軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

乱れ切った?国政選挙に”期待しよう”

七夕だというのに、世情はコロナ第7波?だとか、「諸派乱立・大混戦の夏」などと参院選で喧噪だ。もちろんロシアによるウクライナ侵略戦争もまだまだ続行中だから、猛暑も続くわけだ。

ところで今朝の産経に「諸派乱立・大混戦の」参院選が解説されていたが、いやはや「雨後の筍」のような6団体が紹介されている。確かに「諸派」だが、今までの既成諸派よりも期待が持てる“新党名”が目に付く。

川上教授は「3年前の参院選に出現した党の手法をまねてムーブメントを起こそう」としていると解説しているが、果たしてそれだけだろうか? 私は「自民。公明という政権与党」に期待できない声なき声の代表が、新党を立ち挙げて打って出てきているように思える。こんな「旧政党」に期待しても始まらない!と多くの有権者は実感しているのだろう

事実「航空自衛隊(防大を含む)」に38年間身を国に預け、「税金泥棒」だの「同世代の恥辱」などと蔑まれてはいたが、いずれは自主独立し再軍備を果たして、「一等空尉」などというちんけな階級ではなく正規の「空軍大尉」になることを胸に訓練に励んでいたが、なんのなんの、すべてはまやかしでありその場しのぎの政治に翻弄されて、退官するまで全く変更のないまま過ごし、制服を脱ぐことになった。

階級の呼称で例えれば、わかりやすいだろう。

例えば「将官」ポストは「将」と「将補」という、「警部補」をもじった階級が変更されることはなかったから、三沢など、日米共同基地での勤務は、米軍兵士たちに「変に見つめられたもの」であった。しかも名刺の裏には英語で米国の階級が書かれているのだから、「1佐」の上の「将補」になると、いきなり肩章の星印が2個並ぶ。米軍には「准将」という一つ星があるから、兵士は納得しない。

滑稽なのは「将」だ。これは星3っつだから、当時の源田空幕長(空将)が訪米するときには、ポケットに「星を2個忍ばせていて」現地では4つ星で通し、帰国すると3つ星に戻していたことは‟有名な?”話であった。

正規の軍隊では星の数に応じた待遇しか得られないからである。その後、幕僚長は3幕とも4つ星にされたのだが、困ったのが呼称であった。星が3つでも4つでも、同じ「将」と呼ぶわけだから。

そこで“知恵者”が、星4つの幕僚長は「空将」ではなく「幕僚長」と呼ぶことにした。

しかし、3幕僚長の“上”に「統幕長」という地位ができたから困った。星5つは「元帥」だから、長官(今では防衛大臣)が”好んで”この旗を独占している。だから星4つは「幕僚長職」として4人の「大将」として存在させることとした。

「健軍の本義」のない“軍隊”らしいお粗末な話ではある。

  

航空自衛隊パーフェクトガイドGAKKENから」

ところで産経抄氏はこう書いた。

これは我々が使用するトイレットペーパーを‟自腹”で払っていたころの話である。

他基地に移動訓練で行くと、厚生係がトイレットペーパー代として、他の諸経費と一緒にまとめて支払っていたものだが、今となっては懐かしい。

「隊舎を水洗式にするからだ!」と文句?を言った豪傑がいたが、今では笑い話だろう。

それだけではなかった。確か1960年台だったと思うが、米国で人工甘味料に発がん性があると分かると日本でも大騒ぎになったが、やがてわが国でも使用禁止になったことがあった。しかし、その製品の処分に困った企業や地方自治体などが、政府に陳情、誰かが「自衛隊員は頑健だから自衛隊に回せ」といった。そこで各地からまるで”慰問袋”のように多くの缶詰が届けられ、隊員の“加給食”である缶詰が、大盤振る舞いされたことがあったが、隊員はみな喜んで食べた。

「国民の生命と財産を守るのが我々の任務だ!」と言いつつ喜んで食したものだが、チクロ製品で「実験台」になったラットがその後膀胱癌で死んだと報じられたものの、だれ一人「政府を訴える」ことはしなかった!今だったらどうだろう?もちろん隊員たちにも被害はなかった!

 

事程左様に、「日陰もの」の自衛隊員は、国民の健康のためにも身を挺して?「実験台」にされてきたものである。

そのころ我々は自虐的に「お互い非人だからなあ~」と慰めあったものである。「非人」とは「士、農、工、商、エタ、ヒニン」の非人である。

 

いずれにせよ不磨の大典「占領憲法」が変わらない限り、いびつな自衛隊の体制は変わることはあるまい。せめて「諸派」の健闘に期待する以外にはなさそうである。