軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

中国漫遊記11「上海へ飛ぶ」

 18日は7時に起床して朝食をとった。食堂で合席した食欲旺盛な人民解放軍兵士?(名札には『集中・・・・HQ4032』とあった)がゆで卵や饅頭を食べながら、フリーハンドでスープを啜る「マナー欠如ぶり」に食欲が減退したこと、外国人観光団らしい婦人たちが、コーヒーサービスもないので、円卓について所在無さそうに写真を撮っていたことは書いた。 
 どうもこの国は「共産主義国」ではなく、「実利主義国」であり、人民は共産主義の帽子をかぶり、頭の中身は実利主義、体は「野人」ではないのか?と思ったりした。
 9時にホテルを出て天安門に向かう。今日の最高気温は11℃とのこと、町中自転車、歩行者、自家用車などで溢れかえっている。交通ルールはあって無きが如しだが、かえって人民は「自主的」に、自分の意思で行動しているから頼もしく見える。日本のように「至れり尽くせり」だと、個人の意思は退嬰的になるのではないか?「ドアに手を挟まれるな・・」「駆け込み乗車は止めよ・・・」「黄色い線から出るな・・・」などなど、いちいち煩いから、乗客は怪我すると会社に文句を言うようになる。その辺は「中国方式に学ぶべきだ」と妙に感心した。また、町中にゴミが見られなくなったのは、罰則が厳しくなったからだ、と以前聞いたが、歩道にゴミ集積箱が設置されていて、わが国と同じく分別して捨てるようになっている。ところが、そこから「自主的に分別?」してゴミを持ち去る者が後を絶たない様だから、北京市内のごみ収集も「自主的に管理?」されている様である!
 オリンピックに備えてか、古民家が解体されていたが、日本のように「ユンボー」で目茶目茶に破壊することは無く、丁寧に解体しているのは立派である。レンガや瓦は再利用されるらしい。
 9時半に「菖蒲河公園」についた。立派に整備された公園は樹木が良く管理されていて、特に柳が美しかった。一同、さわやかな朝の空気を吸いながら歩いていると、路上に見事な毛筆が書かれていたので立ち止まった。「誰かが早朝石畳の上に習字をしたのだろう」などと思ったが、良く観察すると石畳に「仕掛け」があって、散水すると文字だけが浮かび上がるようになっているのである。何ともすばらしいアイデアではないか!
 天安門に上がり、人民広場を見渡すと、ここであの悲劇的事件が起きたのかと感無量になる。天安門広場は人出が少なかったが、門の上は人だかりで、まるで人種の展覧会、少数民族?かと思われる集団があちらこちらで写真を撮っている。
 選ばれた「人民」以外には絶対には入れない“人民”大会堂や、人民英雄紀念碑、毛主席紀念堂が霞んで見えるが、ここに詣でる党の主要幹部は、どんな考えで詣でるのだろう?日本の「靖国問題」に干渉しないで欲しいものである。
 天安門を降りて故宮博物院に入った。3度目の訪問だが、相当に手入れされていて、やたらペンキが塗られている。
 10時30分に故宮を出て、駐車場で待っているマイクロバスに向かったが、歩道を小走りに渡る一団がいて、会話を聞くとやはり「日本からの観光客」であった。中国人は横断歩道を走ることはまずないからである。
 景山公園の傍を通過して昼食会場に向かう。この公園は、故宮の北にある総面積23万㎡の公園で、12世紀の金の時代に公園の西側の北海を掘った時に出た土砂を積み上げて出来た人工の山だそうで、その後皇族専用の庭園とされてきたという。
 それで思い出したのだが、8年前に航空軍事博物館を訪問したとき、展示機などが巨大な地下要塞に展示してあり、メンバーの一人が「山をくり貫いたのか?」と聞くと、副館長が事も無げに「ここは元は格納庫でした。それに土を被せて山にしたのです」と言ったが、誰も信用しなかったことを思い出した。多分、米、ソからの核攻撃を恐れた毛沢東の指示で、北京周辺に大地下壕が建設された事があったが、そのときに被せたのだろう。
