軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

開戦は”楽”だか、終戦は”困難”だ!

ロシアのウクライナ侵攻作戦は、3か月たったが、白黒の決着がついていない。中には年内続くという説もある。

 ロシアの方は被害が少ないが、攻め込まれたウクライナの方は、殆ど焦土と化しているようであり、国外に避難した国民も600万になるという。まさに“甚大な損失”を被っているわけで、インフラの復興はじめ、国の活動が回復するまでには相当な‟出費”を要するだろう。とりわけ青少年が被った物的、精神的損害は、簡単には復帰できないと思われる。

 もとより攻め込んだロシアの方も甚大な損失を被っているようだ。

 古代ギリシャ人は「欲望と怨念は戦争の卵である」と言った。更に「軍隊ほどもうからないものはない。しかし、軍隊が無ければ、もっと儲からない」とも言っている。だから一部の識者が言うように、この世に絶対的平和を望むならば、「生存と欲望と怨念を捨てる以外にはない。さもなくば、強いことが絶対なのだ」大相撲の“照ノ富士”のように

 処で”超大国ソ連の血を継いでいる?ロシアが、予想以上に苦戦しているのを見た国の中には、「意外に健闘しているウクライナ軍」を見て勢いづいているて、「この際諸悪の根源を始末せよ」と?意見も散見されるが、米ソ・2超大国という、間違った認識が定着してきたことが一般的国民には“隠ぺい”されてきたのだ。

 1970年代の米ソ対立のころ、SALTを担当していた私は、外務省で情報担当官を務めていた旧陸海軍人に良く指導されたものだった。彼らは軍事専門家らしく、ソ連軍の実態を見抜いていて、「佐藤君、自衛隊ソ連のこけおどしに騙されてはいないだろうな?」とソ連の大演習情報などを繊細に解説してもらい、どうしてアメリカがこんな反応(ソ連を対等に)をするのだろうか?と訝ったものだが、それは米国の“基幹産業”たる軍産複合体が政府をうまくコントロールしているのであり、その影を見損なってはならない、とも釘を刺されたものだ。

 今、ウクライナ戦争でNATO諸国が余剰兵器?の“在庫一掃セール”に励んでいる姿を見ると、さもありなんと実感する。

 処で旧ソ連が“旧式な戦略”から脱皮できていないのは、クラウゼヴィッツ戦争論から、レーニンが学んで得たことに関係している。彼は「政治の軍事に対する優越」「敵戦力の殲滅」を特に重視し、「そのために敵に優越する戦力の確保」というドクトリンを作り上げた。つまり「戦力の絶対的な優越」にこだわり続けたのだったが、レーガン大統領に見抜かれ、ソ連は経済的破綻を招き、遂にソ連邦は瓦解したのであった。

 常に米国を意識し、数の上でも武器の大きさという面でも、常に米国(NATOを含む)に差をつけて安心していたのである。しかし時代は急速に進歩し科学技術は大きく進展した。小型、高性能武器の発達である。勿論通信機材の進化も進んだが、頑迷固陋なイデオロギー主義にこだわるかの国は、軍事思想的には進化しなかった。私にはあれほど宇宙技術を進化させたのに、不思議でならなかった。

戦争論」には【「戦力の優越」には二通りある。絶対的優越と、比較的(相対的)優越である。前者は国家・政府が決定するものであるが、絶対的優越(敵の10個師団に対して12個師団、ミサイル100発に対して120発)というような絶対量の優越は、政府の予算や同盟内のやりくり等ではほとんど期待できないものが実態である。そこで将軍が最も留意するべきことは、決定的なポイントにおいて比較的(相対的)優越を維持することなのである】

プーチン氏はこの「比較的優越」という要点を読み落として(読んだことはなかろうが)絶対的優越を「部下に求め続けて」いたので、ついに自滅するに至ったようだ。

今更同盟国?を集めても、時すでに遅いし、それほどの力を持った国も当たらない。

まずは自分自身の‟健康回復”から始めた方がよさそうに見える。入院して、じっくりと「戦争論」を読むことをお勧めしたい!