「町人国家から文化国家へ・これが日本の生きる道だ」
サンケイ新聞社主筆:鹿内信隆(1988年1月1日)
この記事は、今から30年前のものである。内容は読めば判るように『このままではいけない!』と感じた鹿内主筆が、自ら年頭に際して“自覚なき国民(と言うよりも政治家と経営者たちに)”に対して日本の危機を警告したものである。
≪サンケイ新聞昭和63年1月1日≫
【■こんな日本にだれがした■
日本の戦後は完全に終わったと言ってよいのではないか。日本を取り巻く環境や課題もひところにくらべ大きく様変わりした。
戦後の価値観や物の考え方ではもはや対応できなくなっている。その意味で日本は前人未到の新しい時代に入ったといえる。
そしていまの日本に必要なのは、時代を先取りする新しい発想や哲学ではないだろうか。
たとえば、日本はもうひ弱な敗戦小国ではない。経済大国であり、国際的地位も飛躍的に向上した。日本商品のはんらんに音を上げた欧米先進国は、日本に輸出の自粛と輸入の拡大を強く訴えている。発展途上国もまた、日本の経済援助や技術援助に多大の期待を寄せている。
国内は平和で物資は店頭にあふれている。国民が求めているものは、貧困からの離脱ではなく、より豊かなより快適な生活なのである。
だがこれからの対応は容易ではない。当面する課題も複雑かつ多様化している。深刻な経済摩擦の中で日本たたきをどう克服するか。通貨調整をどうやるか。米国の防衛要請ににどうこたえるか。
これらは最大の外交課題である。また内政面では、産業構造の改革や内需拡大策、地価対策や悦制改革が緊急課題となっている。
将来に備える政治や教育の改革も放置できない。しかもこれらの新しい課題は、短期的な場当たり的な対応ではすまぬものばかりである。
それだけではない。いまの日本に今まで予想もされなかったような事態が現れた。
■経済大国は八方塞がり■
世界一高い土地
世界一高い税金
世界一高い食糧費
世界一高い人件費
世界一高いエネルギー
これで日本経済が成り立ってゆくであろうか。国民は快適な生活をエンジョイできるであろうか。しかも日本は他国の痛みを知らぬ自国本位の国として、世界の嫌われものになりつつある。
経済大国日本はまさに八方塞がりであり、戦後はじめての危機、国難の到来だということもできよう。どうしてこうなったのか。
ひとつには他国もうらやむ戦後の国家経営の成功が、逆目に出たと言うこともあろう。だが大部分は、戦後の繁栄の上に安逸をむさぼり、打つべき手を打たなかった国全体の怠慢に起因していると言えよう。
たとえば、戦後民主主義によって国民の権利意識が肥大化した。
このため国民は自助努力を忘れ、政府に過剰依存、過大要求する風潮がなかったとは言えまい。
政治家もまた時代に適合しなくなった農村依存型の選挙制度の下で政治活動よりも選挙活動に専念せざるを得ない、利益誘導型の政治にのめり込んだ。
それが国を思うこと深切ならずといった政治風土を生んだのではないか。
官僚もまた省あって国家なし、国政よりも自省の権限や組織の拡大のみにうつつを抜かし、自ら責任をとることなく組み立てられた行政機構は今や窒息しそうになっている。
経営者もまた企業精神や社会的責任を忘れ、金儲け主義に走り過ぎ行政への依存体質を強め政治家に卑屈な媚態を見せ政治的腐敗を助長したのではないか。マスコミも同様である。言論の自由の上にあぐらをかき、反政府、反体制を気取り、進歩的文化人に迎合する紙面をつくり続けたのではないのか。
もしこれが実情だとすれば、その責めは国民全体が負わねばならぬということになろう。
■尊敬され愛される国家へ■
だがいたずらに過去を責めてもはじまらない。またいたずらに将米を絶望視するには当たらない。国民の心構え一つで災いを福に転ずることもできる。
幸いこの国の歴史は、国難に見舞われたとき、民族の英知とバイタリテーを結集、一致協力してこれを克服したという幾多の事例をもっている。
尊王攘夷で徳川幕府を倒した明治維新政府は、一転して開国政策をとり、文明開化、和魂洋才で近代国家の基礎を固めた。
敗戦のときもそうである。占領政策で日本は武力を持たぬ平和国家として生きることを強いられた。しかし日本はそれを逆手にとり、貿易立国、経済立国、町人国家に徼することで今日の繁栄を築き上げてきた。
