軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

李登輝元台湾総統を悼む

早8月、セミの声もちらほら聞こえる時期になったが、相変わらず世間はコロナコロナと喧しい。メディアはそんなに金になるのかな~~

そんな中、李登輝元総統が30日台北で死去された。97歳の大往生だった。

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     靖国神社を参拝された李登輝元総統ご夫妻

現役時代の平成8年10月19日から28日まで、台湾国民党軍OBらが、尖閣にヘリコプターで着陸して施設を破壊する、との情報を得て、この間ファントムによる防空作戦を実施した。勿論早期警戒機E2Cの支援を得てである。

厳重な警戒に台湾側は狼狽えて、那覇管制部に「F4の飛行目的は?」などと聞いてきたが、管制部はノーコメント。実は私の意図は「大陸側の動き」にあったのだが…

そんなさなかの20日の夜に、台湾を訪問していた某教授から直接「明日李登輝さんと面談するので、何か伝えましょうか?」と電話が来たので、「別にありませんが、今の沖縄の司令官は剣道錬士、血気にはやる男ですから何をやるかわかりません。ご注意ください、とだけ言ってください」というと教授は笑って電話を切った。

翌日の午後、再び教授から電話が来て「李登輝総統は、尖閣は日本の領土です。そんなこと(侵攻)はさせませんよ」と言われた、と言ってきた。

そして二十四日に台湾行政院が「台北空港から尖閣へのヘリの離陸は認めない」と決定したとニュースが入った。李登輝総統からの指示だったのだ、と私は直感した。

 

退官後の平成15年9月5日から7日まで、「台湾『正名』運動」に参加して台北市内を行進したが、その夜、大飯店で慰労会が行われたとき、私はメインテーブルで李登輝元総統の正面に着席した。

盛大な宴が終わり総統ご夫妻が退出されるとき、わざわざ私に近づいて「やあ、佐藤さん」と声をかけて下さり握手した。

別れ際私はご夫人に「総統閣下の健康をお願いします」と声をかけたのだが、呂秀蓮副総統も笑顔だったことが忘れられない。

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平成11年10月、日台安保論壇にまねかれ、台湾大学国際会議場で講演した時、私の後に登壇したのが呂秀蓮女史で演壇の袖で笑顔で握手をして交代したのだが、憶えてくれていたようだ。

呂秀蓮女史も、7月16日の産経に「尖閣で日台対立、中国を利する」と警告してくれている。問題は台湾の置かれた立場に十分な理解ができていない不勉強な日本の代議士連中の方だろう。内省人外省人の区別さえついていないのだ。

尖閣防空作戦では、時の橋本首相(その息子が橋本岳厚生労働副大臣で文春砲にさらされている…)から「武器は使うな!」と厳命されたが、日台両首脳の力量に、月と鼈ほどの差を感じたものである。

ノーベル平和賞は、オバマ如きではなく李登輝元総統に贈られるべきものだろう。

とまれ、数々の苦難を乗り越えて、大陸の圧力に屈することなく、立派に台湾を民主化に導き、日台友好関係の絆を確立された李登輝総統閣下のご冥福をお祈りしたい。