軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

違和感覚える「安倍氏銃撃事件報道」

8日に安倍元総理が狙撃されて死亡した事件で、参院選挙に浮かれていた国内には“激震”が走った。

テレビ各社は取り急ぎ?情報を伝えたが、それぞれまれにみる?混乱ぶりで、危機管理がなっていない今の日本の状況を率直に伝えていた。いや、危機管理などという大げさなものではなく、要するに「たるみ切っている現代日本社会の醜態」をさらけ出したのである。

他社に先駆けようとするのはいつも報道陣の習性だが、それにしてもお粗末だった。

特に緩んでいたのは警備上の緊張感欠如だったろう。

奈良県警本部長が、自らそれを認めていたが、私は現地の自民党選挙対策本部にも大きな過失があったとみている。演説会場を見れば一目瞭然だろう。360度全方位から敵に狙われる配置じゃないか!なぜ警備担当者がそれを指摘しなかったのか?

通常配備する「宣伝カー」から降りて、聴衆と握手をする「人気取り」の段取りばかりに気を取られ、全く隙だらけであったから、私はやはりわが国には「軍事的発想」がある“責任者”は全くいないな~と落胆していた。そこに事件である。SPも警察官も、銃声を聞いて「花火?」とでも思ったのか、VIPに体当たりして防護することさえしなかった。要人防護ができなければ警備失格である。

奇妙な機材をぶら下げた報道陣も目ざわりだ。しかし「民主警察」だから報道陣の排除もできない。テロリストはいくらでもこれらを活用して目標に接近できる。

 

これからどんどんスタジオにはコメンテーターが登場してくることだろうが、あとはそれに任せるとして、元自衛官として聞き捨てならぬ報道に一言苦言を呈しておきたい。

犯人が「元海上自衛官」だったということと、今回の事件はどう結びつくのか?100年一日のごとく、続いているのがメディアの「自衛官たたき根性」である。

元海自の特殊部隊長だった伊藤祐靖氏は「イメージが一人歩きしている」として山上容疑者の犯行を「事前に銃撃に関しての専門教育を受けていたという印象はまったく受けませんでした。自分なりに射撃の練習はそこそこやったんだろうなとは感じましたが、組織的な教育を受けたいわゆる『プロ』の動きではありません。凶器として使われた銃にしても、あれは銃と呼べる代物なのか疑問は残ります。映像を見る限り、自作した金属製の打ち上げ花火と考えるのが妥当なのではないでしょうか」と断言している。

私も「元自衛官」の一人として言わせてもらうならば、新隊員課程を修了した程度の技量もない。今はやりのユーチューバーオタクだろう。

他方、テレビ報道に関わってきた専門家も今回の「報道に違和感」を覚えている。

その第一は、(1) なぜ「宗教団体」の名前を明かさないのかということである。まさか「政権与党」を忖度?したのじゃあるまいに、私も違和感を持っていた。論者も「警察が団体名を発表しておらず、取材でも明らかになっていない」つまり「テレビ局側も知らない」可能性。

供述は警察署の中でされているのだから、原則的に警察側からの情報がなければ宗教団体が明らかになることはない。あとは容疑者の周辺を取材して、聞き込みから関連のある宗教団体を割り出していくしかない。

もうひとつの可能性としては、テレビ局は宗教団体の名前をすでに知っているが、なにがしかの配慮で報道していない場合。この場合、どういう配慮が働いている可能性があるのか』と書いている。そして「しかし今回の場合、事件の犯行動機は「宗教団体への恨み」と報道されているから、この団体の名前を明らかにし、またその宗教団体に取材をしなければ事件の真相解決にはつながらない。そこにもし「配慮や忖度」が働いているとすれば、それは少しおかしいのではないかということになる。やはり本来であれば宗教団体の名前を明らかにし、宗教団体側の取材もきちんと行ってその内容も併せて報道し、もし安倍元首相とその宗教団体との関係が明らかでなければ、その旨もきちんと報道すれば良いだけのことである。』と書く。

次に「今回の事件は「言論の自由や民主主義への挑戦」という問題」なのだろうか?という点である。

彼もきのう各局の特番を見ていて気になったのが、「この事件は言論の自由を奪おうとするものだ」とか「民主主義への挑戦だ」というフレーズが多用されていたことだ。

たしかに、この事件への受け止めをインタビュー取材された政治家のみなさんがそう答えるのは至極当然だ。一般的に外形的に捉えれば、「選挙期間中に、選挙の応援演説をしていた元首相が殺害された」わけだから、まさに言論の自由の封殺であり、民主主義への挑戦であると言うべきだろう」という。

