軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

真の日中“友好”を築けなかった安倍総理

左翼からたきつけられて“意図的”に国葬反対行動を盛り上げてきたメディアだが、毎日新聞は【「献花にデモ、賛否割れる中 安倍元首相国葬に4200人」と報じた。

  産経新聞記事

 

宮崎正弘の国際情勢解題によれば、【献花はネットで45万人(明日締め切り。おそらく五十万人突破か)。九段坂の献花台へは4~5万人(途中で帰った人が、少なくともこの倍はいたでしょう)。反対した人の集会は僅か一千人余。しかもプロの活動家が主体。世論分裂というのは正確な状況を伝えていません。ごく少数派とメディアが組んだ世論操作でしょう】と冷静に分析している。

 

現役時代、基地反対デモに悩まされた経験を持つ私としても、当時の体験から妥当な数値だと思う。

主催者発表」の数字は、彼らが尤も忌み嫌う「過去の大本営発表数」よりもひどかった。しかしひどかったのは新聞各紙で「公表数を信じて?」そのままうそを報道していた。「おかしい」とクレームをつけると「主催者が言うのですから」と平然と答えたものだ。その後「主催者発表」と付け足すようになったが、当時から彼らメディアは「うその数字を公然と」報道してきたのである。(新聞はうそを書かない!)と信じていた素直な市民は当時からはっきりと騙されていたのだが、今回の行事を報道だけで見る限りにおいても、間違いなく宮崎氏の分析が正しいだろう。その読者の一人は【靖国パターンですね。メディアは必ず反対左翼を大きく報じますから。しかも「極左」とは書かずに「市民グループ」と言っていました。あの人たちは明らかに日本人ではありません】と見抜いていたから一応安心だが、、。

国葬反対派」は【「全学連」と書かれた旗や赤旗を掲げ、歩道上で太鼓などを鳴らしながら国葬やめろ」「戦争反対」などとシュプレヒコールを連呼していた」が、それを煽っていた人たちの顔ぶれが面白かった。

筑紫哲也」「福島瑞穂」「共産党委員長」などという、時代遅れの化石のような人たちだったからである。まだこんな化石がのさばっているのか!と批判よりも“同情”を禁じ得なかった。

前記読者が言ったように、彼ら彼女らは「日本名と半島名」を持つ方々なのだから、今盛り?の統一教会一派と同じ民族だと言っても過言ではないのだ。だから日本政府の行事には懲りずに「反対!反対!」と性懲りもなく叫ぶのだ。

赤旗を掲げて「歩道上で太鼓を鳴らす」という風習も、わが国というよりは「かの国」の風習に近い。おそらく動員されてきたのじゃないか?

これに対し、国葬賛成派は安倍元首相の国葬を行う意義を訴えた。それこそ我が国の風習に一致する。昔は「勝共連合」ののぼりも加わっていたが・・・。

28日の産経抄氏はこう書いている。

今回のこれら「一部の反徒」たちの真の国籍は、明らかに日本国ではなく、「外国」であろう。日本人ならば、多少首相が説明不足であっても、個人と統一教会という韓国生まれの詐欺集団との関係が深かったとしても、武士の国としての「誇り」を持ち、武士の情けだと花束をささげるはずである。

国葬としての手順や進め方が少し拙劣であっても、それは次の議会で追及する方法がある「国民の税金」だと騒ぐ輩ほど「脱税に熱心で」、野党議員の報酬を賄えるほど出資していないはずだ。会計士に算定させてみるがいい。

その昔、防衛費が「6%」だと騒がれたころ、自衛隊を税金泥棒呼ばわりした「市民グループ」が来たとき、当時三沢基地司令だった私は、「あなたの納税額から6%を産出してください。いつでもその分を私がお支払いしよう!と言ったとたん、殻らは押し黙ってしまった。「脱税がばれる」と思ったからかもしれないが(笑い)

事程左様に、この手の報道には裏があり、にわかには信じられないものが多いのである。

ところで、菅議員が弔辞の最後に「明治の元勲・山県有朋が盟友・伊藤博文を銃撃で失った後に詠んだ歌に線が引かれていたことを明かし、「この歌ぐらい、私自身の思いをよく詠んだ一首はありません」と語り、「かたりあひて 尽しし人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ」との歌で締めくくると、葬儀会場としては異例の拍手に包まれた」とある。菅議員を見直した。

 

安倍元総理「国葬問題」については、個人的に語ることはないが、「決定に至るまでの雑な手続き」と「国民への説明不足」については、今後の国会で岸田首相の意思が明らかになるだろうからそれでわかることだ。

私は、平成18年7月に「美しい国へ」を著し、「戦後総決算」を掲げた安倍元総理が、8月15日の靖国神社参拝を意図的?に忌避したことが許せないだけである。

戦場に散華した英霊方のほとんどは「靖国で会おう」と言い残して出撃していっている。「武道館」ではなく「靖国神社」なのだ!その先人の願いを、無視?したととられるような「真榊奉納を私費で」支払って逃げた卑怯さが許せないのだ。

これは9月号の「靖国」である。如何にきれいごとを並べようとも、大東亜戦争で犠牲になった多くの英霊方の「名誉回復」のためには、8月15日の「終戦のご詔勅」が下った日に、日本国首相として哀悼の誠をささげてこそ「日中間の‟わだかまり”」を払拭するいい機会だったのだ。

それを避けては、「真の日中国交回復」はあり得ない。相手が嫌がるから?と忖度して避けて通ったことが、中共政府に後世、いつまでも「言いがかり」をつけられ、国民の税金をむしり取られるきっかけを作ったと私は思っている。

要は“蛮勇”が彼には振るえなかったのだ。

「なぜか?8月15日は首相になってから避けている」ことが分かる。

 

相手のことを気にするあまり、言うことも言わなければ、相手は舐めて嵩にかかって攻めてくるものだ。親友とはみなさないからだ。

退官後、北京を訪問した時、盧溝橋記念館で我々を根拠もなく威圧してきた政府高官らに「国連文書のミス」を指摘して堂々と渡り合って、前言を取り下げさせた先輩がいた。当時元陸将補であったが、ジュネーブ軍縮委員会で、私とともに情報収集にあたり、その後国連参与として化学兵器禁止問題を担当していたから、国連文書には精通していた。

その後,監視役?と思われる、元中国大使館書記官が我々を案内してくれていたので「8月15日にわが首相が靖国神社を参拝したら中国政府はどうする?」と聞くと、「それで終わりですよ。もっとも、お宅のチョウニチ新聞が騒ぐでしょうから、当分は騒ぐでしょうが…」と日本語で明確に答えた。私はそれを期待していたのだが、強気と言われていた当時の首相も靖国参拝を見送った。おそらく誰かに鼻薬をかがされていたのだろう?

だから私は、靖国問題は彼らの唯一?の日本攻撃の手段だと思っているのである。口先だけの大臣は多いが、安倍さんまでもか!と私は落胆したのである。