軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

京都アニメ放火事件

二十日の産経新聞は主張欄に「京都アニメ放火 大惨事は防げなかったか」と次のように書いた。

【「けいおん!」など多くの人気作品の制作で知られる「京都アニメーション」第1スタジオが放火され34人が死亡した。最悪の惨事である。

 事件を悲しみ、犠牲者を悼むコメントが世界中から届いている。同社に代表される日本のアニメが、どれだけ世界に愛されているか。改めて実感する。そして理不尽な放火の犠牲になったのは、その担い手の若い社員らだった。

 犠牲者の多くは3階から屋上に出る階段に集中していた。放火した男はスタジオ1階の玄関から侵入し、いきなりガソリンをまいて火をつけたとされる。爆発火災を起こし、スタジオ内は一気に火の海になった可能性がある。ガソリン使用の放火の恐ろしさだ。

(中略)

 消防法令ではガソリンの購入には専用の携行容器が必要としているが(略)購入時の身元確認も義務づけられず、業界団体に任されているのが実情だ。今後のテロ対策も含めて法整備の必要はないか。

 同社には数年前から「死ね」と記されたメールなど苦情や脅迫が会社に複数届いていたという。インターネット上には犯行予告と読める書き込みもあった。これらが犯行と結びつくものか、慎重に見極めなくてはならない。(略)

 明確な悪意を持った犯行を防ぐことは極めて困難だが、未然に摘発する機会はなかったか。これを探るためにも犯行の経緯や動機の解明は不可欠である。

悲惨な事件を繰り返させないためには何が必要で、何が足りないのか。捜査で浮き彫りにしてほしい】

 

「アニメ」を通じて社会に貢献していた70名を超す若者たちが、一人の異常者によって命を奪われ人生を狂わされたのだから、メディアは大きく取り上げた。

 

今日の産経は「新聞に喝」欄がこれを取り上げブロガーの山本氏がこう書いた。

【(前略)アニメファンに現実社会との関わりが乏しい人が少なくないのが仮に事実だとしても、この事件によりアニメなどの表現の規制やファンに対する蔑視か進まないよう祈るのみです。アニメ好きだから、引きこもりだから、精神疾患だからと安易に線引きして「日常生活の外で起きた特殊な犯罪」と捉えず、武富士弘前支店放火事件や相模原障害者施設大量殺傷事件のような、独自の被害意識や身勝手な論理を抱く人による凶行として考えていくべきでしょう。メディアとしても事件の悲惨さだけでなく、再発防止のためにその構造についての議論こそ心がけねばなりません。・・・】

しかし、メディアの現状から「再発防止のためにその構造についての議論」は恐らく期待できないであろう。それは、警察の行動を異常なまでに監視批判し、行動を規制しているからである。

例えば、今回の安倍総理の選挙応援演説会場で、激しいヤジが飛び、たまりかねた警察がそれを規制しようとした行為を、朝日新聞は『市民が警察に排除、拘束されたのは民主主義の根幹を揺るがす』と主張して擁護した。

又一部“市民”は『聴衆排除の警官を告発、札幌 職権乱用罪で地検に』という。

まるで”悪が栄え、善が滅びる”ことを喜んでいるかのように見える。

「声を上げる側」のほとんどは、組織活動家であり、何らかの意図で会場に来て妨害しているものが多いのだが、朝日は【秋葉原で首相に「こんな人たち」と指されたC.R.A.C.(対レイシスト行動集団)の野間易通さん(51)も「そもそも街頭は異論が混じり合う場所。どう対応するかも含めて政治であり、政治家を判断する材料になるはずだ」という。さいたま市の武内暁さん(69)は「有権者の意思を表すのがどうして演説の妨害なんですか?」

秋葉原での首相の演説に友人と駆けつけた。最近の国会答弁を見て、議論が成り立っていないと感じた。「ならば、直接民主主義の手法で、主権者が声で権利を行使する場所があっていい。演説を聞いて欲しいなら『聞いてくれ』と言えばいい。それが対話だ」】

と≪声を上げる側≫を擁護した。

しかし、この武内暁さんの正体は書かず、まるで自然発生的に集まった市民の1人であるかのように報じているが、彼も「『九条俳句』違憲国賠訴訟を市民の手で!実行委員会」なる団体の代表である。

つまり、沖縄で普天間基地移設問題に“積極的”に参加している各種団体と同様な組織なのだから、全うな選挙演説が行えるはずはない。そこで警察が排除しようとすると、朝日はじめ“外国系メディア”は反発する。

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地上波TVから

プラカードなど、準備の良さが、組織活動家であることを示している。誰がお金を出しているのだろうか?

