軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

何も残さなかった「日本のシビリアンたち」

8月4日の産経トップに「ただ乗り防衛、批判再び」と題する「ホルムズ海峡情勢を巡る護衛問題」が大きく取り上げられたが、記事の中で驚いたのは次の内容である。

【6月中旬、東京・市谷の丘にそびえ立つ防衛省庁舎の地下3階。「J3」と称される陸海空3自衛隊の運用を担う中枢部門で、中東・ホルムズ海峡情勢をめぐる対処方針が話し合われた。同13日に発生した日本企業が運航するタンカーヘの攻撃に対し、自衛隊がとり得る選択肢を精査することが主眼だった。

 原油輸入の9割近くを中東に依存する日本にとって、ホルムズ海峡は死活的に重要なシーレーン海上交通路)だ。その航路で日本に関係するタンカーの航行が脅かされた以上、対応策を水面下で練るのは自然な動きといえた。

 しかし、ほどなくJ3の検討は中止になった。「背広組」と呼ばれる防衛省内局官僚による指示だったと言う。

「『頭の体操さえするな』ということだ。7月の参院選が近かったことを忖度したのではないか」。

防衛省関係者はこういぶかる。実際に忖度があったかどうかは別にしても、政府が抑制的な態度に終始していることは事実だ。

「現時点で自衛隊へのニーズは確認されていない。本事案に対処するためにホルムズ海峡付近に部隊を派遣する考えはない」

 岩屋毅防衛相はタンカー攻撃から一夜明けた14日、自衛隊派遣の可能性を早々に否定した。トランプ米大統領が日本を名指しして「自国の船は自国で守るべきだ」と自身のツイッターで発信しても、いかに自衛隊を派遣する状況にないかと後ろ向きの説明を重ねた。】

 

その昔、昭和38(1963年)に自衛隊統合幕僚会議が極秘に行っていた机上作戦演習(正式名称は「昭和三十八年度総合防衛図上研究=シミュレーション)を思い出す。

これが当時の岡田晴夫議員にすっぱ抜かれ、『シビリアン・コントロール違反』として野党はじめメディアからたたかれ、その後の国会において防衛問題をタブー視する風潮を助長する契機となったものだが、岡田議員は1986年2月14日付「週刊朝日」紙上で、「資料は新聞記者が持ち込んだものだ」と得意満面に語っている。

 

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 1986年2月14日付「週刊朝日

机上から「盗まれた」3等空佐は処罰され、盗んだ記者は出世したのだから、「まじめに仕事すると損する」と言う自虐主義が隊内に蔓延した。

今回の「ホルムズ海峡情勢」を、自主的に検討していた「陸海空3自衛隊の運用を担う中枢部門」の幕僚たちも、やる気が失せたに違いない。これが、今も変わらぬ「シビル・アンコントロール」の実態である。

しかし国民の大多数は「護衛艦」は、何を“護衛する船か?”と素朴な疑問を抱えている。

目線=読者から≫には「自国船護衛は自立国家の必須条件」として多くの意見が寄せられている。しかし、防衛大臣らには、「必須の条件」だとは写っていないらしい。

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8月5日産経新聞

 

これは、「なんでこうなった?」と題して講演した、私の現役時代に“体験”した「歴代総理の仕事ぶり」の一部である(敬称略)。

防大生時代=石橋湛山岸信介池田勇人、その後佐藤栄作沖縄返還を実現)と続いたが、田中角栄が出現し金権政治が始まった。

外務省出向時代は、三木武夫で、連日NPT批准問題で揺れる国会に局長に随行して、国会(政治)の実像をこの目で確かめる貴重な機会を得た。

その後は福田赳夫ダッカ事件で「超法規」を打ち出し、大平正芳と交代、ついで鈴木善幸は、1000海里シーレーン防衛問題で日米同盟を揺るがした

中曽根康弘は日米同盟に貢献したが、中国のお先棒を担いだ朝日新聞記事を気にして60年8月15日の靖国公式参拝を中止すると言う軽挙に走った。

その後は竹下、宇野、海部、宮沢、細川、羽田という軽量級総理が林立したが、遂に村山富一が総理になると言う“珍事”が起きた

退官直前の沖縄は普天間返還をぶち上げた橋本総理であったが、彼はシナのハニートラップに引っ掛かり米国からスポイルされた。

民主党政権時代はばかばかしいので省略するが、これが我が国トップの“実像”だった。

今、池袋で多数を死傷させた元通産省技術院院長に対して、厳罰を求める活動が広がっていると言うが、出来るものならば、無策だった歴代総理の責任も追及すべきじゃないか?

