軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

中国漫遊記24「市内見学」

 10時半、こうして「危機を脱出」した我々は、上海空港に向かいリニアモーターカーに体験搭乗することになった。再び車窓から見える風景を勝手に解説しよう。
 3車線の道路脇に「ゴミ屋敷」があり分別作業中である。日本では豊かな社会の歪として「ゴミ屋敷」がテレビで取り上げられるがあれは「病気」である。「生活に活用する」彼らに手伝って貰ったら見事に分別してくれるのではないか?
 ガソリンスタンドが目立つが1リットル4・6元(約65円)だという。この値段が何時まで続くものか・・・。車内での“第6セッション”中国側の意見。
1、 民営化に賛成である。ただ、江沢民の息子が全権を握っているのが問題。
2、 東シナ海日中中間線を中国は認めていない。
3、 100年後には日本人はいなくなって全部中国のものになる!(笑い話?)
 いたるところに国旗がはためいているそんな中、第2料金所に戻り空港へ向かう。
 15分で空港着、広大な工事中。その隣に「磁息浮車站」と書かれたターミナルがあり30分おきに出ているという。我々は11時17分発の列車に乗ったが、ホームも車内もガラガラ、確かに加速は良く時速100km/hまでに1分10秒、すぐに最高時速431km/hに達したが、走行区間は30kmしかないから7分54秒の体験乗車であった。走行中はわずかに横揺れが感じられたがこれで料金は50元、グリーン車もあるというから如何なものか。単なる国威発揚?のためのショウウインドウに過ぎないのではないか?2000年6月30日から建設が始まり、2002年12月31日に開通したという。
降車した駅周辺は元は農村だったそうで全く何もない。ターミナルビルはリニアの「展示館」で、外人客がまばらな程度。女子説明員は我々が聞いていようといまいと、傍にいようといまいと一切無関係に淡々と解説して行きどこかに消えてしまった。ただ、パネルに「零高度飛行」とあったのは気に入った。
 ここの売店で、潮君が勧めてくれた「磁石で宙に浮いた地球儀」を160元で購入したのだが帰国して気がついた。中国の電圧は220V、わが国は100Vだからコンデンサーが役に立たない!つまり作動しないのである。せっかく「地軸」に支えられていない、宇宙空間に浮かんだような地球儀を購入したのだが残念無念。でもいい記念になった。
 ここで北京から参加したT元海軍大佐と別れた。彼はビニール袋がはちきれんばかりに膨らんだみかん狩りの“戦果”を重そうに抱えて、何度も振り向きながら去っていったが、
「皆さんと会えて大変勉強になった。その上今日は上海市長に間違えられて光栄だった」と別れの言葉を述べて笑わせた。
 1200、マイクロバスで市内に向かった。途中に「中元地戸」つまり不動産屋がある。このあたりの地価を通訳に聞くと、150㎡で200万元(2600万円)だという。ここ3,4年で5倍になったらしい。マンションなどは「投機の対象」となってしまったから、政府が投機防止のお触れを出したので売れないという。上海市の人口は間もなく2000万、そろそろバブル・・・かと思った。以前、2001年の会議のとき、上海市内の不動産屋の広告で地価を調べたら5000元/㎡であったが、2003年には1万元/㎡に上昇、2004年に来日した研究者に尋ねたら既に2万元/㎡になったと聞いた事があったので計算してみた。200÷150=1・3、つまりこのあたりで13000元/㎡、私が注目している土地は市内中心部であるから、2万元/㎡はほぼ間違いない。とするとその上昇率は凄まじい。正にバブルである。
 12時15分に世紀大道を南から北へ走って市内に入り、いわく付?の森ビル建設現場を通過、レストラン「海鴎舫」で昼食を取った。案内人のS氏が飲み物を聞いたが我々は昼から飲む習慣はないし、岡崎研は遠慮深いから御茶だけをお願いしたのだが、出された料理が猛烈に辛く口の中が熱くなる。遂に吉崎氏が音を挙げ「ビールを注文しましょう?」というので私も賛成、S氏がウエイトレスを呼ぶと驚いたことに「直ちに」ビールが出てきた。どうも御酒の注文を取るのが彼女達の任務?らしく超辛料理も作戦か?と思った。御茶を注文した時、彼女たちはあからさまに不機嫌だったが、ビールや飲み物を注文すると一変してサービスが良くなった。
 食事中はジョーク中心の“第7セッション”となり、江沢民クリントンが会談したとき、クリントンが「知的財産権の問題」で江沢民にクレームをつけると、江沢民クリントンに「米国は火薬をミサイルに使用している」と反論したので、クリントンは黙ってしまった、と彼らは得意そうに笑った。本当だとすると、クリントンも情けない。
 2時前に食事を終わり入り江を見渡す「濱江大道」を散策した。有名な上海のシンボルであるテレビ塔の傍に、ドーム型の地球儀を模った面白い建物があるが、それに書かれた中国領土は赤く塗られていて、台湾も赤、海南島から西沙、南沙、マラッカ海峡にかけて、赤く塗られた島が点々と示してある。朝鮮半島や日本、フィリピンなどは青色なのだが、100年経たない内に一面「赤く」塗られるのではないか?と心配になった。
 14時50分に2010年の上海を示すジオラマが展示されているという「上海城市規制展示館」に入った。人口が3000万人に膨れた万博後の発展した上海が示してある。模型細工は繊細で見事だが、現実のインフラ整備はどうするのだろう?と心配になった。
 パノラマ館は、実際に車に乗って市内を突っ走る疑似体験ができるようになっていて、結構客でにぎわっていた。しかし、私にとっては地下に作られた1930年代の喫茶店などが並んでいる古い町並みを再現した展示館が気に入った。
 御茶を飲んで休憩後、上海の銀座、シャンゼリゼ?を散策した。大変な賑わいであったが、露天商が歩道のあちらこちらを占めていてデパートよりも賑わっている。丁度銀座の「ホコテン」の感じだが、ホームレスがゴミ箱を漁っている。所々に赤ん坊を膝に抱いた女性や、若い女性が大きなマスクをかけて黙然と座って物乞いしていて、何かインドに似たところがあったが、前に「謂れ」が書かれた布が置いてある。「日本人はこれに弱いんだよね」と川村団長が言うと、Oさんが「絶対にお金はやらないで」といい、彼女達は「タクシーで出勤して着替えてここに座っているの」と言ったので驚いたが、一時期わが国にもこんな情景があった事を思い出した。繁華街一杯に大音量のジャズが響いているが、確かにこの繁華街には「京劇音楽」は似合いそうもない。若者達の服装も行動ぶりも西欧化が進んでいて近代的である。食品スーパーの中に入ったが買い物客で熱気むんむん、町で買うとこんなに安いのか!と改めて驚いた。
 午後5時にホテルに戻ったが、またまたトラブルが発生した。ドアがカードで開かないのである。たまたま3人のメイドたちが廊下を掃除していたので尋ねると、ヘッドセットをつけたリーダーらしい女性がフロントと連絡を取ってくれ、“合鍵”で開けてくれた。ところが一度出て部屋に戻るとまた開かないのでフロントに行くと無言でカードを変えてくれた。何のことはない、毎日部屋の磁気を変更しているのである。少々不便ではあったがセキュリティは合格!というべきであろうか?           (続く)