表記の会合で、20分間の提言とパネルディスカッションをさせていただいた。
今回の主旨は「年来の念願である四月二十八日を主権回復記念日として祝日化するための祝日法の一部改正をといふ呼びかけと合わせて、邦家国民にとっての焦眉の課題たる防衛問題について、私共の今まさに考へておくべき事を論議の俎上に載せる」ということで、井尻千男・拓大日本文化研究所所長の司会、登壇者に田久保忠衛・杏林大客員教授の他、松島悠佐・元中方総監、田母神俊雄・前空幕長、それに私の三人の自衛隊OBが招かれた。海上自衛隊から古庄元海幕長が予定されたが、先祖を祭る法事で帰郷中で欠席となり、三自衛隊が揃わなかったのは少々残念だったが、松島元陸将は26日に肺炎?で緊急入院中にもかかわらず「外出許可」を得て参加した。
主催者の小堀教授は体調を心配したが私は「出席は当然です!ガダルカナルの将兵には比べ物にならない。ご心配なく」と勝手に小堀教授を安心させたのだが、それを知ってか知らずか松島先輩は壇上から「佐藤“守”君ではなく”攻める”君」と言ったから会場は爆笑、仇をとられた。
私は、沖縄時代の尖閣を巡る「領海侵犯」と、香港・台湾の活動家が計画した「ヘリコプターによる侵入事案」について概略を話したのだが、あまり知られていなかったからか、聴衆は相当驚いたようだった。
「空の主権確保を担当している航空自衛隊は、創設以来スクランブルでこれに対処しているから、私のような戦闘機乗りは領土領空擁護は、独立国の当然の使命だ」と思っている。
私が沖縄勤務時代に、日米関係の危機とは別に、尖閣を巡る「主権争い」は幾度となく繰り返された。
平成8年9月26日に、香港の活動家らがチャーターした保釣号(2800トン)には、乗員(船員)7名の他、活動家18人、報道関係者44人が乗り、台湾漁船9隻とともに尖閣の領海を侵犯した。日本の「政治結社」が立てた灯台などの建造物に反発したもので、上陸が無理だとわかるとリーダー以下4人が海中に飛び込み、「自国の海で泳いだ」ことを宣伝しようとしたが、生憎行き足2ノットの船とロープで身体をつないでいたため4人とも溺れてリーダーが水死した。
これを知るや海保は「警備行動」から、ただちに「救助活動」に転じ、ヘリコプターで県立八重山病院の医師を送り込み、重体の一人を病院に空輸、ICU治療で回復させた。
外務省は「外交問題にならないよう配慮」し、池田外相が日中外相会談で「日本人が建てた灯台を認可しない」と約束、橋本首相は外交上の影響を懸念し「香港、台湾側への経緯説明」に全力を挙げた。
加えてシンガポールにいた桜井石油公団理事は「緊張緩和を促すため、尖閣周辺で日中台の3国で石油を共同探査・開発すること」を呼びかけた。
このような「トラブルを押さえるためのへりくだった日本の対応」を見た香港では「対日開戦を訴える投書」が紙面を飾り、「今後は武力行使しかない」という政治家の談話を載せ、「今の中国は50年前の貧しく弱い中国ではない」などと民族主義を煽るトーンを色濃く打ち出した。事勿れで下手に出た橋本外交は失敗したのである。
続く10月7日には、水死したリーダーの弔い合戦とばかりに、台湾から香港、マカオなどの活動家や報道陣約300名以上を載せた50隻の漁船団が接近し、うち41隻が再び領海侵犯した。この時はウェットスーツに身を固めた4人の活動家がゴムボートで上陸し、約一時間「中国」と「台湾」の国旗を陸上に立てて日本の領土を「占領」した。
海保が撮影したVTRを見ると、海保の隊員たちは、岩礁から上陸しようとする活動家達を阻止しようと懸命だったが、なぜか両手を後に組んでいる。活動家達は彼らに対して旗ざおで殴りかかり、突き倒して上陸したのだが、これは官邸筋から“手を出すな!”とゲンメイされていたからだと言う。
この時橋本首相は「これ以上騒ぎを拡大しないように関係双方が如何に冷静になれるかだ」とコメントし、古川官房副長官も「極めて遺憾だ。近隣諸国、地域全体の関係が損なわれないように関係者は冷静に対処することを強く希望する」とコメントした。
