軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

自由の砦「香港は死んだ!」

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今日の産経新聞は「香港は死んだ」と黒帯で弔意を示した
7月1日、この日は香港がシナに返還されて23年になる。そして私が任務を解かれて退役した日であり、忘れられない日でもある。あれから23年たったのだ。


退官直前に、エリザベス女王のお召し船である「ブリタニア号」が日本各地の巡航を終えて那覇港に最後の寄港をした。

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当時の沖縄県知事は無礼にも全く歓迎しようとしなかったから、南混団(主として海自)が主体となって引き受け、サッカー、日本武道の展示など各種親善行事を主催したが、軍人同士ということもあって、催しは盛大だった。勿論停泊する港の警備も担当した。

挨拶に来たモロウ艦長(准将)は大いに感謝してくれ、宝船そのままである艦内を案内してくれた。

その時『「一国二制度」などという、いかがわしい政治用語を真に受けて、英国は返還に応じたが、シナの言う約束事はまやかしで、いずれ併合され、香港市民はヴェトナム終戦時の「ボートピープル」となってアジア各地に離散するだろうに』と警告したが、艦長も軍人、政治の問題にはコメントしなかった。
もとより、植民地支配時代はとっくに終わっているから、香港の維持が難しかったのだろう。

こうしてブリタニア号は那覇港を出港して香港に向かい、フィリップ殿下始め総督などを収容した後、滅びゆく大英帝国…の姿そのままに、ユニオンジャックをたたんで英国に帰還したのであった。

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アジアから”撤退”する大英国艦隊

 

中共との”口約束”は50年であったが、舌の根も乾かぬうちに、反故にされる屈辱を今回”大英帝国”は味わったのだが、もはや力では対抗できまい。

このような「国際間の約束をいとも平然と破る国」に、今回の”ウイルス”同様、世界はあしらわれているのである。

記事の下段に河野防衛相が「習氏の国賓来日」に重大な影響と言っているが、こんなやくざな国の首席を「国賓」として扱うとは、世界中の常識からかけ離れた行為であり、同盟国の米国はじめ、良識ある国から「異端者扱い」されるだろう。いや、日本は中共と同盟国か?と疑われても仕方ない。そこまで落ちぶれたのか?
それほどまでにしてお付き合いしたい人は、公人の身分を捨てて個人的に北京に移籍すべきだろう。こんな方々を昔は「国賊」または「君側の奸」と呼んだ。何が「人権か!」

 

中共が香港を手放したくないのは、国際的には二束三文の価値しかない「元」のマネーロンダリング銀行を抱えていて、「元」を即「香港ドル」から「米ドル」に変換できるからだといわれている。

これを失えば、ただでさえ厳しい米中経済戦争に太刀打ちできなくなるからだろう。彼らにとっては「人権」なんぞよりも「金権」なのだから。


民主化に立ち上がった香港の青年たちは、やがて次々に拘束されて、拷問にあった後で消されてしまう運命にある。日本の人権主義者たちがまったく口を閉ざしているのはなんともおかしいじゃないか。一国二制度ならぬ、ご都合主義そのものじゃないか!

 

大陸の血を引く国会議員らは、身内の悲劇を見て見ぬふりをしているが、ならば日本の政治に偉そうな口出しをしてほしくない。

第二次世界大戦の開戦直前に、ナチスドイツとソ連に分割占領されたポーランドの悲劇を思い出す。軍事力の弱い国の悲劇は時代は変わってもいつまでも繰り返されるのだ。

そういう意味では、歳だけ重ねている地球人類の進歩の遅さを実感する。

「ノアの洪水」は避けられないのではないか?