄

 

筆者は、古い車に対する課税方式と、物を大事にすると言う日本人らしい点を無視する政府の視野の狭さを問題視しているのだが、高齢者運転に関係する重要なポイントも含んでいると思う。

私の例だが、30年以上も使用している愛車は、もちろん点検整備は欠かさないが、何よりも、車との一体感が素晴らしく、昔の軍人が「愛馬精神」を欠かさなかった事に通じると思う。勿論現役時代は「愛機精神」も欠かさなかった。

私にとっては、“彼ら”は物体であるが「製品」という物体ではなかったのだ。

戦国武士が「人馬一体」となって戦ったように、操縦者が「人機一体」となれず“気持ちが分離”していれば、機体も思うような動きをしてはくれないから、空中戦闘には勝てない。

他方、大衆化して誰でもが「車」を乗りまわせる現在を見れば、何処か「操縦術」に不慣れな、あるいは無関心な運転者が増えているのだと思う。

 

話はそれるが、世間から「ハンドルを握る資格がない」と非難されていても、国会では《非難決議》はできても、有権者の意思で落選させない限り、更迭できない代議士”様”もいる。

生理学的には「ハンドルを握り、指を動かす」ことによって脳細胞が活性化し、若返る「高齢者」もいると言われている現在、一概に「事故=高齢者」として“差別”しないでほしいものだ。特にメディアにはそれを願いたい。