軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

大事なものが置き去りにされつつある夏、に思う

お盆を迎える8月は、我が国では大半の国民がお墓参りに詣でてご先祖と対話する月になっているが、今年は「コロナ」で制限されたため、異様な月になった。

一般家庭の墓参りもそうだが、それに輪をかけて薄れていくのが戦没者に対する供養の心だろう。今年は靖国神社も”コロナで公的行事”を見合わせた。もともと総理が熱心でないのだから、仕方ない?ことだが英霊の心は休まるまい。国に命をささげた英霊が、その首長に”見捨てられる”のだから…

産経は「薄れゆく戦没者への恩義」の中で、「靖国参拝しない歴代首相」「当たり前のこと」7年なし、と批判しているが、歴代総理の誰が”戦犯”なのかは別にしても、小泉総理は「終戦の日」の参拝を公約して毎年一回参拝したと”評価?”されているが、私は評価に値しないと思っている。国民の「靖国神社」に対する思いを利用した人気獲得要素が強かったからだ。それが証拠に、総理をやめてからは参拝していないではないか!

そもそも第一回目の参拝は”2日前倒し”して、突如「ひげもそらずSPも手配せず唐突に参拝」して神社側を驚かせている。

f:id:satoumamoru:20200813165010j:plain

その理由は「訪中中であったYKK仲間の一人がシナの圧力に従って忠告したからだ」と言われているが、誰かのスキャンダル写真を公開するぞ!というものだったらしい…

要するに靖国神社参拝は本心からではなく、人気取り、票集めだったのだ。

強がりを言う割には、肝心なところで弱音が出て腰砕けになり、拉致被害者を取り戻す”絶好の機会”であった2002年9月17日の電撃訪朝でも、金正日が珍しく「謝罪」したにもかかわらず、チャンスを棒に振ってしまった。これは拉致問題解決の芽を摘んでしまったわけで、彼の罪は万死に値すると思う。

何がそうさせたのか?については「血が騒いだ」としか言いようがないと友人から聞いたが、彼の”学生時代の過去”を握られていたからだという説もある。

 

11日の正論欄に、佐伯・京大名誉教授は「大事なもの置き去りにされた夏」と題して”疫病”にかこつけて「何か大事なものが置き去りにされた」と書き、「先祖の霊との対話であるお盆も、また戦死者との魂の交歓である終戦の日も特別なものでなくなった時、われわれは、自らの生も死も意味づけることができなくなったのではなかろうか」と慨嘆した。

f:id:satoumamoru:20200813164446j:plain

f:id:satoumamoru:20200813164708j:plain

佐伯教授が言うとおり、コロナ禍にかこつけて、見失ってはならないものまで置き去りにされていく。この「神を冒涜」する行為を日本人に取らせたことこそが、今回の武漢ウイルスの”成果”だったのではないか?

たまたま昨日は12日で、御巣鷹山の慰霊の日だった。「事故の悲惨さが風化しないように受け継いでいきたい」とご遺族がTVで語っていたが、ご遺族の心中はそうだろう。しかし、この事故の責任は、会社のずさんな安全管理にあったのだから、社長が言ったように、全社挙げて犠牲者の供養を永久に続けるべきだ

たまたま週刊新潮に、この事故当時、救難活動に従事した、当時2等陸尉だった元陸幕長の手記が出ていた。私は当時一等空佐で空幕広報室長だったから、彼らの苦労話は痛いほど知っている。

f:id:satoumamoru:20200813161258j:plain

フジのスクープ写真となった川上恵子さん救出劇で、ロープを体に巻きつけてヘリに運び上げた佐久間2等陸曹(当時)は、その後どうしているやら気がかりである。

地上の地獄絵図を無視して、取材の為に自衛隊ヘリの間に割り込んで、自衛隊の活動を妨害しつつ、現場の記者にミネラル水や撮影用のテープ、中には「たばこ」までも届けた不埒なテレビ局ヘリもあった…。書かれなきゃ記事にならないのだから身勝手なものだ…。

 

とりわけ今年は厳しい暑さが続く毎日だが、雷鳴がとどろくたびに私には列島上空に漂っている多くの「御霊の怒り」に思えてならない。何が「地球温暖化だ!」

ご先祖様の供養はもとより、戦没した英霊の御霊、並びに、安全管理を軽視して事故に遭って散った520名の御霊に静かに黙とうをささげたいと思う。