軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

”毅然”とした青年の育成を急げ!

 依然として一部のメディア、特にTVは「オミクロン株」の危険性を強調しているが、利口な?TV局はどちらに転んでもいいように、編集方針を変えつつあるようだ。

 要するにTV局にとっては「視聴率」が上がり、収入が増えることが最大の目的なのだから。

 以前、各局からUFO番組に呼ばれて“真面目に”応対してきたが、内容なんぞどうでもよかったらしく、「受け狙い」である番組であることは見え見えだったから、以後取材には応じないことにした。

 ところが、ある雑誌社から取材されたとき不真面目な取材だったらお断りするというと、真面目そうな記者は「米国政府がUFOの存在を認めたので、以後、編集方針が変わりました」と言った。

 事程左様に、日本人は「ざるの上の小豆」であって、ざるが右に傾けば右へ、左に傾けば左へ、いともやすやすと移動する。信念なんぞ無きに等しい。

 だから、コロナやオミクロン問題が何かの拍子に“インフルと花粉症”によるものだ、などという結果が見えてくると、すぐさまそれに従い、今まで散々煽ってきたことはサラリと忘れ去ることだろう。

 上 昌広・医療ガバナンス研究所理事長が「オミクロン株の危険性ばかり強調するマスコミを疑え」として、裏に「感染症法で、法定の感染症患者に対して、知事は「入院させるべきことを勧告することができる」と規定されているからだ。この条文があるため、入院させずに自宅で死亡すれば、知事が責任を追及される。この結果、リスクを回避するため、知事は全感染者を入院させようとする。軽症であることが分かっていたオミクロン株でも、当初、全感染者を入院させたのは、このためだ」として、「感染症法は、コレラ結核を念頭において立法されたもので、毎日数万人の感染者が出るコロナは想定外だ。感染症法の強制入院規定こそ、我が国の感染症対策の問題を象徴している。社会の防疫のために隔離を優先し、感染者の検査や治療体制の強化は軽視する。明治時代に内務省衛生警察が所管した、隔離ありきの伝染病予防法の影響を残している」からだという

 TVを見ていると、PCR検査さえ検査キットが不足しつつあると、コロナ当初に混乱した「マスク不足」や、かっての「トイレットぺ―パー不足」、さらには大東亜戦争時代に戦地で「燃料、弾薬、食糧不足」で兵士たちが無残に倒れていったことを思い出す。いや、一番足りなかったのは「情報」だったろう。

 今の政府の後手後手に回る姿を見ていると、この国の姿が良く理解できる。根本のことが理解できていない方々が、右往左往しているだけなのだ。

 

 ところで、25日の産経によると、合同世論調査によると「敵基地攻撃能力「不要」半数」で「持つべき」は29・7%に留まっていて、国民の理解が「広がっていない」とある。

 おそらく「憲法で、禁止されている」と‟理解”しているからだろう。

 “周辺諸国”が軍隊を周回させて、虎視眈々と我が国を狙っているのに、「攻撃されるまでは攻撃してはいけないのだ!」と思っているらしい。

 北朝鮮のごときは、国民が栄養不足で喘いでいるのにお構いなく、首領様はどんどん{花火」を打ち上げて悦に入っているし、韓国も、なんだかんだと未熟な政治のはけ口を日本に求めて「佐渡金山」にまで干渉してきているのに首相は「毅然と対応する」というだけである。彼が言う「毅然」とはどんな内容だろう?

 

 尤もその前に、自国の領土たる竹島を奪われ同胞まで拉致されているのに「毅然」とできないらしい。更にロシアには、終戦間際のどさくさに紛れて固有の領土である北方領土(南樺太を含む)を不法占領されているのに、今までどの総理も「毅然」と対応してこなかった。「取り戻そう!!」とシュピレヒコールをしただけだ。東南アジアの国民から日本の政治は「NATO(ノー、アクション、トーク、オンリー)」だと揶揄されることだけのことはある。

 そして次は尖閣だろう。いや、とっくの昔からシナ人たちが‟合法的?”にわが国の領土に“進出”してきているじゃないか。

 

 それはなぜだかお分かりか?わが国が「攻撃力」を持たず、使おうともしないからだ。

 ‟やくざ”が何故怖いか? それは武器を持っていて、所かまわず(昔はそうじゃなかったが)非武装の“弱者”である庶民を傷つけるからだ

 今やそれが“国際的”に拡大し、かっては‟弱者だった”これらの国が“やくざまがい”の行動に出てきているから、「何もできない?」我が国の男たちまでもが「怖い!怖い!」と連呼するだけなのだ。

 

 ある意味、本当の「敵」はコロナじゃなくて、「軍事力による威嚇」じゃないか?

 1月26日の産経抄氏は、すっかり「新憲法」に毒されて、専守防衛に徹した次のような“御高説”を垂れ流すだけだ。

「鉄道の安全対策には、まだまだ課題が山積している」というが、「その場で『犯人』を取り押さえる勇気ある男性の育成こそ急務である」と結ぶべきじゃないのか?

 そしてそれに加えて「青年の教育こそ政治の最大の目的」だと書くべきだったろう。

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