短期間で投票という“異例な”衆院選挙だが、国民の盛り上がり方はそれほどでもない。メディアが嘘もまことらしく報じることを知ったためか、それとも‟コロナ疲れ”か、笛吹けど踊らぬ様子が見て取れる。
もとより、選挙に落ちたらダダのおっさんになる方々と、視聴率稼ぎだけが生きがいのメディアは真剣だ!
やはり議員バッジは、“就職の証し”なのだろう。大企業社員が襟にバッヂをつけるような気分なのだろう…と思う。
動員される有権者の方は、レベルが低い?彼らの”就職活動”のために自分の時間や行動計画を変えてまで投票所に行く気にはならないから、棄権は減らず、無党派層もいつも通りだ。
ただ今回は、コロナ対策で大失敗した与党政府の手腕を見限っただろうから、結果がどう出るかは見ものである。
いつも思うのだが、“小粒な”議員や候補者たちの弁舌には、人の心を打つものがないから、彼らだけの一人芝居的な感じがぬぐえない。元より“彼ら”は真剣だ。就職浪人は厳しいからだろうが、芸人の方がよほど稽古しているのじゃないか?
なぜ彼ら彼女らの弁舌に心がこもっていないのか!それは女優で気象予報士の半井小絵さんの文「身内が拉致されたら言えますか」を読めばわかる。
立憲民主党員だった生方幸夫前衆院議員の発言が半井女史が指摘したとおり、国民目線ではないからだ。全てが自分本位で、自分の「取り分」しか頭にないからなのだ。
半井女史は「どこの国の議員の発言なのか。憶測に基づく発言でご家族を傷つけた上に、北朝鮮の肩を持つような発言は言語道断である。脳裏にご家族のお顔が浮かび、怒りが込み上げてきた」と書いたが、恐らくこの“前議員”は日本人じゃあるまい!
続いて今日の正論に優秀な後輩である織田邦男君が「『下の句」のない公約は欺瞞だ」と書いているが全くその通りだろう。
書き出しがいい。「親思う心にまさる親心 今日のおとずれ何と聞くらん」という吉田松陰の辞世の句である。「下の句」は刑死に臨み、自分の死で両親がどんなに悲しむかという思いが込められている。
「何事も「上の句」と「下の句」があいまって完結する。選挙公約も同じである、と織田君は言う。以下、熟読玩味願いたい。
下の句のない「公約」を欺瞞だ、とした織田君は、彼ら候補者らに「国民が試されているのだ」と喝破している。即ち、「常に『下の句』は何だ!と厳しく問い詰める姿勢が国民に必要だ」言うのだ。
しかし、大方の国民は「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ものが多いのだから、織田君の願いとは裏腹に、今回も無理だろう。
そしていつまでたってもこの国は自立出来ないだろう、と思う。
届いた書籍のご紹介
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Hanada12月号
新総理は「憲法改正宣言!」とあるが、下の句はどうだったのかな~
小川寛大氏の「池田大作と中国共産党」は必読。今月も、女性執筆陣が吠えている!頼もしい!!
「丸」12月号
相変わらず貴重な秘録が多い。日本陸軍の戦車は、司馬遼太郎に言わせると、コテンパンだが、本土決戦に備えた改造計画は涙ぐましい。戦車と同様、97戦の写真も貴重だろう。マア、戦争を放棄したわが国だから一部のマニアしか喜ばないのだろうが・・・
航空情報12月号
カールビンソンとクイーンエリザベス号が、同時に横須賀に入港するとは珍しい。それだけアジアが緊迫しているという証拠でもあろうが。特集「空中給油機」は読みごたえがある。
Will12月号
Hanadaと変わり映えしない内容だが、皇統の危機―最悪の末路へ!は日本人として憂慮に絶えない。
竹田恒泰氏の「天皇と国民の絆を絶つ歴史的一大事」は気が滅入る。終戦時の「天皇人間宣言」騒ぎを思い出す。皇室という特殊社会に生まれた自覚、つまり国民の上に立つという自覚がないのだろう。これじゃ一般婦女子の恋愛沙汰だ!