4回の連載を通じて、教育問題について、いかに国民の関心が高いかが良く分かった。同時に、その実態については、父兄、保護者、それに現場の教員だけが「関係者?」であって、一般的にはその実態が「外に漏れにくい」という性質があることも浮き彫りになった。コメント欄では、真面目な(1部に奇妙なものもあったが)討論が行われていて大変参考になった。
実は今、私は公私共に多忙で、落ち着いてパソコンの前に座る余裕がない。その上実は書斎(とは名ばかりの狭い勉強部屋)の大整理中で、今日は“不要”になった書籍類をワゴン車で熊谷基地に寄贈してきた所である。前回基地を訪問した際、「図書室に蔵書が少ない」と卒業所感に書かれたと校長が私に語ったので、渡りに船とばかりに寄贈したのである。既に前回の分が書架に整理されていて、今回の分を含めると“軽トラック1台分?”ほどの量になるから、少しは役に立ったのではないかと思う。部隊では予算削減のあおりを食って、書籍購入費もままならないのだという。
丁度昼食時であったが、学校では時間を切り詰めてフルに教育を実施しているから、食事を終えた学生達が、整列して教室に向かう所であった。とにかく課業時間が7時限もあって、学生達には食後の時間を「楽しむ」余裕もないくらいだという。≪ゆとり教育≫とは全く縁遠い!
多くの「新隊員達」とすれ違ったが、今年入隊した≪ほやほや≫の自衛官の卵達は、校長や副校長の車に向かって、行進を止めて整列し、班長が敬礼する。つい数ヶ月前まで「高校生」や「中学生」だったどの少年の顔も皆初々しく、緊張した顔で“ぎこちなく”敬礼している。校長はいちいち車の中から、彼等の顔に注目して答礼する。私は昔を思い出しつつ、彼等の顔を見つめたのだが、何となく前回までの≪教育問題≫の実例が思い返され、彼等の中にも、国旗・国歌について余り真剣に教育されなかったものがいるのではないか?いわば、奇妙なイデオロギーの「犠牲者」だったものもいるのではないか?と考えながら「観察」していたのだが、彼等の表情からは全くそんな事は感じられなかった。
こんな、純真な子供達の将来を、一部の大人達の「歪んだ考え方」「大人社会の都合」で狂わせてはならない。
校長によれば、色々な式典などで基地の行事に参加された御父兄達が、校長に挨拶に来ると、新隊員達も直接校長に嬉しそうに話し掛けるのだという。昔風に言えば、「3等兵と空軍少将」が、サシで話するのだから、歳をとった御父兄の中には驚く方もいるそうだが、校長の中久保「少将」は、彼等と話すのがまた楽しいという。航空自衛隊に限らず、陸、海上自衛隊でも、確実に≪民主的気風≫は育っているから、何ら不思議な光景ではないのだが、それが「本格的な文部省隷下の学校」の教育現場で出来ないとしたら何故なのだろう?。改めて南口教諭の体験談が思い出される。
要は、子供達の将来を真剣に考えない「サラリーマン教師」「デモしか教師」に代表される、無責任体制が、そうあらしめているのであろう。
つくづく私を含む大人達の≪教えざるの罪≫がいかに重いかを感じた1日だった。