軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

ミンダナオ島から生還!

日露戦争戦勝記念日に,大東亜戦争の勇士達が,ミンダナオ島に生存しているという情報が,平和ボケした日本中を駆け巡った.
大東亜戦争とは何だったか?と考えているのだが,インドネシア独立戦争に2000人もの我が将兵が参加して,独立を達成した事は知られているが,フィリピンでも,相当の『残存日本兵』達が,その立場はどうであれ,フィリピン独立のために貢献したと思われる.
是非政府は全力を上げて,これら勇士達の帰国を実現してもらいたい.恐らく彼らは一目散に『靖国神社』に参拝する事であろう.

朝鮮半島も,我国の『統治36年』を非難するだけでなく,インフラ整備,教育制度の確立など,もう一度見直してもらいたいものだが,現政府では無理だろう.

シナ大陸でも,勝っていた我が軍は,終戦詔勅を受けて,負けていた中国軍の武装解除を受けた.同時に約8000人から10000人とも言われる日本兵達が,国共内戦に参加し,内3000人が八路軍(共産軍)を支援して勝利に導いた.
中でも旧陸軍飛行隊は林彪などに乞われて『抑留』され,解放空軍を創設したのであったが,共産政府は都合の悪いことは口に出さない.私は中国で,大佐級の空軍幹部と会食した時,わざと”部下のような扱い”をしたのだが,彼らは軍人らしく応対した.しかし,学者達が不思議そうに聞いたので,『中国空軍は,航空自衛隊の弟のようなものだ.なぜならば,貴国の空軍を創設したのは旧帝国陸軍航空隊だったからだ』というと,大変驚いた.
旧陸軍飛行隊は、空軍のみならず,航空産業の基礎を作ったのであった.

インドシナ半島でも,無傷であった南方総軍がカンボジアラオスなどを独立させたが,ベトミンに協力してフランスと戦った日本軍将兵が600人もいたという.そしてグエンバンチュ‐将軍を補佐し,軍学校を設立し,幹部を養成してついにフランスを打ち負かし,1975年には世界最強の米軍をも打ち破った.
こう考えると,大東亜戦争は1945年8月に終わったのではなく,1975年4月に終わったといえるのではないか?勿論,ベトナム軍が勝利したのだが,日本軍の精神を受け継いだ成果だったといえよう.反日メディアは無視するだろうが,実はこれは元サイゴン支局長で朝日新聞編集委員だった井川一久氏の調査である.井川氏の成果報告書となる著書発行を大いに期待したい.