軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

「コロナにかかると心不全に?」

 週刊現代の記事によると「 理化学研究所と、京都大学の共同研究チームが「コロナにかかると心不全に?」という研究結果を公表したそうだが、昨年公表された論文によると「新型コロナウイルス感染症心不全のリスクを高めること、そして心不全患者を急増させるおそれがあることに強く警鐘を鳴らしている。」という。

心不全とは、何らかの疾患が原因となって心臓のポンプ機能が弱まり、全身に送る血液が減ってしまうこと。心不全になると血液の循環が悪くなり、臓器に十分な酸素や栄養素を送ることができなくなる。なかでも影響が大きいのが肺だ。心不全になると、肺に血がたまり、ちょっと歩いただけでもすぐに呼吸困難に陥ってしまう。」というのだが、私も昨年夏に経験したからよくわかる。

  1か月入院して10キロ減った体重と、体力・気力の回復中であり、体重はやっと5キロ回復したものの足腰はまだ弱い。

 しかし当時は「心不全」がそんなに危険な病気だとは知らず、「肺呼吸の調子が悪い」程度に考えていたのだから、結果としては入院して”名医を紹介され”良かったことになる。

 ある病院で「女医さんに指摘され」高度な知識と技術を持つ医師を紹介されて「カテーテル検査」を受けただけで回復したのだとばかり思っていたのだが、リハビリを受ける段階になって、仲間から「よかったですね~」と感心されて初めて自分が「危険な状態だった」ことを認識した。最初から知っていたらこうはならなかったかもしれない(笑い)知らぬが仏だった!

 私はコロナに罹患してはいないし、もともと大空をマッハで飛び回っていて、「ハイGや低酸素症の体験」も積んでいるから、最初から「かかるはずはない」と信じていたのだが、週刊誌に指摘した医師によると「息切れとむくみは心不全のサインかもしれません。ちょっと体を動かして息切れがしても『年のせいだ』『運動不足だ』と考えがちですが、息切れ自体が心不全によるものかもしれない。

 また、朝起きたときに足がむくんでいる人も、心不全の可能性があるので要注意です」という。確かに「足のむくみ」には覚えがある。 

 診断を受けていたころ「肝臓に水がたまるのは誰でもそうです。一か月もすれば水は抜けますよ」と一月後に来院するように私を”誤診”した「大学病院の医師」などは、結果的には「医師ではなく素人」だったと言えそうだから「医師の選定」は大事であると知った。

 

 ここまでは「心不全体験者の助言」である(笑い)

 

 さて、本題は「台湾地震」に関するものである。今朝の産経抄氏は100年近く前に日本人が建設した台湾時代の「橋が崩壊しなかった」ことを書いている。

 マ、「震災」までも政治利用する大陸人の「いじましさ」は別にして、私が言いたいのは「昔の日本人」の誠実さと堅実さについてである。

 子供の頃からよく両親に「人の見ていないところで、手を抜いた仕事をしてはダメだ」と口酸っぱく指導されたものだが、これが物事に裏表があってはならないことを諭した当時の日本の親のしつけだった

ところが今朝のTVでは台湾の今回の災害に対する姿勢が伝えられていて、能登地震に対するわが行政の遅れ?がやり玉に挙がっていた。

 私は地形地物や元日だったことなどから、今回それほど台湾に劣っているとは思わないが、言えることは「有事に対する心構え」が日本と台湾では違っているという事であろう。

 敗戦後、日本人は“玉抜き”にされ、戦いや有事という観念を忘れてしまい、金儲けだけを優先させてきた。私がよく言う「商農工士」の世界に成り下がったのである。

 

 今流行りの「国際詐欺」で、東南アジアはじめ世界に日本人の恥をさらしている男(女も)たちの姿を見ればよくわかる。

 東南アジアの「戦場」で、かっての日本人兵士たち堂々と、かつ勇敢に「負け戦」を戦い抜いた。そして「終戦」時は、国際法を無視してソ連に拉致された日本人は別として、天皇の命によって「整斉と」終戦に臨んだ。「枯れても武士の末裔」だったのである。

 今やそれが“商人の子せがれ”程度の悪事を働いていて、東南アジアはもとより、世界の一部から「卑下されている」のに気が付いていない。

 先日産経の「風を読む」欄に、川瀬弘至論説副委員長が「消えゆく男らしさ、女らしさ」という短文を書いていたが、私も「何の疑問も抱かず」そんな「らしさ」の中で育った一人だから、よくわかる。

 そして今や「男が女に」「女が男に」なりたがる風潮さえあるから虫唾が走る。

 川瀬氏は「伝統的な男女関係や家庭観が廃れていく一方で、未婚率が高まり少子化が進んでいる」と懸念しているが、これは正しい時代ではないだろう。一時的“麻疹”のようなもので、最後に悔むことになるだろうが、それは個人の気ままである。

 「日本人らしさ」を見失い、「国際的だ!」などと「進歩的風潮」に浸って、最後に悔やむことにならねばいいが。かっての“進歩的文化人”達を見ればよくわかるだろう。

 

 週末は好天で国中の桜が満開になったようだ。各地、特に京都は外人観光客でにぎわった、とTVは伝えていたが、私もウォーキングを兼ねて、近所の川べりの桜並木を見に行った。

 

贅沢にも一人で”満喫”できた!