 11時25分に、市内の「花栄」と言う日本料理店に着いた。油濃い中国料理に疲れた我々の胃袋を心配した李教授が設定してくれたのである。私は茶そばセット(32元)を注文したが、日本人客が多いらしく、味は国内とさほど遜色なかった。
 午後1時15分に飛行場に着き、1430発の国内線・CA1521便に乗った。搭乗口に胡錦濤主席と韓国の国会議長が握手している写真が出ている面白そうな中国語の新聞があったので持ち込んだ。機内は満員、荷物室が足りないくらい手荷物が多い。私はB席であったから、ベルトを締めずに両サイドに座る乗客を待っていたのだが、まずC席に、50代過ぎと思われるノーネクタイ姿でスーツ姿の男が座った。その後、A席の若い男が入ってきたが手荷物室が一杯なので入らない。と、突然私の目の前をスーツケースが飛行してA席に着陸した。そして彼は我々を跨いで席に着くと、足元にスーツケースを置いて携帯電話を夢中になってかけている。小声なのはマナーが良いからか秘密事項だからか・・・、機体が動き出しても話し続けていた。私は知らん振りして新聞を読んでいたが読み終わって新聞を前のポケットに入れるとC席の男がそれをさっと取って読み始めた。言葉はわからないにしても仁義というものがあろう!しかも挟んでいた私の帽子が落ちると、拾ったのは良いがポケットにギューギューと詰め込むのである。ソフトだったから良かったが「パナマ」だったら一巻の終わりだったろう。聊か頭にきた。
 やがて機内サービスで飲み物が配られ始めたのでテーブルを倒すと、何を思ったかC席の男が読み終わった新聞をポイッと私のテーブルに置くのである。その無礼な態度に顔を睨みつけると、すっと自分のテーブルに引っ込めたが、御茶を飲み終えるとテーブルをたたんで新聞をそれに挟んだ。
 悲劇はそればかりではなかった。A席の男は自席の足元が荷物で一杯なので右足を私の「領空に侵入」させている。これは物理的に仕方がないことだし、その後は睡眠中でおとなしかったから「見逃して」やっていたのだが、C席の男の方はずうずうしくも左足を「侵入」させ小刻みどころか大刻みに、それも縦揺れではなく横揺れの「貧乏ゆすり」をする。適度にスクランブルして「退去」させるのだが、その度に「うー」とか「ふわー」とか、欠伸ともため息ともつかぬ声を上げるだけだからたまらない。
 私は機内で読書するために講談社現代新書の「中国の大盗賊・完全版(高島俊男著)」を持ち込んで読んでいたが、男は時々覗き込むが「日本語」は読めなかっただろう。高島教授が書いている通り、この国には盗賊の末裔が多いと思ったものである。
私のメモ帳にはこの時の感想をこう書いている。
「C席の男の態度を『無礼だ』と捉えるか、新聞は『共用物?』だと考えて、借用、返納時に『挨拶が無いだけだ』と捉えるか?」
日中友好なんて口先だけではなく双方の『態度』が決め手である。この様な『無礼な態度』が戦争を招くのだ」
「日本人ならこんなことはしない。それは物があるから他人の物に手を出さない、ということではなく、借用するに際して『会釈、会話』でコミュニケーションを図るからである」
「素養教養がないと態度は『無礼』になる。これが『戦い』に発展する。素養教養があると『会話』が成立する。そこには『争い事』は起こらない。教養が無い人間・国家と付き合うのは骨が折れる」
 ちなみに着陸後、機内の通路や座席の間には新聞紙や紙屑が散乱していて、とてもアジアの大国が誇る?民間機内だとは思えなかった。
 1612に着陸したが、手荷物受け取り所には便名が表示されず、勝手にレーンから出てきたので大慌て、しかも長大な荷物が入口に引っかかったため後続の荷物が次々にレーンから落下する。わが提督と経済評論家が気づいて駆けつけ、塞いでいる荷物を除去したのだが、傍にいた掃除夫などは傍観するだけ・・・。やはり優しい日本人万歳!?である。
 上海国際問題研究所一行と合流して、夕食後、バスで会議場である蘇州のホテルに向かい、高速道で道を尋ねながら午後9時半に「東山賓館」に着いた。      (続く)