軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

中村医師の“戦死”に想う

七日、アフガニスタンで長年支援活動に携わってきた日本人医師、中村哲さん(73)が銃撃され死亡した事件で、AFPは首都カブールの空港で行われた追悼式典の模様を、写真入りで伝えたが、特に目を引いたのが、中村哲さんのひつぎを運ぶアシュラフ・ガニ大統領の姿であった

f:id:satoumamoru:20191212125851j:plain

遺体はその後成田に帰国したが、遺体が到着した成田空港のロビーには、在日アフガン人約60人が「感謝と謝罪の気持ちを伝えたい」と花束や中村さんの写真を手に集まり、死を悼んだ。毎日新聞によると、【在日アフガン人たちは直接、中村さんを見送れなかったものの、空港の駐機場でひつぎに黙とうをささげたバシール・モハバット駐日大使から状況を聞いた。日本に住んで約20年になる茨城県坂東市の自動車関連業、メンザイ・サレ・ムハマドさん(48)は「私たちは中村先生の命を守れなかった。遺族と日本人に申し訳ない。ごめんなさい」と語り、「先生のおかげで多くのアフガン人が助けられた。先生みたいな人はいない」と感謝の思いを繰り返した。

モハバット大使は取材に「守れなくて、こういう結果になって残念で、お悔やみ申し上げます。アフガン人はみんな中村先生のことを愛していたのでみんな泣いている。アフガン人それぞれの心に英雄として永遠に残るでしょう」と話した】と言う。

空港では空港職員が深く一礼したと言うが、所轄官庁の外務省が先頭に立って出迎えるべきだろう。副大臣が出迎えていたというが、それにしてもこれが“大国日本政府”の取るべき姿か?と残念に思う。仮にPKOで自衛官が“戦死した”場合だったらどうか?勿論手厚く出迎えてくれるだろうが、“民間人”だと大々的に出迎えない規定でもあるのだろうか?それとも中村医師の、過去における憲法発言か?納得がいかない。

他方九日午前、福岡空港に戻った時も、空港の展望デッキでは、九州在住のアフガニスタン人が数十人集まり「あなたは私たちのヒーローです!」「守れなくて申し訳ない」などと書かれた横断幕を掲げ、飛行機が到着すると、日本とアフガニスタンの国旗を掲げたりして多くのアフガン人らが中村さんを出迎えた。報道によると【佐賀県多久市のアフガン人ハジール・ジハンさん(46)は「中村さんが亡くなってアフガンの人も苦しいことを家族に伝えたくて、みんなを集めた」と話した】と言う。

f:id:satoumamoru:20191212133708j:plain

 福岡空港ではペシャワール会の関係者らが出迎え、村上優会長(70)は、遺体の帰国に「安堵した」と話し、時折涙で声を詰まらせながら、「本当に言葉がない。悲しいの一言に尽きる」と中村さんの死を悼んだ。

 成田でも、福岡でも、在日アフガン人らが集まって、心から中村医師の死を惜しんだ。中には「守れ無くで申し訳ない」と言う慙愧の念が書かれていた。その上、アフガン民間機は、尾翼に中村さんの肖像を書き込み「愛し尊敬してた」ことを表現したと言う。(朝日)

f:id:satoumamoru:20191212132133j:plain

【同国のカーム航空が哀悼の意を込め、旅客機に中村さんの顔を描いて国際線で飛ばしている。同航空によると、中村さんの絵が描かれたのは、エアバスA340型機1機の尾翼部分。6日のフライトから使われており、予定も含めた運航路線はインドやサウジアラビア、トルコ行きだ。さらにもう1機にも中村さんを描く予定だという。

 中村さんを描いた理由について、同航空のスライマン・オマル営業部長は朝日新聞の取材に「中村医師はアフガニスタンの成長と発展に多大な影響を及ぼした。私たちは彼を愛し、尊敬していたからだ」とコメントした。

 同航空は2003年に首都カブールを拠点に設立された、同国初の民間航空会社。通常、機体の尾翼には同航空のシンボルである鳥の絵が描かれている】

 これが素直なアフガン人の心を表したものであろう。そこには人間として共通した心の波動が感じられる。

 ところで日本は神の国であり、精神性を重んじる国柄の筈であった。昔は台湾の八田与一氏のような方が大勢いたが、現代日本人の中で「無私の精神」を国外で発揮したのは中村医師だけだったと言うことになる…

 まあ、国家に命を捧げた多くの英霊に対して、首相がポケットマネーで榊を送って済ませる国に成り下がっているのだから、ある意味、今回の私の目からすれば心のこもらない?出迎え風景は、当然の成り行きだったのかもしれない。

  

12月八日の日米開戦時に、当時の在ワシントン日本大使館では、暗号電報の翻訳などが遅れて、ルーズベルトの“罠”にまんまとはまる大失態を演じたが、その後、戦中戦後のどさくさに紛れて失態を演じた関係者は処罰されず、逆に大出世した前例がある。

 その時、東郷外相の事情聴取(昭和17年7月)に対して、井口参事官は「あれは自分の管掌事務ではないため承知しません…」と平然と責任回避しているが、その後東郷辞任でうやむや、戦後も吉田首相の時に当事者の一人であった森島守人総領事の具申により事情聴取が行われたが、政権交代でうやむやにされた。

そして、1994年までのこれに関する外務省の見解は、「戦争は軍部によって引き起こされたもの、通告の遅延は【現地大使館の怠慢】によって生じたもので、本省にはいささかの落ち度もない」と逃げていたが、翌年、外交文書が公開されるようになると、世論に押されたか「本省の体制上の不備も一因」と一部修正して逃げた。

 国家に貢献した国民をたたえるのは、公人も民間人も無関係であろう。アフガニスタンでは大統領自らが棺を抱えて中村医師の貢献に感謝し、哀悼の意を表したのに比べて、何とも血が通っていない気がするのは、伝統的な役所の仕来たりのせいか?

 中村医師は福岡高校の出身だと言う。すこしだけ先輩に当たるライバル高校出身者の私としては、遥か東京の地から偉大な”ライバル”仲間のご冥福をお祈りしたいと思う。アフガンの地で、エアバス機の尾翼から、自らが手がけた緑の大地をいつまでも見下ろしてほしい。合掌

 

届いた書籍のご紹介

==================

f:id:satoumamoru:20191212134221j:plain

今月号の『巻頭言』に、「政治的公正に疲れ技術的特異点に向かう世界」と題して、「既存システムへの不満表明はデモから暴動へ」突き進んでいると、志方先輩は警告している。私に言わせれば、技術だけが先走りし過ぎて、肝心の「人間性」が置き去りにされているという事だろう。その意味からも現代社会は危険が迫っていると言えよう。香港は、トランプ大統領の素早い動きに救われたが…