だがその町人国家日本の前途は厳しい。世界が日本の経済力による世界制覇を恐れているからである。このままでは経済摩擦や海外の抵抗は深まるばかりだろうし、最悪の場合は日本が世界から村八分にされることにもなりかねない。これから日本が生きる道は国際社会での平和共存しかあり得ない。だとすれば損得抜きで日本の経済力を世界の平和と繁栄に役立たせると言う心構えが必要であろう。
つまり町人国家から、心豊かな文化国家をめざすという意識革命が必要ではないか。
日本の文化は、古来柔の文化であった。西欧の文化はもともと科学万能、物質尊重で、人力で自然を征服することが進歩だとする戦い競い合う文化である。だが日本の文化は自然との調和、人の和を重んじ、自己を犠牲にしても全体の平和と発展を願う柔らかな文化である。ところが戦後の日本は繁栄や西欧化を急ぐあまり、古来の日本の文化や伝統を故意に見棄てててきたのではないか。
しかし最近は逆に、この日本の伝統や文化、平和に生きる日本人の生き方が世界の注目を浴びている。日本文化の象徴である天皇制に対する評価も高い。なぜだろうか。これは西欧文明の危機を意識した西欧世界が、文明再生の手がかりを日本文化に求めようとしているからではないだろうか。
いまの日本に必要なことは、日本文化の良さを再発掘し、それに西欧文化の良さを加え、自分たちの手で新しい優れた文化を創造することなのである。
それが真の国際国家への道であり、日本が世界から尊敬され愛される道なのである。
町人国家から文化国家へ、日本の将来を光り輝くものにしたいものである】
いま静かにこれを読み返すとき、この30年間、わが国の政治家と経営者たちは我が国をどのように導いていこうと考えていたのだろうか?と疑問がわく。
政治は腐敗し、企業(特に大企業)は次々に倒産し、得体のしれない外人にトップの座を手渡した愚かな企業もあった。
私はこのブログでも「士農工商」をよく「商農工士」と揶揄してきたが、未だに“町人国家”を脱し切れていないと感じる。
ではどうすれば「脱することが可能になるか?」
時間はかかるが、今一度精神的に「士農工商」に戻る教育・即ち武道教育を充実させることだと思う。
この30年間に、首相は、竹下登、宇野宗佑、海部俊樹、宮沢喜一、細川護煕、羽田孜、村山富一、橋本龍太郎、小渕恵三、森喜朗、小泉純一郎、安倍晋三、福田康夫、麻生太郎、鳩山由紀夫、菅直人、野田佳彦、安倍晋三と18人も代わっているから、腰を入れて指導できなかったのかもしれない・・・それとも「武士道精神」に無関心だったのかもしれない・・・。
いやそれよりも、鹿内氏が昭和63年(1988)1月1日に書いた『年頭の主張』欄に誰も関心を抱かなかったのだろう。
日本の指導的立場についていた18人のこれらの方々は一体今、どう責任を感じているのだろうか?…。
平成19(2007)年秋、拓殖大学日本文化研究所主催の「武士道の復活は可能か」と題したパネルディスカッションで、「私の武士道と死生観」と題したエリ・コーヘン・イスラエル大使の講演の後、コーヘン大使と中村彰彦氏、藤井厳喜氏とともに、司会者の井尻千男氏から「武士道の復活はあり得るか?」と問われた。
その際私は「現状を見れば武士道の復活はありえない」と断じたが、辛うじて「操縦教育の体験上、生死をかけた教育をすれば可能かも?」と付け加えたことを思い出す。
≪新・日本学≫
これ等の“命をかけてはいない”政治家らは「マ、良いか。減るもんじゃなし…誰がやっても変わるわけないよ」とでも思っていたのだろう。拉致事件がそうであるように…
だとすればあまりにも無責任で、指導者としての資格はないと言わざるを得ない。しかし、国民自身が“彼ら”を選んだのだから、国民の責任でもある。
今、黄泉の国から現状を見下ろした時、鹿内氏はどう感じているだろうか?と知りたくなる。
これだから言論は虚しいと言われるのだ…。
尊敬していた真のジャーナリスト・福田存存先生も、西部邁氏も虚しさを感じて筆を折ったのであった。
未だにわが言論界には、そんな虚しさが続いているが、諦めずに健闘しておられる論者方には“敬服”するのみである。御健闘を祈りたい。

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