軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

集団的自衛権解釈変更

 24日の産経一面トップは、表記について麻生首相が「本格検討へ」との見出しで「大きな一歩を踏み出す」ことになると書いた。北朝鮮のミサイル発射問題や、ソマリア沖の海賊退治に、海自部隊などが派遣されているのだから当然だろう。
 首相は、「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」で座長を勤めた柳井俊ニ元駐米大使と首相官邸で会談し、柳井氏は「解釈変更が喫緊のテーマであることを説明した」という。

 昭和47年の田中内閣時代に「自衛権は有するがこれを行使できない」という奇妙な政府見解が出されたまま、手付かずになっていたが、安倍政権時代に前記諮問機関が作られ、解釈変更に一歩前進した。しかし、安倍氏が倒れて福田首相になると「報告は終わったわけだから完結した」とされて棚上げになっていたものである。
 情勢急変する今、是非とも前進させてもらいたいものである。

 
 5面には、衆院議院運営委で「憲法審査会規定」の与党案の審議に入ったとあり、「与党側は早期制定を求めたが、野党側は慎重、反対の姿勢を示した」とある。国家安全保障確立の第一歩、これまた進展が望まれる。


 この日私は早朝に家を出て大阪まで講演に出かけた。近畿偕行会総会での「記念講演」を依頼されていたのである。
 新横浜からのぞみ号に乗ったが、2時間半足らずで新大阪に着く。全ては順調で予定通り、窓外の風景も、乗客も普段通りに行動しているようで、日本国は平和そのもの「世は全てこともなし」に感じられる。


 会場に到着すると、陸上自衛隊中部方面音楽隊の演奏が行われていて、会の主旨?からか、昭和の懐かしい音楽のメドレー、隊員の軍歌の独唱もあったが、よく昔の歌詞を間違えずに歌えるな〜と感心した。

 その後「陸軍軍官学校校歌」「陸軍経理学校校歌」「陸軍士官学校校歌」をそれぞれ出身者が前に出て斉唱したが、92歳を筆頭に、杖をつきながらも堂々と斉唱される姿に感動した。
 防大OBのわれわれも1期生の志摩篤元陸幕長を筆頭に「防衛大学校学生歌」を斉唱したが、久しぶりに往時を偲び、若返った。歌いながらふと「・・・丈夫は、呼び交い集い、朝に忠誠を誓い、夕べに祖国を思う、礎ここに築かん、新たなる日の本の為」「・・・丈夫は理想も高く、朝に勇知を磨き、夕に平和を祈る、礎ここに築かん・・・」という歌詞の精神が50期生を越えた学生達にも、そのまま受け継がれているのだろうか?と考え、その精神が受け継がれていくことを祈らずに居られなかった。

 12時から「日本を如何に守るか」との演題で1時間15分、日中安保対話の体験談を交えてお話したが、会場には陸士52期生2名を筆頭に、53期4名、54期3名、55期6名など、来賓3名の現役を含めて117名の大先輩方が、若輩の私の話に耳を傾けてくださった。


 懇親会では錚々たる先輩方の叱咤激励を受けたが、中に梅澤裕元少佐殿(92歳)(沖縄戦渡嘉敷島で「軍の命令によって沖縄住民の自決が強要された」という戦後の“虚報”の冤罪を晴らす名誉毀損事案の裁判を継続中)が居られ、しばし歓談したが、当時の県知事の命令の背景と、戦後の補償にからめた厚生省の担当官の誤った判断等を直接伺った。
 むしろ「別れの挨拶」に来た住民に驚いてそれを止めようとした梅澤氏は、逆に「自決命令を出した」としてその責任を一切合財押し付けられた悔しさと、「亡くなった若き部下達のためにも真相を述べ無念を晴らす」と決意を語ってくださった。とても92歳には思えなかったが、負傷した左足をかばいながらの「校歌演習」には圧倒された。
 会の終了後、握手してお別れした時に「このままでは死んでも死に切れない!自分も頑張るが君も頑張れ」と言われた言葉が忘れられない。
 また、55期生のお一人は「この国は一体どうなるのか?政治家にしっかりしてもらわなければ、死んでも死に切れない」といわれたし、仙台幼年学校49期生のお一人は、「在学わずか4ヶ月で終戦になったが、戦後は経済的に復興したものの、われわれが予想していた世の中と全く違った様に思う」とため息をつかれ、「死んでも死に切れない」とこれまた同じことを言われた。


 青春の一番輝いていた時に、戦争という不運な巡り会わせで極限の世界を体験した方々に、戦後育ちの私如きが何が出来るかと思うとき、申し訳なさで一杯だが、せめて「普通の国の姿」にして差し上げることはできないものか?と思う。

 夜、再び新横浜から横浜線で帰宅したが、帰宅のラッシュアワーは勤め人と中高生達で混雑していた。つり革につかまりながら、平和な時代に育った幸せとは何か?と、彼らの顔を見ながら一人考えた。
 席が空くと年配者にお構いなく席に滑り込み、何をするのかと見ていると「ゲーム機」に熱中している。
着席している若い女性の殆どが「メール?に熱中」

 終点に着きホームに出たが、歓声を上げてじゃれあう女子高生グループが進路を邪魔して階段を上れない。周囲を見ると、疲れて帰宅する大人達が、皆あきらめた顔で彼女達に従って?居る。こんな場合、押しのけて前に出ると「痴漢騒ぎ」になるのかもしれない・・・

 戦争を知らない世代が「平和」に過ごしているのは一向に構わないが、大阪でお会いした方々はこの年代に「国のために青春を捧げていた」と思えば、何と無く複雑な気がしてならなかった。
 95歳でまだまだ台湾問題に取り組んでおられる「あけぼの会」の門脇翁をはじめ、この年代の方々の体力気力、愛国心の強さには頭が下がる。これは会場で戴いた「特攻勇士の像」建立趣意書だが、「俺たちが死んで日本を守る」と散った仲間に対する熱意が読み取れる。


 平和は自然にもたらされるものではない。我が国周辺の情勢は、悪くはなってもよくはなるまい。再び国民が塗炭の苦しみを味わうことのないように、国家安全保障確立の第一歩として、せめて麻生総理には「集団的自衛権問題」解決のための第一歩を踏み出してもらいたいものである。

母の遺したもの―沖縄・座間味島「集団自決」の新しい証言

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