軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

八重山訪問記−1

24日から昨日まで、沖縄県石垣市に飛び、八重山地方を“散策”して来た。八重山青年会議所の創立45周年記念講演を依頼されたので、ちょうど良い機会だからと、家内共々久々に沖縄の澄んだ空気と太陽を体いっぱいに浴びてきた。ブログ更新が遅れたのはそのせいである。ブログを開けて多くの有益なコメントを拝見したが、今回の沖縄旅行?は大変有意義だったから、まずその報告を優先したいと思う。

 社団法人八重山青年会議所は「明るい豊かな社会の実現」を目指して、地域で志を持って活動する20〜40歳の青年達で構成されている。復帰前の昭和37年8月に、32名の志を同じくする若人が集まり、「修練」「友愛」「奉仕」の3大スローガンを立てて常にチャレンジ精神を忘れず、地域経済、教育文化の全般にわたる調査研究と社会奉仕を推進してきたというから、その歴史と伝統は相当なものである。
 そんな地域のリーダーを養成してきた由緒ある八重山青年会議所から、私のような元自衛官に声がかかったのは、理事長始め幹部達が、最近の先島諸島をめぐる予断を許さない状況について、会員ならびに地域の方々を啓蒙しようと考えたからで、この私のブログからヒントを得たという。
 私に送られてきた依頼書の冒頭には「沖縄の歴史を紐解くと、沖縄がかって琉球であった時代から琉球=沖縄の地政学上の位置関係により、日本と中国、そして各国の覇権争いの影響を受け続けてきました。先の大戦でも、米国の日本本土攻略の要地として唯一の地上戦となり、我が国の敗戦後、米国に占領された後、米国の世界戦略の要地として多くの軍事基地が建設されました。そして、沖縄が日本復帰を果たした現在も軍事的要地として広大な米国の軍事基地及び我が国の自衛隊基地があります。近年、沖縄そして八重山諸島周辺海域が緊張状態となっています」として、1、中国が一方的に主張する尖閣諸島領有権問題。2、中国の東シナ海ガス田開発問題と領海問題。3、2008年問題(台湾をめぐる問題)などを挙げ、「平和を希求し実現していくために、我が国の安全保障・国防の最も重要な地域、国境に住む私たち八重山JC会員が、正常な安全保障・国防に関する知識を持ち、平和の実現を図るために、今後どのように行動しなければならないのかを考える場としたい」と書かれていた。
 わずか一時間足らずで、要求にかなう内容を話すことなど不可能だが、彼らの熱心な誘いに応じて、今回訪問したのである。
 一時間以上も前に会場に到着すると、彼らは与えられた役割を確認しつつ、リハーサルの真っ最中であった。多くの来賓、先輩方に失礼のないようにという気配りに満ちた彼らの動きを見ながら、私は現役時代に「長官初度視察」前のリハーサルに打ち込む基地隊員たちの姿を思い浮かべた。ちょうど年恰好も同じ世代だが、何といっても我々自衛官は、自らその組織に飛び込んだ“志願者”であり、そのような「統制力」と「団結心」が売り物の組織なのだから、それは当然の行動なのだが、彼らは所属する組織も仕事もまちまちであり、全く生活環境を異にした“素人の集まり”とも言うべき「集団」なのだから、理事長という一人のリーダーの統率の下に、整斉と役目をこなしていく姿には感動した。
 午後5時、定刻に始まった記念式典が終わり、6時半から約45分間私が講演の部を担当したが、熱心に聞き入る彼ら、ならびに沖縄各地から集まった参集者の熱心な聴講態度は、実に後味の良いものであった。
 続いて行われた懇親会、さらに関係者とOBを中心とした2次会にも参加したのだが、熱気あふれる彼らの会話、目の輝きの根源に「国境に住むもの」としての緊張感があるように感じられたのだが、南国独特の、穢れのないまさに「薫風」のさわやかさがそこにはあった。ご参考までに八重山青年会議所のHPを貼り付けておきたい。
    http://www.ishigaki.fm/yjc/

 翌日、解放された私は家内共々懐かしい竹富島を観光し、午後はレンタカーで石垣島を一周、さらに日曜日には西表島由布島小浜島をめぐるツアーに参加した。
 3日間とも好天に恵まれて先島諸島の波は静か、視界も良好、大いに堪能した。
今回、久々に現地沖縄の最新情報を得ることが出来て大変有意義だったから、次回から、その感想を書いておきたいと思っている。