軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

「日米開戦80年」"トラトラトラ”で思い出すこと

明日で日米開戦80年を迎える。あれほど激しい戦いをした日米両国が、今「同盟国」として”堅固な”関係を築いているのはきわめて稀有な現象だろう。

産経新聞は、これを記念して映画「トラトラトラ」にまつわる話を特集しているが、そのセット写真を見て思い出した。

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昭和43年と言えば、前の年、私は浜松の戦闘機操縦課程を卒業して福岡県築城基地に赴任し、ORパイロットとしてスクランブル勤務についていた頃だ。

そのころ芦屋基地に並行していた砂浜に設置されていた米軍管轄の岡垣射爆撃場に築城から飛び、F86Fで高高度爆撃、ロケット弾射撃、スキップ爆撃と飛び回っていたのだが、そのころ芦屋基地との接際部の砂浜に、巨大な木製の柱が林立し、やがてこれが戦艦長門と空母赤城の飛行甲板に変わっていくのを眼下に眺めながら、飛行経路を飛びつつ楽しんでいたものだ。

その後芦屋基地の滑走路から、黎明時にT-6練習機が編隊で飛び立つシーンが撮影されたが、航空自衛隊も協力したはずだ。

今の映画の大半はCGで“胡麻化されている”様だが、当時は実物大のセットが組まれていた。撮影現場は真剣そのものだったのだ。

数年前、FOX・TVに呼ばれて、トラトラトラの思い出話をしたのだが、そこで出されたスチール写真の戦艦長門の背景に対地射爆場で丁度F86Fが銃撃中のカットが映り込んでいたので驚いた。もとより機体は映ってはいなかったが、標的周辺に着弾した砂ぼこりが上がっていたので間違いではなかった。記事の「長門」の右側後ろ側に当たる。

芦屋町の資料館には、FOXの撮影時の資料が残っているはずだ。当時は一映画と言えども、巨大なセットを製作し、多くの日時をかけて作っていたのだという証拠である。

今ではほとんどCGだから手間が省けていることだろう。

下の記事には、黒沢監督のことが書かれている。黒沢監督は、真剣に開戦秘話を探ろうとして「幻のシナリオ」を書いていたようだが、米国のハリウッド側から修正されて結局破棄されたという。

何故山本連合艦隊司令長官が「ハワイ攻撃」に固執したのかは“不明”だが、ばくち打ちの才に長けていた彼の大博打だったのかもしれない。

その後のインド洋作戦では海軍航空隊搭乗員らの大活躍で戦果を挙げたものの、ミッドウェイ作戦では彼の“馬脚”を現した。

 

いずれにせよ、敗戦のショックと、GHQの巧妙な仕掛けによって日本国民は自分らが命名した「大東亜戦争」ではなく、米軍呼称の「太平洋戦争」などと胡麻化されて真相を知らぬまま、あるいは知ろうともせぬまま歴史を曲解したままであることは嘆かわしい。

いずれの日にか、新進気鋭の学者によって、歴史の真相に迫る学説が披露されることを望みたい