 

以前、世田谷に住んでいた平成13年8月に、三軒茶屋の通称アメ横通りで、刃渡り30センチの大型刃物を持つ危険な人物がいるとの通報で、駆け付けた世田谷署の警察官が刺殺される事件があった。

当時現場を“取材”した私は、以前からこの男は刃物を持って暴れていた常習者で、住民が危険を感じて警察に通報すると、現場に来た警官は「事件が起きていないから」と何もしてくれず帰っていたという。

ところが 警官が戻ると男は「誰がチクッタか!」と激怒して包丁を振り回したが、住民は警察に通報しても無駄だからとその後通報せず耐えるしかなかったと言う。

ところがこの日駆けつけてきたのは、埼玉県警から転勤してきたばかりの責任感溢れる平田隆志警視(殉職後特進)であった。

近くの店の主人は「今までは警察の上の方は事なかれ。何もしようとはしなかった。今度殺された警官は本当にお気の毒」と絶句したものだ。

市民の身の安全を守ってくれるべき警察が、不審者を見つけても“事件後”でなければ取り締まらないのなら、警察が掲げる「防犯」とはいったいなんだろうか?

之もまた”悪を擁護し、善を批判する”メディアの主張に似ている。一人の悪人のために、何人の善人が死ねばいいと言うのか!

この時都議会で問題になったのは「警察官職務執行法と警察官けん銃警棒等使用および取扱規範で、厳しく制限されている」ことの方であった。

どこかが狂っているとしか思えなかったが、警官が被害者だったから拳銃使用が問題になったのであろう。

この時の都議会の結論は「現場の警察官に法律上の構成要件や危害を許容する範囲を考えてからけん銃を使えということは、抽象的には可能であっても、現実的には無理な話であります。まさにやるかやられるかという状況なのですから、規範に定めるような、相手方に警告を発したり威嚇射撃をする余裕は、実際問題としてはほとんどないと思われます」と議員たちには認識されていたのだから、平田警視は発砲すればよかったのである。

今回の京アニの事件でも、数日前から不審者(犯人だろう)が公園で目撃されていたし、それ以前に住んでいた埼玉でも粗暴なふるまいで問題を起こしていたと言うから、その時京都事件は考え付かなかっただろうが、事前に埼玉で事情聴取していれば、京都での事件は防げたかもしれない。

何よりも、一般的で協力的な常識ある市民に、見て見ぬ振りさせているのは、警察に「事件の予防措置」を禁じ、市民を「人権」と言う奇妙な縛りをかけて行動を束縛しているからであろう。

産経は「明確な悪意を持った犯行を防ぐことは極めて困難だが、未然に摘発する機会はなかったか。これを探るためにも犯行の経緯や動機の解明は不可欠である。

悲惨な事件を繰り返させないためには何が必要で、何が足りないのか。捜査で浮き彫りにしてほしい」と書き、「新聞に喝」欄で山本一郎氏は「メディアとしても事件の悲惨さだけでなく、再発防止のためにその構造についての議論こそ心がけねばなりません」と書いたが、反日メディアとその支持団体の現状を見れば虚しい叫びにしか聞こえない。

 

一日も早く「警察官職務執行法」を現実に即した内容に改正しない限り、正義感が強い警察官のやる気をなくすだけで、この種事件は一向に減ることはないと言える。

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産経新聞7月21日記事から

それにしても、将来ある優秀な若いアニメ作家たちと、ご家族の無念を思うと、いたたまれなくなる。合掌