軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

「海洋国」日本は、大陸国に深くかかわってはならない!

 月刊日本5月号の巻頭言に、大正十二年(1924)十一月に神戸に立ち寄って頭山満と会談した孫文が翌日、旧制神戸高等女学校の講堂で行われた演説会で「日本に対し、覇道を往くのか、それとも王道を歩むのかという究極の選択を突き付けた」と南丘主幹が書いている。

我々が大アジア主義を説き、アジア民族の地位を恢復するには、唯だに義道徳を基礎として各地の民族を連合ずれば、アジア全体の民族が非常な勢力を有する様になることは自明の理である。

 ならば我々は結局どんな問題を解決しようとするのかと言えば、圧迫を受けて居る我がアジアの民族が如何にすれば欧州の強盛民族に対抗し得るかと言うことであり、簡単に言えば、被圧迫民族の為に其の不平等を撤廃することである。我々の主張する不平等排除の文化は、覇道に背叛する文化であり、また民衆の平等と解放とを求める文化である。貴方がた日本民族は既に一面欧米の覇道の文化を取入れると共に、他面アジアの王道文化の本質をも持っている。今後日本が世界文化の前途に対し、西洋覇道の鷹犬となるか、或は東洋王道の干城となるか、それは日本国民の詳密な考慮と慎重な採択にかかるのである」

そして明治維新を成功させた日本は日清・日露戦争に勝利し、天皇を中心とする特別な国家であると誤信し「皇道」と称して西洋覇道の道を突き進んだ。そして「その往き着く先は、原爆投下と徹底的な国土の破壊、そして惨憺たる敗戦だった」とし「その結果我が国は戦勝国米国の桎梏の下で奴隷の平和と繁栄に甘んじ、今日に至っている」とする。

そして「いま米中対決の時代にあって、我が国の前には二つの道がある」とし、一つは、「日米関係を維持継続し、米国の覇道の下で安保体制を深化・強化するという「奴隷国家」としての道。もう一つは、日本古来の「万邦その所を得る」との理念を、勇気をもって米中両国に説くという至難な道だが、我が国は後者の理念を堅持し、米中両国及び関係国にその実現を呼び掛けるべきではないか?と説く。全く同感だが、果たして今の“実力”で果しえるか?

 更に南丘氏は「ここで思いだすべき人物がいる」として「勝海舟と共に咸臨丸で太平洋の波濤を越えた福沢諭吉が突如「脱亜論」を発表「支那朝鮮とは早々に縁を切り、西欧諸国と進退を共にすべきだ。もはや隣国だからと格別の配慮などする必要はない。支那朝鮮に対しては人の住む国とさえ思わず。厳しく対処すればよろしい」としたことを述べ、「当時の政治家・知識人の多くは、日本は「文明国」、隣国の清国・朝鮮は「野蛮国」と蔑んでいた。勝は「日本の制度、文物はことごとくシナから伝来した。仇敵のように見るのではなく、信義をもって交際されたい」と時の伊藤首相に意見書を提出した。いかにも若い?勝らしいが、南丘氏は最後に「米中両国の狭間にあって、わが国がとるべき立場は、孫文の諫言、勝海舟の言葉に再度耳を傾ける必要がありはしないか」と結んだ。

 わが国が、戦後76年間、“戦勝国”米国の覇道の下で安保体制を依存し、唯々諾々と惰眠をむさぼってきたことは紛れもない事実だが、同時に米ソ冷戦終結後の中国の台頭を見れば、とても胸襟を開いて「信義をもって交際する(できる?)相手」ではないことは一目瞭然だろう。ましてや韓国においておや。

 

 話は変わるが、産経に連載されていた李相哲竜谷大教授の「話の肖像画」が今日で終わった。私は以前、朝鮮半島の秘録を書いた時(金正日は日本人だった:講談社)半島に関する歴史関連資料を読み漁ったことがあったが、その時李相哲教授の著書に深くひかれた。今回もその断片が所々に伺えて非常に為になったが、李教授は現代中国に関して「毛沢東は『まず破壊せよ、建設はそこから生まれる』と全国民に破壊を促しました。でも歴史をひもとけば秦以降の時代から王宮や文物への破壊は繰り返されて無くしたのは、『尊い価値』ではないでしょうか。中国人は美しいものを愛する心、人間らしく生きることを壊し続けてきたように思います』と書き、「5年ほど前、研究のため米スタンフォード大学に1か月ほど滞在しました。ホテルで夜、日本の映画をみていたら、夕日に染まる古い日本家屋か並ぶ道を緑色のバスが走り、下校中の女子中学生らがゲラゲラ笑いながら歩くシーンになぜか涙が出てきました。

 日本にいるときは何も感じなかったのですが、『異国』でそのような風景を眺めていたらとても懐かしい気持ちになりました。そこでふと気づいたのです。自分はいつでもそこに帰れるんだと、そこが私の国、そこには私の家族や親しい友人、お世話になった方々、仕事の仲間もいる。私が少年時代に夢見た山の向こうの世界は、このようにのどかで平和な日本という世界だったのでしょう。」と締めくくった。

 

 さて現状は、コロナコロナで精いっぱいの対応しか取れない我が政情は、語るに落ちた感があるが、しかしこの2本の文章には大きなヒントが隠されているような気がしてならない。つまりわが国は間違いなく「島国国家」であり、シナは大陸国、朝鮮は半島国であるということだ。そしてわが国が、大陸国と戦った時(日清・日露)は勝利し、島国であることを忘れて大陸と手を結んで海洋国と戦った時(大東亜戦争)には、南丘氏が書いたような「惨憺たる敗戦」を喫している。

その意味からは若い勝海舟の説よりも福沢諭吉の慧眼が優れていたと言えまいか。

何よりも、半島と大陸国との歴史や内情体験に詳しい李教授のいう「中国論」は正鵠を得ていると思う。

長年日本に住み慣れた彼も、島国日本をこよなく愛しているのであり、本国に戻れない(戻ろうとしない)在日は別として半島内に住んでいる、南北両国民の心情も、あながち外れてはいないだろう。

 

それでも、今や孫文の忠告を自ら忘れて西欧諸国に負けまいとするかのように、ウイグルチベット、モンゴルなどの“自国民”を圧迫し続けて恥じないシナ大陸政府との友好を期待しているわが国の政治家や言論人や商売人がいることを知った福沢諭吉はどんな感想を持つだろうか?勿論勝海舟の意見も聞いてみたいものだ。

 

届いた書籍のご紹介

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軍事研究6月号

今月号も盛りだくさんな内容だが、「南西諸島防衛は『緊急事態』目前」は昔勤務した場所だから気にかかる。離島が多いから待ち受けには困難が生じる。それに補給だ。敵は必ず裏をかくだろうから、配備場所が遊兵化することが考えられる。少し部隊は増加したが、根本的な改善は困難だろう。ここでも”米軍”に依存しているのだ……

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「国を守る覚悟:木本あきら著:ハート出版¥1400+税)

宮崎正弘氏のブログで知って購入したものだが、著者は昭和17年生まれの元陸自隊員。この頃の日本人は国家観がはっきりしていたと思う。私も昭和14年生まれだから、戦争(空襲)体験者の一人だが、わずか6年の勤務で、これほどの知識と実行力が備わった理由が知りたい。私などは戦闘機乗りにあこがれて防大に入り、念願の戦闘機乗りにはなれたが、実際に弾を撃つ機会はなかった。「平和を守るためには犠牲が伴う」という第一章から引き込まれた。ご一読あれ!