軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

職業に貴賎はないが、人間に貴賎がある…メディアは?

緊急事態宣言に伴う企業の休業要請の細部が、政府と地方自治体で異なっていることに関して、ワイドショーでは商売上がったり…の実在人物に問い合わせて意見を聞いている。

確かに「想定外に蔓延した武漢コロナ」のせいで、通常通りの営業が困難になった業者にとってはつらいだろうが、なんとなく発言に「依頼心が強い」と感じられるのはなぜだろう?

スタジオのキャスターに嗾けられたか、政府や自治体に『区分などをはっきりさせてほしい』という企業主が目立つ。

休業要請の原点は、国民を被害から守るためにウイルスを蔓延させまいとして「泣いて馬謖を斬った」知事らの決定にあるのだが、その趣旨を理解すれば、少しは我慢できないものか?

なんだか、「言うことに従えば自分だけが損をする…」かのようなそんな危惧から出ているように見えるのだが…・

 

その昔、江戸時代に「職業に貴賤なし」と言った石田梅岩という学者がいた。

士農工商」という階層が生きていた時代、社会的職務の相違を説いたものであり、人間価値の上下(貴賤)に基因したものではなかったし、梅岩自身が町人出身であった。

つまり、「武士が指導し、農民が生産し、職人が道具を作り、商人が流通させる」という世の中を示したものだと私は解釈している。

今回のコロナ禍を抑えるための施策に関して、本来の医療関係者の苦労はそっちのけで、「割を食った」商売人がお上にたてつく姿は、「職業に貴賤はないが、人間には貴賤がある」ことをみせつけられるきがしてならず、少なくとも「職業に貴賤はないが上下はある」ことを思い知らされる。

TV関係者の職位がそのどちらに入るか知らないが、政府や自治体の関係者の苦労を知りながら、「あらさがし」ばかりに熱心なように見えてならない。

スタジオで”喚く!”彼ら彼女らがその立場になったら、関係者以上の完全無欠な仕事がやれる自信はあるのか?

だから私は地上波は「お茶らか番組で無責任」な番組に分類している。

総理が国民に「寄り添っていない」と批判しているが、TVは寄り添っているか?お涙頂戴番組は熱心だが・・・

自分の都合で、苦労している商店主を引っ張り出してきてしゃべらせ、番組を構成して満足しているようだが、少しは反省したらどうだろう。

今や、彼らが「心配??」しているように、医療崩壊直前に迫り、医療関係者は不眠不休で身を犠牲に耐えているときである。少しは彼らを激励する気にならないのか?ラグビー試合の時に、メディアがこぞって連呼した「ワンチーム」精神はどこへ行った?

 

老兵は、現役時代にあることないこと非難されまくり、暴言を浴びせられた経験を持つ身、今でもその観点でメディアを眺めているのだが、国難の中にある今、あまりにも他人事のような発言が目に付く。

その昔、普天間基地オスプレイが配備されることになった時、同じスタジオで「世界一危険な航空機を世界一危険な基地に配備するのは言語道断!!」と口角泡を飛ばして叫んでいたコメンテーターがいた(今も健在だ)が、そんな”危険な航空機”を自衛隊も装備したけれども、彼はなんとも言わない。TV芸者と言われるだけのことはある。

 

ところで今回の自粛要請で店を閉めざるを得なくなった店には、パチンコ店、クラブ、キャバレー、一部の飲み屋…などがあげられているが、勿論同情はするものの、指定されたわけを深く考えてみると、なんとなく、「士農工商」という階層が生きていた石田梅岩時代感覚がよみがえってくる。

そういえばすぐに一部の職業のお方から反論されるのだろうが、「職業の貴賤」というわけではなく、今回のような有事に於いては「不要不急」の職業とされたのだろう。

「きつい、汚い、危険な仕事」と言われる職種の代表格である3K任務に黙々と服してきた自衛官から見た正直な感想だと言えば、文句あるまい。

連日の自宅待機で、見るともなく見ているワイドショーから「職業に貴賎はないが、人間には貴賎がある」ことを思い知らされた感想まで。