軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

食糧安保

 今朝のフジテレビで、バイオ燃料の話題が出て、食糧安保が大切だと、元財務省の榊原氏が力説していた。
 環境悪化を防止するため、車の排気ガスを“浄化する”バイオ燃料の使用が始まったが、その原料であるトウモロコシは、家畜のえさの大部分を占めている。 環境悪化を防ぐために「バイオ」を生産すると、家畜のえさが高騰するし国によっては食糧問題が発生する。世の中、シーソーのようなもので、全てがバランスよく改善されることが如何に難しいかを証明している。
 読者の皆様は、この連休をどうお過ごしか知らないが、多摩丘陵の田舎に住む私は、家内のガーデニングに付き合って、畑仕事を楽しんで?いる。鍬やスコップで土地を耕すのは、昔小中学校で鍛えられたからさほど苦労はしないが、植える植物の種類では家内と意見が対立する!
 家内は花や野草類、バラに熱中していて、私は「実物」を希望するから、どうしても意見が合わないのである。終戦直後、わが両親は未開の山地に入って、畠を開拓し、食糧増産?に励んだものであった。麦踏みしながら母は「人間も踏まれると強くなる」と教えてくれた。作物はサツマイモ、ジャガイモ、トマト、なすび、スイカなどなど、そして畝の外側には、決まったようにトウモロコシ、サトウキビを植えた。サトウキビは甘味不足の我々子供の良い「おやつ」だったし、トマトは海水浴で海に入る前にはるか海の中に放り込み、上級生の指導で体操をした後飛び込み、海面に浮かぶ自分のトマトまで泳いで手にし、立ち泳ぎしながらかじったものである。適度な塩分が混じって実に美味であったが、今時のトマトにはこのときの“美味さ”が全くない。
 サツマイモは、山遊びするときの「おやつ」で、畝からこっそり掘り起こして、生のままでかじったものだが、後で「おでき」に悩まされたものである。
 スイカは、今で言うソフトボール以上の大きさには決して成長しなかった。なぜなら、熟す前に「ドロボー」に取られたからである。
 この頃のトウモロコシの味は、トマト同様今のものでは味わえない。なんだか「甘く」なりすぎて、私の「トウモロコシの基準」には入らない。
 しかし、10年前、単身赴任で沖縄にいた頃、12月に公設市場で小さめのトウモロコシを見つけて購入し、ゆでて食べたことがあったが、この時久しぶりに「昔のトウモロコシ」の味を思い出し感動した。翌日再び市場で買い求めたが、地元のおばさんは嬉しそうにおまけしてくれて「これは家畜用?だ」と言ったが、トウモロコシに「人間用」も「家畜用」もあるまい。私は平成8年冬の沖縄で、終戦後のあの頃、両親と汗水たらして木の根を掘り起こし、8畳一間程度の畠を作った頃のトウモロコシの味に再会し当時を懐かしんだのである。
 戦後60年、豊かになった我が国は、自ら食料を作ろうとせず、安い外国で生産して利益を上げることに熱中している。九州でも東北でも、“お百姓さん”達は、各自が自家用車を持ち豪邸を建てるほどの豊かさを誇っていたが、お年寄り達は将来の危険性を感じ取っていた。
 最新式の農機具を隣が買うと、自分も負けじと農協で借金して購入し、ローン漬けで首が廻らなくなり、家庭争議が絶えないと嘆く老人もいた。
「昔は、互いに加勢しあって作物を作ったものだが、今じゃ個人主義、農民の絆は消えうせた」と嘆く。「とにかく、米の花も見たことがない役人が、田んぼを潰せば金をやる、と言って、休耕田なるおかしなものを奨励したことが、百姓精神をだめにした元凶だ」とも聞いた。
 浜松にいた頃、農協の大会で講話したことがあった。会食のテーブルは、なぜか婦人部役員席だったから、“おふくろさん”のようなご婦人たちに囲まれて、色々な昔話を拝聴したが研究心旺盛なのには感動した。婦人部は、休耕田の使用について様々な研究をしていたのである。無農薬の野菜、イモ類は勿論、沖縄名物の「ウコン」の栽培を手がけ成功したという。ウコンの根を、浜松が誇る機械産業の特質を生かして、粉末にすることに成功したというのである。そのサンプルを戴いたが、休耕田の活用状況報告には目を見張った。
 農水省の“指導”で、昭和44年に減反政策が推進されたが、当時344万haあった水耕田は、平成10年には268万haに減少したという。今ではもっと減少しているに違いない。それに農民の高齢化、青年の3K忌避、嫁不足が加わった。日本農業は、絶滅の危機?に瀕しているといっても過言ではない。
 スタジオでは、いまや国際化、流通機構が発達しているから、外国で生産し国内に輸入するのが、いかにも近代的であるかのような発言があったが、サハリンの天然ガス、石油はどうだったのか?外国で開発した製品が、必ずしも確実に手に入る保証はない。一に相手国の事情によるのであって、外交上問題が発生すれば、物が入ってこなくなるのは当たり前である。最低限の食糧確保は、国家安全保障上当然ではないのか?
 我が家でもなかなか“食糧増産計画”は進展しない。ただ幸いなことに周囲は農家が多いので、野菜販売スタンドがいくらでもあるから、家内は「買った方が早いから、わざわざ自分で野菜を作る必要はない」と拒否するのである。
 そのうち食糧難時代が到来した時に備えて、浜松農協婦人部の大先輩方に「バラの花のおひたし」「とげのキンピラ」のメニューでも開発してもらおうか?と思っている。
 読者の皆様も、家族一同揃って十分会話が出来るこの連休、日本農業の将来を語り、現地体験をしてみるのもいかがだろうか?