軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

防衛論議か、防衛”費”論議か!!

早12月も半ばになった。今日の老人会の集まりで、「日本の防衛論議は防衛‟費”論議」だと揶揄したら、ほとんどの‟老人”は頷いた。

今メディア報道を見ていると、ばかばかしくて見る気にもならない。

帰宅してメールを開いたら、昔防衛予算積み上げ作業(56中業)で寝ずに苦労した後輩がぼやいていたが、彼は【問題なのは、仮に2%にUPされた防衛費で必要な装備品を調達するとなった場合防衛産業が追随出来るか否か。

長いこと1%枠で締め付けられ、加えて武器輸出三原則で限られたマ-ケットでしか商売出来なかったわけだから、急に2%って言われても。

戦後の日本人って何故自らの手足を縛って生きるのでしょう

日本だけが良い子ぶっても、その穴はすぐ他国が埋めるのに。

非核三原則」という国是ちゅうのがありますが、再度の被爆国になるトリガーになり兼ねません。報復力がないわけだから日本に対する核攻撃の敷居は極めて低い。】

と書いていたのである。

航空自衛隊F-15戦闘機導入にあたって、敵(当時はソ連)の侵攻可能戦力量見積もりを彼とともに算定したのだが、本気で攻められたら、機数だけではなく、基地の数も掩体壕も燃料弾薬もとても足りない。

当時はGNPの1%枠があったから、せめて200機は調達したい、と算定し、その理由づけに苦労したものだ。しかしそこにはさらに大きな制約があった。「必要最小限度」という、呪文のような不思議な政治用語であった。

主査は警察庁出身だから同情的、もちろん係長は大蔵だったが、その彼が我々が提出した資料を改めて算定しなおしたところ、「200機でも足りませんよ」と言ってくれ、主査も同意したものの、上の主計官が「棚上げ」と宣言したので、没になった。

要するに「政治折衝の場」に持ち込まれたのである。

連日カップヌードルをすすりつつ、計算機に取り付いていた我々の苦労は「フイ」になったのだが、それでも希望は捨てなかった。

ところが今や「防衛予算は倍になる」のだから、防衛計画を立案する立場にあるものとしては夢みたいな話である。今だったらF-15は400機以上買えたであろうが、パイロットと整備員の養成はどうするのだろう?

まず、入隊する要員はどうする?カズレーザー氏がTVで頑張ってくれているものの、一気に応募者が増えることは考えられない。増えたとしても操縦教育はどうする?機材は?教官は足りるまい。航空教育のための専用基地も少ない。

 

そこで思い出した。かっての大東亜戦争時代、戦争突入に際して「産めよ増やせよ」と政府が号令したが、戦時中増えた子供たちは戦災の”犠牲者”になったのではなかったか?

大東亜戦争を始めた山本五十六は海軍元帥まで上り詰め、今では軍神とあがめられているが、ハワイ攻撃の前に海軍の航空戦力をしっかりと見積もっていたのか?

 

思いつき?で実施したミッドウェー作戦で失態をさらしながら、南雲中将のせいにして生き延びたが、とうとうガダルカナルでは馬脚を現し墜死した。今や美談になっているようだが、彼はラバウルの「浮かぶホテル・大和」に尋ねてくる大本営参謀たちに「航空機を送れ!」と要請したものの、彼の頭の中には操縦者養成がいかに大変な事業であるか、わかっていなかったきらいがある。

すでにミッドウエー作戦失敗時に、日米の航空戦力差は3000名もの差が開いていて、兵学校に入校させていては間に合わないので、短期で少尉になる「学徒(いわゆる一般大学)」を大量に採用して飛行訓練にあてたが、昭和18年には、中堅飛行将校たる中尉、少尉が不足し、フィリピン作戦が苦境に立たされた。そこで操縦教育を終了するや一気に戦地へ送り込んだ。

技量向上に苦労している日本側に対して、3年も前から“学徒動員”して養成していて、すでに百戦錬磨?(つまり飛行時間が500時間を超えている)の米軍パイロットの前になすすべもなく、やがて彼らは「特攻要員」として散華する運命に押しやられた。

私は昨今の防衛論議を見ていて、今の政府も全く当時の過ちを繰り返す愚を犯していると感じている。昨今の情勢から、防衛力を増強すべきことは同じ日本人なのだから、戦争が起きれが一蓮托生なことは、反対しか唱えない「野党議員」でさえも今や知っている。

 

閑話休題。最近の産経新聞記事からこれらに関わる参考意見を紹介しておこう。

産経抄氏は「必要最小限度」という用語について明快に書いているが、当時はそんな記者は牛場記者以外は見当たらなかった、ように思う。

この記事は、12月1日のもので、「親中派」の皆さんに警告しようと思ったのだが、ここでは「攻めてくる相手」としての一例としてご紹介した。

もういい加減、言葉遊びはやめた方がいい。それでも親しくしたい、と思うのであれば、かの国に「移住すること」だ。

そして最後はこれだ。先の大戦で、戦場に散った英霊方の遺品である。

まだ「戦後」は終わっていないことを痛感する。防衛“費”論議にうつつを抜かしている政治家の皆さん、真剣に戦い、戦場に散った物言わぬ英霊方に、慰霊の誠を捧げたらどうだ!岸田総理は靖国に「真榊」を献上したようだが、本心からか?事務方の行事?に過ぎないのじゃないのか。

 

防衛論議ならぬ、防衛‟費”論議から、祖国防衛に真剣さを感じないのは、私ら“老人だけ”じゃあるまい。メディアもほとんど「防衛」とは何だ?ということが分かっていない!

英霊方の嘆きが聞こえる。