 

平成30(2018)年8月14日の正論に、堺屋太一氏は「『何もしなかった』平成の日本」と題して書いた中で、「日本で継承されるのはむしろ人脈、得体のしれぬ人間関係で、息子や娘に権力や任期を引き継がせる方法」だとし、「嫉妬から逃れ豊かさの追求を」と中見出しをつけて「要するにこの国は、奇妙な人間関係の谷間で、資本主義体制になりきれなかったようだ」と書き、「政治家とそれを支持する有産有識の士に、長期の視野と思考を持って[平成後の日本]をじっくりと考えてもらいたい」と遺言し、2019年2月8日に旅立った。

 

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しかし、今回の参院選を見てもわかるように、どう見ても有産有識の士は現れず、嫉妬心の強い候補者が乱立していたから、平成後の日本の針路は、混乱だけが残って政治は何もしないような気がしてならない…。

国家に何の成果も残せず、英霊に誠も捧げずして叙勲だけを目的にしているような『品性下劣な』日本国の元総理に対して、国民が正当な評価を下すシステムがあってもいいのかもしれない。

単に落選させるだけじゃ国民のストレスがたまるだけだろう…。

 

良書のご紹介

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井本勝幸 荒木愛子『帰ってきたビルマのゼロ・ファイター』(集広舎¥1852+税)

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熱誠溢れる両氏の遺骨収集作業に、さすが「福岡県人」だと頭が下がる。何よりも「国には見切りをつけました!」と単身ビルマに乗り込む勇気が素晴らしい。九州朝日放送にもエールを送りたい。

私は「大東亜戦争は昭和50年4月30日に終結した(青林堂)」を上梓し、悲惨だったビルマ戦線には1章を立てたが、この「実録」には遠く及ばない。

この本を知ったのは「宮崎正弘氏の書評欄」であるから、以下、氏の書評をそのままご紹介しておく。

 

 スーチーが治めているミャンマーは民族的に複雑な国である。

 カレン、シャン、モン、カチン族が山岳地帯の各地に盤踞し、スーチー政権と抗争を繰り返し、中国製の武器で武装している。英国の植民地時代に、当時のビルマは過酷な支配を受けて主権を喪失し、王室は廃絶された。

 近年、ロヒンギャが70万人も逃げ込んだバングラデシュとばかりか、インド、ラオス、タイと国境を接する。とくに中国雲南省との国境は武装ゲリラが暗躍し、ミャンマー政府の統治が及んでいない。無法地帯とも言える。

ところが、その少数民族の共生地帯は麻薬のシンジケートが跋扈し、また翡翠の産地である。翡翠は中国に輸出され玉(ぎょく)として珍重される。

この地域にいまも眠る日本軍兵士は四万五千! 英霊たちの荒御霊は鎮まっていない。

 

 主人公の井本勝幸は単身でミャンマーの紛争地へ乗り込んだ。そして武装無法地帯に分け入り、ゲリラと酒を酌み交わし、全土の停戦に導く主導的な役割を果たした。その功績によって旧日本兵の遺骨の在処を知らされる。

 しかし遅々として動かない日本政府。井本は共著者の荒木に言った。

「国には見切りをつけました」。

孤独な戦いが始まった。九州朝日放送が密着取材を敢行した。

主人公の独白。「僕は掘り出されたご遺骨にぬかづいて手を合わせた。『御英霊の皆様、遅ればせながら只今お迎えにあがりました。長い間お待たせして、誠に申し訳ありませんでした。今の日本が果たして良い国になったのか。悪い国になったのかはわかりませんが、それでも神々しいほどに美しい山河や海辺の景色は昔のままです

 これから祖国日本へ帰りましょう』」。

 こういう熱血漢が日本にいたことに感動する。

 

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走錨の令和・小堀邦夫著・梅田出版¥1600+税」
靖国神社の前宮司・小堀邦夫氏の歌集である。

「走錨」とは船舶が海中に錨をおろしても、激しい潮流で流される状況を言い、従って「船も行方を失う」と言う意味を含んでいる。何か国の行く末を暗示しているような気がしてならない。

そんなところに週刊新潮7月25日号に「靖国神社」の神をも恐れぬ「ハレンチ動画」と言う特集が大きく出ていて、英霊に対する神職(祭儀課長=権禰宜)の不謹慎さに絶句したが、どうも神社内部が、弛んでいるようだ。

数多の英霊たちが眠る靖国神社。その社を支える神職は、日々身を律して神に仕えているに違いない――

そんな期待が木端微塵に打ち砕かれる醜聞が発覚した。同神社の幹部職員による数々のセクハラが明るみに出たのだ。これぞ神をも恐れぬハレンチ行為である。】とリードに大きく書かれた靖国神社は、英霊とご遺族方にどうお詫びするのだろうか? 

神職の白衣を付けただけで、事勿れの役人的だ!と言う声が昔からあったが、気にも留めていなかった。しかし、このとこと不祥事が続いているようだから、事実なのだろう。

神職」ならぬ「浸食」の気配がするが・・・あきれてものを言う気もしない。英霊方の怒りと祟りは免れないだろう。