ペルーの日本大使館がテロリスト達に占拠された時、青木大使以下囚われ人達は床を這いつくばって逃げ回ったが、日本政府は何もできなかったから、フジモリ大統領が軍隊を使ってこれを排除した。
この時霞ヶ関の外務省を“激励”に訪れた橋本首相が取った処置は、銀座のパン屋から「アンパン」を陣中見舞いに運ばせただけだったことを思い出す。
易々と上陸に成功したことに味を占めた香港・台湾の活動家たちは今度はヘリコプターで尖閣に降下して「建造物」を破壊すると宣言した。
非現実的計画だとは思ったが、領空侵犯は絶対に許してはならないから、私はただちに「対処マニュアル」を作成し、低高度の監視はE-2Cがいないと不十分だから派遣方を上申したが、中央は27日に百里基地で行われる「航空観閲式」上空を編隊飛行させるため、派遣できないという。
沖縄では臨戦態勢にあるのに、大本営はお祭り騒ぎである。牛島中将の無念を身を持って体験したが、アンパンマンの上空をちょうちん行列させるためにE-2Cを購入したのではない!と抗議したものの、もともと「過激派?」と思われていた私は見向きもされなかった。そのうえ海保同様、「武器を使うな!」という官邸筋からのゲンメイが来た。文書で示すように上申したが勿論文書が出るはずはないから通常通りの手順で“粛々と”対処することにした。
10月18日、台湾の交通部(運輸省)に提出されたへり2機の行動予定情報が入った。彼らは日本のADIZ(防空識別圏)内で「サーベイ活動」を要求していた。
詳細は平成14年5月17日付の産経新聞「最南端の防人たち(沖縄復帰30年)」という連載第3回目に報道されたから省略するが、あわてた?上級司令部は18日夜にE−2C部隊に非常呼集をかけて、深夜三沢を離陸させて、明方までに沖縄に着陸させるという強硬手段をとった。私の上申を受けて、余裕を持って準備させていればいいものを、あわてて動かすのだから事故が起きなかっただけ幸いだった。
こんな不都合な命令で命を失った例は相当ある。しかし犠牲者は無視されて、トップは叙勲に輝くのである!これを古来「一将功なりて万骨枯れる」という。
こうして10月19日から28日までの間、厳戒態勢を取って彼らの企図を断念させたのだが、当時の台湾は李登輝総統であったから常識が通用した。
つまり私がここで言いたかったのは、この例から「優柔不断さ、事を荒立てまいとする“善意?”は逆に相手に誤解を与え、抑止力にはならない」ということであり、「軍事力の裏づけがない外交なんぞ、屁のツッパリにもならない!」ということである。北方領土、竹島、そして急浮上してしまった尖閣問題始め、同胞を見殺しにしている拉致事件を見るが良い。弱腰外交をなじる向きが多いが、軍事力が使えない外交官は「外交」ならぬ「友好」か「社交」以外に打つ手がないのも事実であろう。
たまたま昨日の産経新聞7面に小堀教授の「正論」と、「話の肖像画」欄に「外交の戦略と志」という谷内前外務次官の談話が出た。彼はこう言っている。
「竹島は日本の固有の領土ですが、韓国に力で占拠されました。それを後から外交で取り戻すのは難しい。力には力で対処しなければならないのが国際社会の現実です。尖閣諸島も同様で、外国から物理的行動があればきちっと対応すべきです」
平成8年10月の対領空侵犯“未遂”事案で、私が取った行動が「きちっと対応」した例だとは思わないが、少なくともあの時、三沢から駆けつけて文句も言わずに12日間も沖縄で活動してくれたE-2C部隊の120名は「きちっと対応してくれた」と思っている。勿論83航空隊のファントム飛行隊を中心にした活動も見事だった。
あの時約二週間「過激派司令官」の命令に服して活動してくれた幕僚たちが、今では現役時代唯一の「実戦的緊張感を味わった体験」だとして「制服を着た甲斐があった!と誇りに思っている」と九州から電話をくれた時、私もまた素晴らしい部下に恵まれた幸せをかみ締めたものである。
麻生首相には橋本首相のような「弱腰首相」に決してなってもらいたくない、と思っている。
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