そしていかにも「専門家」らしく「事件の報道時間が長すぎるということで「テレビ東京を除く各局とも、ほぼ事件発生時から夕方のニュースそして深夜のニュースが終わるくらいまで、すべて特番編成をしてこの事件について放送したが、それは適切だっただろうか。」というのである。そして「ゴールデン・プライムタイムの時間を全て埋めなければならない。いくら、警察署や事件現場、そして安倍元首相の自宅前などから生中継をしても更新される情報は乏しい。となると、繰り返し事件発生当時の視聴者提供映像や写真などを流すしかない。そうすると、繰り返し安倍元首相が銃器で撃たれる前後の映像が流されることになる。これは結果的に、視聴者に恐怖の感情や不安感を植え付ける。中には衝撃的な映像を繰り返し見てショックを受け、トラウマのようになってしまう人も出てくることになりかねない。」述べている。ウクライナ戦争でもそうだが、「安倍元総理が撃たれる映像が繰り返し流れる」ことになる。視聴者に何を伝えようというのか?

これがTVの特徴でもあり「弱点」でもあるということを視聴者は理解しておくべきだろう。さて、事件は終わったから次に出てくるのは安倍元総理の“回顧談”になるのだろう。つまり彼に言わせればこれから放送できるのは、「事件発生状況のまとめ」と「各界および各国の反応」と「これまでの安倍元首相の振り返り」くらいだということになる。

こうしてメディアはあることないこと画像を膨らませていく。「英雄」に仕上げるのも「極悪人」として始末するのも報道次第だ、ということになる。( 一部現代ビジネスから )

その昔、私が空幕広報室長だった頃、「THE 21」という雑誌が「第4の権力、新聞を疑え」という特集を組んだことがあった。これを利用して私は部内教育で自衛隊に対する報道の真実を例示したことがあった。今回の事件報道を見ても、内心穏やかならざる気にさせられる。

昭和59年2月に陸自の山口射場で心身虚弱な新隊員が、実弾射撃時の発砲音に驚いて、小銃を3発発射し、同僚4人を負傷させた事件があった。その時新聞各社は「乱射!」と大見出しで報道した。そこで私は記者団に「乱射の定義」を訪ねたが、「ダダダーと2、30発撃つこと」だといった。「この事件で彼は何発撃ったのか?」と問うと驚いたことに皆知らなかったので「3発だよ」というと皆怪訝な顔をした。

そこでたまたま60年6月に横浜で起きた強盗に対する警官の発砲事件の記事を示し、「4発発泡」「発射」じゃないか。なぜ自衛隊員は「3発で乱射なのだ?」と聞いたが皆無言であった。

平成元年6月に「中国天安門近くの外国人アパートに対して解放軍兵士が「10分間も乱射」という記事が出たから、「時間的には約10分撃ち続けると「乱射」になるのだな?」と念を押したことがあったがもちろん皆無言である。

四国の松山でタクシー会社の元従業員がダイナマイトを仕掛けて家族を殺したことがあったが、この男が10か月間自衛隊員だったことを知った新聞は「火薬の取り扱いに完熟した元自衛隊」と書いた。

半面、平成7年に名古屋で、定年退官した空自隊員が人命救助で警察から表彰されたとき、身分は「元自衛官」ではなく再就職した会社の「会社員」と書いた。

大分で、山で行方不明になった婦人を救助した「陸自隊員」は「救助隊員」とされ、佐賀で、横断歩道を渡っていた医者を、現職の新聞記者がひき殺した場合には、夕刊の片隅にベタ記事で「医師はねられ死亡」と医者が主語で書かれ、犯人は「会社員○○さん」とさん付けであったが、遺族に見とがめられ「自衛隊だったら大きく書くのに自分の会社の記者だとこの扱いか!なぜ自分の会社の社員だと書かないのか!」と週刊新潮に取り上げられたこともあった。

国家安全保障論が高まり、防衛費増額という流れができても、こと新聞メディアには「反自衛隊員」感情が残っていることに変わりはないようだ。

元最高指揮官だった安倍晋三氏は、未だに隊員たちがメディアに蔑まれていることを知り、やり残したことに気が付きやすらかに眠られることはなかろう・・・合掌